目蓋の向こうが明るく感じた。
潤が目を開けると、天井がぼんやりと目に映る。白いそれは自分の部屋じゃない。
段々とはっきりしてくる意識に違和感を感じた。手を握っていたはずだった。なのに自分の手の中には何もなくて、体はベッドで横たわっている。ベッドには自
分一人しかいない。
「アドニスっ」
急に胸の中に不安が湧いてくる。こんなことがあった気がした。
「アドニス!」
潤はベッドを飛び降りるとドアに駆けより急いで開けた。開けてその先を見て息を呑んだ。
アドニスはソファにケンと並ぶように座っていた。
並ぶ、というより寄り添うという言葉の方があっている気がした。
「起きた?」
アドニスが柔らかく笑う。
そして。
「キア、おいで」
アドニスは部屋の隅で戯れている犬達に向かって言った。一匹が顔を上げ、アドニスのもとへ走っていく。アドニスはキアを手に乗せると、愛しそうに頬擦りを
した。
「バーニーに食事の用意をお願いって伝えてきてくれる?」
「わぁん」
キアはアドニスに答えるように鳴くと、アドニスの手を飛び降り、ドアの脇にある小さな穴から外へ出て行った。
「そんなに、驚いた顔しないで」
アドニスが困った顔をする。
驚いた、というのとは違うと潤は思った。起きたときアドニスが消えていたことに強い不安を感じた。なぜ、そんなことを思ったのだろうと思う。考えるより
先に体は動いていた。ドアを開けてアドニスがいたことに安心して、けれど、隣にいるやつを見て不快感をもつ。この感情は今までに感じたことがないものだっ
た。
「ちょっとお前に聞きたいことがあるんだけど」
ケンが身を乗り出してくる。
「いいんだ、ケン。だめだよ」
アドニスがケンを制した。
「何?」
すかさず潤は声を出した。
一人だけ仲間外れにされたような気がした。
「あいつは聞きたいらしいぞ」
ケンがアドニスを見る。
「いいんだ。潤は地上へ帰る。それが一番いいんだ」
アドニスはケンを手で押しとどめるようにして小さく頭を振った。
「それは、あいつが選べばいいんじゃないの? 自分のことなんだから」
「知らなければそれがいい事もある。僕にとっても、潤にとっても」
そうは思わないぞっ。
潤は心の中で呟いた。
全てを分かっているやつはそれでいいのだろう。けれど、知らないことは不安でもあり好奇心もくすぐる。
「なんだ、お前知るのが怖いの?」
ケンがアドニスの頭に手を置いた。
「……怖いよ」
アドニスがケンに背くように顔を伏せる。
少し意外そうな顔をして、ケンはアドニスの頭を撫でた。
「ちょっと待ってくれよ」
潤は声をあげていた。二人の会話が気に入らなかった。自分のことらしいのに、勝手に進んでいく。それに加えて、やたらケンの態度が馴れ馴れしく感じる。
「聞いてもいいか?」
ケンがもう一度聞いてくる。
「俺のことなんだろ? なら俺に聞けよ勝手に決めないでくれよ」
何がどうなっているのかも分からず、他人動かされるのはごめんだと思う。たとえ、それで後悔したとしても、知らないより知りたい。
アドニスが顔を伏せたままケンの手を握った。
潤はそれにいらっときた。掴んで離してやりたい、と思った。
「お前、アドニスに永遠の愛を誓える?」
「……は?」
ケンの口から出てきた言葉は意外すぎて、潤は呆気にとられた。
――――永遠?
何のドラマだよ、と思う。あいにく昼の時間帯にやっているようなドラマに興味は無かった。
「次に地上へ降りることができるまで半月ほどある。その間にその答えを出せ。今度は保留はなしだ」
「ちょっと待てよ。それってどういう意味だよ」
永遠どころか、愛なんてことも考えたことは無かった。それに、男同士だ。
「言葉通りだ。お前はアドニスがいれば他には何もいらないと思えるか?」
「何言ってんだよ。昨日会ったばかりのやつに、そんなこと分かるかよ」
その前に会った記憶はない。言葉も数回交わしただけだ。
だいたい、他には何もいらないってどういうことだよ、と思う。言葉通りを取るなら生きていくことさえできない。
「答えを出せないならそれでもいいさ。お前は地上へ帰る。それだけだ」
「じゃあ、答えを出したら?」
他に何がある?
「誓えないなら、同じさ。帰ればいい」
「誓えるなら?」
「それは、その時だ」
「待てよ!それじゃ話にならないだろ」
そんな話は腑に落ちない。両方分かってこそ選べるのだと思う。
「なら、帰ればいい」
ケンが事も無げに言う。癪に障るやつだ、と思った。
「お前が誓えるというなら、俺のところへ来い」
「俺はお前のところなんて知らないよ」
ケンの言葉を信じるならここは来たこともないところで、ケンがどういうやつでどこに住んでいるのかなんて知らない。
「アドニスに言えば連れてきてくれるさ、な」
ケンがアドニスを見る。
アドニスはケンの手を掴んだまま顔を伏せていた。それがなぜか気に入らない。アドニスに馴れ馴れしいやつの言いなりになるのも気に入らない。だからといっ
て突っぱねていいのかど
うかも決めかねた。
「じゃあ、俺の用事はそれだけだ」
潤が何も言えずにいると、ケンがアドニスの手をはがしソファから立ち上がった。
「待って、一緒に食事を」
アドニスがケンを見上げる。
帰るって言っているんだからほっとけばいいだろと、潤は心の中で愚痴った。早くケンが消えればいいと思う。ケンの存在自体が気持ちをかき回す。
「食事はいらないとバーニーに言ってある。贅沢すると後が辛いからな」
ケンがアドニスの髪に触れると、撫でるようにしてすぐ離した。
なんだよ、それ、と思う。
いちいちやることが気にいらない。
「それに、畑が待ってるから、あんまり無駄な時間も過ごしたくないんだよな」
「人を雇えばいいのに」
アドニスが目を細める。
潤は眉を潜めた。そいつにそんな顔するなよ、と思う。どうしても感情がマイナス方向にしかいかない。たぶんというより絶対、昨日会ったばかりの自分よりケ
ンの方がアドニスとの付き合いは長いだろう。だから馴れ馴れしく感じたとしてもそれは当たり前のはずだ。だから、こんな感情を持つことの方が変なのだと、
頭では理解できる。けれど、胸の中ではそんな考えはくしゃっと潰されて小さくなって消えていき面白くないと思う気持ちだけが残る。
「お前がくれたものだから、誰にも任せたくはないさ」
ケンがアドニスに笑いかけると、アドニスは切なげに顔を歪め視線を伏せた。
「それに、早く知らせないとデータスさまも落ち着かないだろう。馬車も借りたままだ」
「何て言うの?」
顔を伏せたままアドニスがケンに問いかける。
「そのまま言うさ」
「でも、そうしたら……」
「まあ、俺んところにうるさく言いに来るかもしれないけどな。ほっとくよ。あいにく、俺は忙しいんだ」
「また、迷惑かけちゃうね……」
アドニスの声が辛そうだった。
この声が曲者なんだ、と潤は思った。なぜか心を揺すぶられる。意味もなく同調しそうになる。
「こんなのは迷惑だとは思わない。だけど、今度は逃げ出すなよ」
ケンの言葉にはっとしたようにアドニスが見上げて、しばらく二人は見つめあっていた。
まるで、恋人同士にも思える二人の会話を聞きながら、潤は湧き上がってくる不快感をどうすることもできずにいた。
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