「なんで、潤がここに?」
アドニスが怪訝そうな声を出す。そして、すぐに顔を歪めた。
「だめだよ、潤。潤は地上に帰った方がいいんだ」
激しく頭を振る。
「大人しくしてろ」
ケンは言うと、アドニスを抱き上げた。
「待って、ケン。潤に話が」
「話なら寝ながらでもできるだろ。明日でもいいじゃないか。まだ時間はあるんだ。」
「でも……」
アドニスが不安そうな顔をしながら、ケンに抱かれて潤の横を通り過ぎて行った。
「潤」
ケンにベッドに下ろされて、アドニスが不安そうな声を出す。
「少し、ついてやってくれないか」
ケンが潤に向かって言った。
「ん」
潤がベッドの縁まで行くと、アドニスに腕を掴まれた。
「どこにも行っちゃだめだ。僕が守るから」
ぎゅっと腕を掴んでくる。
「ん。どこへも行かないよ」
答えると、潤はベッドの縁に腰掛けた。
「俺は向こうに居るから」
ケンが声をかけてくる。
「うん。分かった」
潤が答えると、ケンはふっと笑った。
「ケン」
アドニスが呼びかけると、
「話は明日にしよう」
後ろを向いたままケンは答え部屋を出ていき、まもなく明りが落とされた。

「良かった……」
アドニスが潤の腕を撫でながら呟くように言う。
「ごめん、心配かけて」
まさか、これほどの心配をされるとは思っていなかった。
「いいんだ。潤が無事なら」
ふぅと小さくアドニスが息を吐く。
辛いのかなと潤は思った。
「話は明日聞くよ。だから、今は寝なよ」
潤はアドニスの頭にそっと手を置いた。
「もう、どこへも行かない?」
アドニスがぎゅっと腕を掴む。
「俺にはどこにも行くところなんてないよ」
「……どうやって、ここまで?」
アドニスが不思議そうな声を出す。
「明日にしよう」
潤はアドニスの頭に置いた手でそっと撫でた。
「ん……うん……」
少し納得いかないような声で頷いて、アドニスはゆっくり目を閉じた。
きっと、体は辛いのだろうと潤は思った。胸が痛かった。これほどまでに思われた記憶はなかった。

アドニスの寝息が聞こえてきて、腕を掴んでいた手が緩んでくると、アドニスの手をそっとベッドに置いて潤は立ち上がった。
ゆっくり部屋を出て、暗がりの中を手で探りながら、椅子を捜すと腰を下ろした。
「アドニスは寝たのか?」
暗い中からケンの声が聞こえた。
「ん」
小さく頷く。大きな声をたてて起こしたくはない。目蓋が熱くなってきて出てしまいそうになる嗚咽を飲み込んだ。
「あまり時間は無くなったな」
ケンはぼやくように言った。
「なんで?」
地上へ戻れると言われた時が変わったということは聞いていない。
「データスさまが動き出す前にどうにかしないと、どうにも動きが取れなくなる。お前がもしデータスさまの手にかかったりしたら、あいつはどうなるか分から ない。力が大きいだけに、自分の力をあいつが自分で制御できなくなったらここだってどうなるか分からない」
ここも?
「俺が決めればいいの?」
「それだけじゃだめだ。お前が選んだ結果をアドニスが受け入れなきゃ意味がない」
「……そうだね」
人を黙らせる力をアドニスは持っている。
「あのわからずやはどうしたら、みんなの気持ちが分かるのかね」
ケンが大きくため息をついた。
「……アドニスはアドニスで、苦しんでるよ」
それでなければ、自分の命を犠牲になんてしないだろう。
「そんなこと、分かってるさ」
ケンはつまらなそうに呟いた。
「少しでも寝ておいた方がいい。朝早くからお客さんが来るだろうから」
「えっ? 誰?」
まさか、もうデータスさまとかいうアドニスの父親がやってくるのかと思ったら、それこそ暢気に寝ていられない。
「アドニスがいないことを知ったら、アーリーもバーニーも大騒ぎだ」
「あ、そうか」
潤は少しほっとした。
アドニスの父親という人に会ってみたい気もする。けれど、怖い存在であることは間違いない。
「場所、代わってやろうか?」
ケンが起き上がった気配がした。
「ううん、いいよ。寝られそうもない」
いつも落ち着いていて冷静だと思っていたアドニスの別の一面を見て、気持ちは高ぶっていた。信じられないけれど、原因は自分にあるらしい。
「俺もだ」
ケンがぼそっと呟いた。
潤は立ち上がると、窓辺に近づいた。窓を見上げると青い星が見える。
そこには両親や兄や友達がいて、もう二度と会えなくていいのかと言われれば躊躇う気持ちもある。
でも。
「家が恋しいか?」
ケンの声がした。
「分からない……」
元気でいてくれるならいいや、と思う気持ちはある。家族にべったりくっついていたわけではなくて、幸か不幸か会いたい恋人がいるわけじゃない。友達も、時 とともに変わっていく。一緒にした悪戯とか、楽しかったキャンプや、懐かしく思い出すことはあって、これから先どうしても会いたいと思うことがあるかもし れないけれど、それは分からない。
「頼りないな」
「ん……」
分かっていたら、きっともう決めていた。
けれど、ひとつだけはっきりしていることがあると思う。
もしも記憶そのままに帰ったならば、絶対、アドニスに会いたくなる。記憶がなくても、何か残っているものがあるような気がする。倒れそうになったアドニス を咄嗟に抱きかかえたのは、とても大切なもののように思ったからだ。
「決めたよ、ケン」
「ん?」
「俺は残る」
どちらもきっと後悔する。ならば、今の気持ちに正直になるべきだと思った。

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