「勝手にすればいいよ」
潤に背を向けるように、アドニスはケットを頭までかぶってベッドにうつ伏せた。
淡い光が突然消えて、部屋が暗闇に包まれる。

「うん、そうするよ」
ケットの中に手を滑りこませ、アドニスから剥ぐようにすると、腕を伸ばしてアドニスを抱き込んだ。
びくんとアドニスの体が反応したけれど、文句もなければ抵抗することもなかった。
柔らかい光が自分の腕の中にあった。
なんでこんなことをしているんだ、と思う。
相手は男なのに触れたいと思う。腕の中に抱きしめたいと思った。
何も考えず思いのまま抱きしめた途端、潤は腕の中に切なさを感じた。正体の分からない行き場のない悲しい想いが胸の中に広がっていく。
自分の気持ちであるわけはなく、だとすれば、アドニスの気持ちが伝わってくるのだろうかと思った。光る体なんて自分は知らない。秘めた能力があったとして も納得はできる。

「決めた」
空寝をしている腕の中に向かって潤は呟いた。
「永遠の愛とやらを誓ってやろうじゃん」
咄嗟の思いつきだった。
「ダメだよっ」
潤の腕を弾くようにアドニスが身を翻し上半身を起こす。顔は困惑を表していた。
潤もゆっくりと上半身を起こした。
「俺が決めることだろ?」
ケンはそう言っていた。アドニスの意志はまるっきり無視をした言い方だった。
「だから、さっそく明日にでも、ケンってやつのところまで連れていったくれよ」
気に入らないやつだけれど、そういうことになっていた。
「だめだよ。連れていかない。次に扉が開く時潤は地上へ帰る。それが一番いいんだ」
それはそうかもしれない。帰してくれるというのだから――――。
けれど、どうしても心残りができそうな気がした。
「じゃあ、いいよ。バーニーでも、アーリーでも、世話をしてくれるやつに連れていってもらうさ」
知らない仲じゃないだろうと思う。さすがに上も下も右も左も分からないところで、探し出すとは言えなかった。
「だめだよ。だめだよ、潤」
まっすぐ見てくるアドニスが泣きそうな顔をする。顔を歪め目が潤んできていた。
「じゃあさ。教えてよ。今までのこと全部。俺が無くした記憶とやらを補えるように」
そこに何があるのか。
それが分からなければ決めるなんてことはできない。
その中に何かヒントがあるかもしれない。
「だめだよ、潤」
アドニスが激しくかぶりを振る。
「いいよ。あんたには頼まないから」
アドニスに背を向けると、潤は床に足を落とした。
「だめだよ、潤」
アドニスが制止するように後ろから抱き込んでくる。
「だめだよ――――」
アドニスは同じ言葉を繰り返した。
それしかないの? と思った。
もっと脅し文句なら一杯ありそうなのに。
宇宙へ放り出すぞ、とか。
飯を食わさないぞ、とか。
いっそのこと監禁するとか。
アドニスにいたっては、ただ無事に家に送り届けたいらしい。
変なの――――と思わずにはいられない。
じゃあ、自分はなんでこんなところに居るんだよと思う。
アドニスの言葉を拝借するなら、理由があるはずだ。
「俺は決めたから。だけど、俺が無くしたっていう記憶を教えてくれたら、また考え直すけどね。とんでもない秘密があるかもしれないじゃん?」
誰も教えてくれないような直隠しするような何かは、もしも知ったら飛んで帰りたくなるようなことかもしれない。
教えてくれと言って適当なことを言わないあたり信用できそうな気がした。
ぞんざいな態度もない。悪い人達ではないのだろうと思った。
あくまでも、自分が持っている記憶の中では。

振り向くとアドニスの顔が間近にあって心臓がどきんと跳ねて、思わず顔を戻した。
きれいなだけじゃない。惹かれる何かを持っていた。それは、顔にも声にもちょっとした仕草にも。
今も。
体を押しとどめている手がふっと浮いて、けれどその手は目的を失ったかのようにまたぎゅっと抱きしめてくる。そんな仕草にもそそられる。その手を掴んで押 し倒したいとまで思ってしまう。
「考え直すだけじゃ……だめだよ。記憶が戻ったらもうそれ以上は何も聞かないで帰るって約束してくれたら――――」
「教えてくれるのか?」
「ん……」
耳元でアドニスが頷いた気配を潤は感じた。
知りたい。
けれど、大人しく帰る約束をさせられるのは癪にさわる。約束なんて破るためにあると言えばそれまでだけれど、騙すようなことをしたくはない。
どうする?
日頃使っていない頭がそうそう良い案を出せるとも思えなかった。
「……約束すればいいのか?」
とりあえず、面倒そうな事は後回しにすることにした。あと半月ある。その間に何か良い案が浮かぶかもしれない。
「絶対だよ!」
アドニスが語尾を強める。
正直、口約束なんてものは良心に蓋さえすればいくらでもできる。
「……分かった」
少し躊躇って、了解した。
何も分からなければ、何も始まらない。
「絶対だよ」
もう一度、アドニスが念を押すように言う。
「約束するよ」
何について約束するのかは、後で考えようと潤は思った。とりあえず知りたい。
「じゃあ……」
体に巻きついていたアドニスの手が離れていく。別にこのままでもいいのにな、と思ったけれど、やっと、ここまでこぎ着けたのだから下手なことを言って臍を 曲げられたら困る。
ベッドがぎしっと揺れて、アドニスがベッドから下りた。
「ちょ、待てよ」
どこへ行くつもりだよ、と思った。教えてくれると言ったばかりだった。
「そのままで」
アドニスが手をかざしてくる。
「すぐ終わるから、目を閉じて」
向かいに立ったアドニスが目の前に手をかざす。そんな気はなかったのに、潤は目を閉じていた。
「そのままじっとしていて」
アドニスの声が頭の中で木霊のように響いていた。じっとしていてと言われても、と潤は思った。なぜか体に力が入らなくてぴくりとも動かない。頭から体に送 られているはずの信号はどこかですっと消えてしまうようだった。

真っ暗の頭の中にぼつっぼつっと映像が浮かんでくる。
そうだよ、と思った。
子犬を拾った晩、無理矢理連れてこられた。
早回しで送られていく映像は、アドニスに椅子に座らされたところで真っ暗になった。逃れたくて何かを掴んだところでふっと体が緩んで目を開けると、不安そ うなアドニスの顔があった。
時間は全て繋がった。
「何も聞かない約束だよ」
何も言わないうちからアドニスに釘を刺された。
記憶は繋がった。
けれど、肝心なことは何も分かってはいなかった。


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