ケンが部屋を出て行って少し時間が経ってからドアがノックされた。
アドニスが応えるとワゴンを引いたバーニーがキアと共に入ってくる。
魚の煮付けと温泉卵といんげんの胡麻あえにのりとみそ汁、そしてほかほかの白い御飯がテーブルの上に並べられた。
「何も考えることはないよ、潤」
箸を手に取ったアドニスが言う。
「半月後になってしまうけれど、ちゃんと家まで送りとどけるよ」
続けたアドニスは、目の前の食卓へ手を合わせ祈りを捧げるようにして、お椀に手をかけた。


「アドニスさま、王宮へは行かれるのですか?」
食器を片付けながらバーニーが聞いてくる。
「行けるわけがないよ。行ったら、きっと、もう放してはもらえない」
「では……」
「あと半月、宮の中で大人しくしているよ」
アドニスは寂しげに答えた。
「明日から、アーリーと交代になるのですが」
バーニーが手をとめる。
「あ、うん。アーリーにはちゃんと僕から説明する」
「では、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げて、バーニーは片付ける手を動かし始めた。


食事の後、テーブルの上には冷たいお茶と果物が置かれていた。
アドニスは何か考えているのかテーブルの上のものには手をつけず、ただ視線を伏せていた。
「訊いてもいい?」
潤はアドニスに向かって言った。疑問は山ほどある。
「何も知る必要はないよ」
アドニスが頭を振る。
「それであんたはいいかもしれないけど、俺は納得できないよ」
「いいよ、納得してくれなくても」
アドニスはかたんと小さな音をたてて席を立った。
「どこへ行くんだよ」
潤は苛立ちを感じた。何も分からない。知っているやつは教えてくれようとはしない。
「どこへも行かない。部屋は自由に使っていいから」
それだけ言うと、アドニスが部屋を出ていく。
「待てよ」
潤が席を立ちアドニスを追いかけてドアを開け左右を見回すと、廊下を歩くアドニスの姿があった。
「待てって言ってるだろ」
走ろうとしても裾の長い服は扱いづらくて、早足にしかならない。
ただ、声を聞いたらしいアドニスは振り向くとそこに立ち止まっていてくれた。
「走らない方がいい。直ったばかりだしくせになったらよくないよ」
アドニスが足元を見やる。
――――は?
何の話だと潤は思った。
ケンも怪我がどうのと言っていたけれど、最近怪我をした覚えはない。
「なんかさ。俺だけ何も分からないってずるくないか?」
どうしてこんなことになっているのか、訊く権利ぐらいはあるはずだ。
アドニスがくすっと笑う。
「潤は、全然ずるくないよ」
柔らかく笑うアドニスに潤は一瞬見とれてしまった。
「……ち、違うだろ。ずるいのはあんた達だよ」
何を隠しているのか。何かを隠しているのは分かるのにそれを知る手立てがない。自分が優位にたてそうなものは何も考えられない。
「そう、ずるいのも悪いのも全部僕。それは分かってる。過ぎてしまった時間を戻すこともできない」
素直に認められてしまって、潤はかえって何も言えなくなってしまった。
「殴りたければ殴っていいよ。潤が望むことがあるなら、それが僕のできることなら……なんでも叶えてあげる」
まっすぐ見てくる透き通るような鳶色の瞳は小さく揺れていた。

殴りたいなんてことは思わなかった。
なんでも叶えてあげる、と突然言われても何もでてこない。
じゃあ、家に帰してくれと言えば薮蛇になる。
相手は帰してくれると言っている。拘束されているわけでもなければ、食事も美味しかった。
何でも?――――そう思ったら、潤の頭にふっと浮かぶものがあった。
「なら、話してくれよ。全部。どうして俺はここにいるのか。何があったのか。怪我って何のことなのか。ここはいったいどこなのか」
地球の外にいるなんてことは何がどうなったとしても信じられない。
「どうしても知りたい?」
アドニスが意味ありげな顔をする。
「決まってるだろ」
自分が今おかれている状況を知りたくないやつなんていないだろう。分からないことがそれだけで不安に繋がる。
「知ってどうするの?」
「そんなの――――ただ、知りたいだけだよ」
知らないうちからどうするかなんて分からない。
「なら、知る意味なんてないでしょう?」
まるで、だだっこをあやすようにアドニスは言った。
「意味のあることしかしちゃいけないのかよ」
「そうだよ!」
今まで柔らかかったアドニスの口調が厳しいものに変わった。ともに表情も硬くなる。
「意味のないことをして、結局それは潤の時間を奪っただけだった。もう、これ以上潤に迷惑をかけることはできないよ」
アドニスはすっと身を翻すと先に行く。
「ちょっと待てよ。どこへ行くんだよ」
あわてて、潤はアドニスの後についた。
「どこにも行かないよ」
前を向いたまま歩く速度も落とさずアドニスは答えた。
何を言っても無駄なのかもしれないと潤は思った。頑なアドニスの態度に隙は感じられなかった。
ただまっすぐにアドニスは歩いていた。
どこまで続くのだろうと思った廊下の突き当たりにはドアがあった。

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