酷く慌てた様子で、けれど、さすがに神殿の中へは入ってこれなかったらしい。
「バーニー……」
アドニスが呟く。
アドニスの姿を見ると、バーニーは深く頭を下げた。その仕草や背格好から少し老けたんじゃないかと潤は思った。
「アドニスさま、申し訳ありません」
バーニーが頭を深く下げながら言う。
「何かあったの?」
アドニスはバーニーの前に立ち、顔をうかがうようにした。
「どうしても、これだけはお伝えしたくて――――」
バーニーが声を詰まらせた。
潤は一瞬で気持ちが重くなった。
「……何?」
答えたアドニスの声が緊張していた。潤も自分が緊張しているのが分かった。バーニーが知らせにきた何か、それは良いものには思えなかった。
外界とも繋がりを絶ったものに、どうしても伝えなければいけないこと。
それは、とても身近な人の知らせだと思う。
バーニーは喉をごくりと言わせた。
「サライさまが――――お子様を身ごもられました」
子供?
潤は一瞬頭の中が真っ白になった。体が固まって息をすることさえ忘れた。
それは、アドニスも同じだったのかもしれない。しばらく体を硬くしたまま動かなかった。そして、何も言わず深く頭を下げるバーニーの体を起こして抱きこむ
ようにした。
「あ、お茶の用意をするから、待っていて」
潤は声をあげると、門をくぐって神殿へ走った。
そんなことが許されるかは分からない。けれど、二人きりにしてあげたい、と思った。
バーニーの知らせはアドニスが一番願っていたことだった――――きっと。
お茶と言った以上、お茶の用意をと思って、お茶の葉なんてものがないことに気がついた。
仕方ないと、とりあえず、お湯を沸かしてカップに注いで、持っていこうとした。
けれど。
門のところまで来た時、せっかく会えたのにもう少し二人きりでいたいかな、とふと思い立ち止まった。
「潤、遅いね」
アドニスの声が聞こえてきた。
「きっと、気を使ってくださっているのです」
バーニーが答える。
「――――僕は恵まれているよね。僕自身は全然力もないのに――――」
アドニスの声は寂しそうだった。
「……なぜそう思われるのですか?」
バーニーが怪訝そうな声を出す。
「もし、僕が潤と一年の時を過ごしたなら、潤の記憶を消すなんてできない。たったあれだけの時間の記憶でさえ、僕は全ての力を使ってしまった。父上も歴代
の王もみ
んなしてきたことなのに……僕の力は大きいと言われるけれど、そんなこと全然ない」
アドニスの声は穏やかで、けれど切なく感じた。
「アドニスさま、それは違います。データスさまも、たぶん歴代の王も記憶を……地上より呼んだ姫の記憶を消されてはおりません」
「でも」
アドニスが抗うような声を出す。
「……私はアドニスさまに忠誠を誓うものとしてしてはいけないことをしてしまいました」
「そんなことはないよ。バーニーはいつも――――」
「私達執事には代々引き継がれていることがあります。記憶など簡単に消せるものではありません。深く愛し合ったもの達であれば尚更のこと。ですから、王に
ひとつの助言を与えるのです。記憶を消すのではなく、新しい記憶を与えるのです、と」
「新しい記憶?」
「時間を埋める記憶と、そしてここでの事は全て夢だったのだ、と」
夢?
そんな手があったのだ、と潤は思った。
しばらく沈黙が流れていた。
「私はそのことをアドニスさまにお伝えしておりません。私は執事として失格です。そのことで、何も申し開きをするつもりもございません。今日も禁忌を犯し
てアドニスさまに会いにきてしまいました。アドニスさま、ど
うぞ私に罰をお与え下さい。私はもう何も思い残すことはございません」
バーニーの言葉の後、アドニスの声は聞こえなかった。
「だめだよっ!」
潤は飛び出していた。はずみでカップが倒れて湯が零れた。けれど、そんなことは構っていられなかった。
「バーニーはアドニスのことを思って――――」
バーニーに与えられるものがあるとすれば罰ではないと思う。
アドニスが驚いたように振り向いた。
「僕は信じてもらってないんだね」
潤を見て笑う。
「バーニー、頭を下げて」
アドニスが言うと、バーニーがアドニスの前で膝をつき頭を伏せる。バーニーの頭の上にアドニスが手をかざした。
潤は動けずにいた。笑ったアドニスはバーニーに罰など与えないと思う。そう信じたかった。
穏やかな風が体を掠めていく。
降り注ぐ光は優しい。
もし神がいるなら、罰を与えることなど望んでいないと思う。
「バーニー、コリンもサライもこれからが大変だと思う。だから、お願い」
アドニスがかざしていた手を下ろす。
「アドニスさま……」
バーニーが顔をあげると、その顔色は赤みがさし明るくなったような気がした。
「僕にできるのは、これだけだから」
「ありがとう……ございます」
顔を伏せたバーニーは体を硬くしたまま、しばらく動かなかった。
軽やかに、バーニーは空を飛んで帰って行った。
空は青かった。
変わりなく心地よい風が体を掠めていく。
手の届くところに愛しい人はいて。
この地で生きていくのだ、と潤は思った。
Fin.
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
ご意見、ご感想等いただけましたら嬉しいです。
色々と思うことがないわけではないのですが。
頭の中がうまくまとまりません。
とりあえず、大団円!のつもりでいます。
ケンについては個人的に一押しでもあるのですが。
気が強いけれど気が優しい奥さんをもらって、平和な日々を送っているんじゃないかと思ったりします。
アドニスの宮から持ってきためちゃさわり心地の良いラグの上で、ケンJrとキアとフェイとキアとフェイの子供が光の中でじゃれあっていたらいいなあ。
キアがケンJrにむぎゅっと潰されて、ひいひい言っているのもかわいいかも。
見上げる空には、アドニスの愛情がいっぱい詰まっているわけで。
それを日々感じていたらいいなあ、と。
思う人が近くにいる幸せとはまた別の幸せがあるんじゃないかと。
でも、一番はアドニスであって欲しい。
アドニス、欲しいなあ……。
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