ドアの先にある部屋には入った途端体が固まってしまうほどの驚きがあった。
複雑な彫刻の施されたクロゼットもテーブルも天蓋付きのベッドもどこかの王室が持っている城の中のようなテレビの中の世界で、自分の住むところとは遙にか
け離れたものを潤は感じた。
アドニスは部屋の中ほどのある椅子に腰をおろした。
ここが目的の場所だったのだと思い、潤はアドニスの脇を通ると部屋の奥の窓まで進んだ。
「え――――」
声が詰まるほどの驚きも窓の外にあった。
ここは高い崖の上に建っている建物らしい。下には大きな街があり、空には半分ほどを覆うのではないかと思うほどの白く大きな月があった。その先にも白く大
きな天体がある。
自分の知らない場所であることは確かだった。
「一番景色がいい部屋なんだ」
背後からアドニスの声が聞こえた。
「あ、そうなんだ」
確かに見晴らしは抜群だと思う。
「半月は長いね……」
アドニスがため息をついた。
その半月とは次に地上に下りれると言っていたときまでだと思う。
潤はその時間が長いのか短いのか分からなかった。それまでに答えを出せと言われていることがある。
迷う必要なんてない気がする。
こんなわけが分からないところにいるより、家に帰ったほうがいいはずだ。地球上じゃないなんて言われたら尚更。
なのに、あの時、帰ると言えなかったように、今聞かれたとしても、答えられないと思う。
今の状況が、自分がなぜこんなところにいるのかが分からないということもある。それだけではなくて、どうしても気になる人がいる。
家に帰るということは、もう二度と会えないのだろう。
二度と会えないのは嫌だな、と思う。
相手は男でしかも会ってまだ間がない。なのに、こんな気持ちになってしまうことは不思議だった。
しばらく、潤はぼんやり窓の外を眺めていた。
「戻ろうか」
かたっと木を叩くような小さな音がしてアドニスが席を立ったのだと思い、潤は窓を背に振り向いた。
「なぜ、ここに来たんだよ。意味がないことはしないんだろ?」
アドニスに向かって問い掛けた。
「厳しいんだね」
椅子に手をかけて立っていたアドニスが苦笑する。
「何も教えてくれないからだよ」
知りたいと思う。たとえそれが意味がないものだとしても。
立ったまま、アドニスは考えるように目を伏せた。
「……息苦しかったから」
少しの沈黙の後、アドニスは力なく答えた。
「はあ?」
たとえここが宇宙なのだとしても、何の装備もなく普通に息ができる。ということは、空気はあるはずだ。ここはアドニスの住まいで慣れ親しんだところだろ
う。だとすれば、
息苦しい理由は一つしかないように思えた。
「それって、俺がいるからってことか?」
自然に顔が歪んでいた。なんでそんなことを思われなきゃいけないんだ、と思う。
アドニスは答えを避けるように顔を背けた。
それが答えだと潤は思った。
「部屋を……僕の部屋じゃなくて、ちゃんとした部屋を用意するよ。この部屋はだめだけど、宮の中を案内するから気に入った部屋を選んで」
顔を背けたまま後ろを向きアドニスは部屋を出て行こうとした。
一緒にいると息が詰まるから部屋を別にしてくれってことか?
そう思い、それしかないだろうなと思う。
けれど。
「俺が選んでいいなら、今のところでいいよ」
別の部屋なんていったらそれこそもう姿を見ることはできないだろう。
「でも、それじゃ……」
アドニスがふいに立ち止まって振り向いた。困りげな顔をしながら視線を向けてくる。
「俺が部屋から出なければいいんだろう」
潤は言い捨てるとアドニスに近づいた。
一緒にいるのは嫌だと言われたようなものだった。
「あんたはここに居ればいい。俺が戻るから」
言いながら潤はアドニスの横を通り過ぎた。
一緒に戻れば同じことだ。息苦しいとまで言われて一緒に居る義理はない。
ただ少し胸の痛みを感じた。
通り過ぎる時少しだけアドニスは悲しげな顔をした。
なんでそんな顔するんだよ、と思う。
一緒に居たくないというから気を利かせただけだ。なのに自分が悪者になった気分だった。
潤はわざとドアをばたんと大きな音をたてて閉めた。ドアの音は廊下に木霊のように響いていた。少し歩いて振り返ってみたけれど、アドニスが後を追ってくる
よ
うな気配はなかった。こっちから離れたことに清々しているのかと思うと癪に障る。
何が永遠の愛だよ、と思う。
俺がどうのと言う前に向こうが迷惑がっている。
長い廊下を戻って部屋に入ると、潤はベッドの上に転がった。
「半月が長いっていうのはこっちの台詞だよ」
文句がでる。何もすることはない。暇を潰す相手もいない。
何もすることはなく潤がベッドの上でごろごろしていると、ドアをノックする音がした。
「潤さま。お食事の支度が整いました」
ドアの向こうからバーニーの声がした。
不思議なもので、何もしていないのに時間がくれば腹はすいてくる。
「今、行く」
声をかけて、潤は小さくため息をついた。
食事の時はアドニスを顔を突き合わすことになる。息苦しいと言われたことが頭に引っかかっていた。
ためらいがちにドアを開けるとバーニーがテーブルへ促す。けれど、テーブルの上には一人分の用意しかされていなかった。
「アドニスは?」
ふと疑問が口から出た。
「アドニスさまはお食事はいらないとおっしゃられておりました」
――――え?
いつの間に、と思う。
「では、後で下げに参ります」
バーニーは丁寧に頭を下げ部屋を出て行った。
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