「アドニスは、俺に―――― 一緒にいると息が詰まるって言ったよ」
「聞いておりました」
それはケンにも言ったことだった。
「息がつまるっていうのは、一緒に居るのが嫌だからだろ?」
他にどんな意味があるのか分からない。
「愛情を持ち触れたいと思っても触れることができない方がいれば、息が詰まるのではないですか?」
「は? 俺に触れられない理由なんてないよ?」
嫌がった覚えはない。嫌がったのはアドニスの方だった。
「アドニスさまには、きっとあったのだと思います。心の中まで計り知ることはできません。ただ、ひとつ言えることは、一度とは言え、アドニスさまの決心を 変えたのは潤さまだけです。私が何を言おうと耳を傾けて下さらなかった。ケンが何を言おうと応えはしなかった。データスさまに何を言われてもはぐらかして いた、アドニスさまがあなたに会って変わったことは事実です」
「そんなこと言われても……」
実感がない。自分がアドニスに何かしたとは思えない。
「あなたがこのまま帰ったとしても――――少しの間だけでも長くアドニスさまと居ることができたことは感謝します。ありがとうございました」
バーニーが丁寧に頭を下げる。
返す言葉がなくて、潤は顔を伏せた。
感謝されることなんてないと思う。何も変わらない。ケンはアドニスを救う方法があると言った。けれど、それも、たぶんという但し書きつきだった。
食事を済ませた後、バーニーは深く頭を下げて、空へ飛び立って行った。



「おい!」
突然呼びかけられて潤が顔を上げると、ケンが潤の皿を指指す。ケンの示す先には、細切れになった肉の残骸ともいえるものがあった。手にはナイフとフォーク を持っていて、たぶん自分で切ったのだと思う。
「あ……」
無意識に手を動かしていたらしい。
「ぼんやりするのは、食ってからにしろ」
「……うん」
頷くと、潤は肉の欠片を口に含んだ。
バーニーやアドニスの顔が浮かび、あまり食欲は無かった。
「お前が羨ましいよ」
「え?」
潤が聞き返すと、ケンは苦笑した。
「明日からどうする?」
「どうするって言っても……」
何も予定はない。バーニーが迎えに来るまであと半月ほどある。
「じゃあ、畑仕事でもするか?」
「ん、そうさせてくれると助かる」
何もしないでいても、良い考えが浮かぶとも思えなければ、決心ができるとも思えなかった。自分がこれから生きていく場所を決めなければいけない。
「ベッドを使っていいから、早く寝るといい。起きてぼんやりしているくらいなら、寝ている方がいい。頭で考えるときっと後悔するぞ」
「そうかな……」
「感情は考えるもんじゃないだろ?」
「そうだね」
時に、感情ってやつは頭で考えることとは正反対なことを思っている。

どうすればいいのか。
どうしたいのか。
ベッドを貸してもらって体を滑り込ませて、そんな事を考えているうちに、潤は意識がなくなっていた。

遠くで何かが叩かれる音がすると思っていたのはドアだったらしい。
ふっと意識が戻ると近所迷惑だろうと思うようなけたたましいノックの音がしていた。
「分かったよっ。誰だよ、こんな夜中に」
ケンが叫ぶ声が聞こえて、明りがつきドアが開く音がした。
「ケンっ」
飛び込んできたアドニスの声に、潤は体がびくんと震えた。
「ケン!」
アドニスの声は震えていた。
「どうしたんだよ」
「潤がっ――――」
――――俺?
耳をそばだてながら、けれど、潤はアドニスの切迫したような気配が伝わってきて、気後れして出ていく気にはなれなかった。
「まあ、とりあえず、中へ入れよ」
ケンの声の後、ドアが閉まる音がした。
「ケンっ、どうしよう」
いつも穏やかなアドニスの声が酷くうろたえたように揺れていた。
「どうしたんだよ」
「のんびり話なんかしてられないっ。すぐにでも捜しに行かなくちゃ」
「誰を?」
「潤だよっ」
「どこへ?」
「それが分かっていたら、もう行ってるっ!」
「そりゃ、そうか」
「どうしよう、どうしたらいいんだろ、どこへ行ったっ――――んっ」
一瞬アドニスの声が途切れた。
「っ――――こんなことしてる場合じゃないんだ!」
アドニスの叫び声が聞こえて、かたんと椅子の足が鳴る音がした。
「――――少し落ち着けよ」
「落ち着いてなんかられないよっ。朝、宮を出て行ったきり戻ってこないんだ。バーニーはいないし、アーリーは少し一人で考えたいことがあるって出て行っ たって言うし、だけど、潤は森に足を踏み入れたことなんて無くて、どこへ行ったかも分からなくて、きっとお腹すかしていて、もしかしたら、崖に足を取られ ているかもしれないし、河に落ちたかもしれないし、道に迷って彷徨っているかもしれないし――――どうしよう。どうしたらいいんだろう」
最後は涙声になっていた。
「で、俺にどうしろって言うんだ?」
「分からないよ。だけど、居てもたっても居られなくて、ケンどうしよう。僕が頼れるのがケンしかいない」
「それは、光栄だな」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだ。どうして? いつもなら、もっと真剣に考えてくれるだろ?」
「じゃあ、お前は?」
「え?」
「お前は、いつも俺のいう事を真剣に考えてくれたか?」
「……ずるいよ。こんな時にそんなことを持ち出してくるなんて……」
「お前はそんなにあいつが大事?」
ケンの言葉の後、アドニスの答えは無かった。

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