どうしたらいいのだろうと潤は思った。
この人を床に寝かせて人を呼びに行った方がいいのだろうか。
けれど、知らない場所を動き回ることもどうかと思うし、堅い床に寝かせてしまうことも躊躇われる。部屋には連絡手段になるようなものは何もなかった。
良い案も浮かばず潤が思案していると、部屋の外からばたばたと複数の足音が聞こえてきた。
「だめだ、ケン」
慌てたような声も聞こえた。
「とりあえず、アドニスに会ってからだ」
答えた声は落ち着いていた。
部屋のドアが乱暴に開けられて、潤が顔を向けると男が二人入ってくる。助かった、と思う反面知らないやつが増えたことに小さな不安を感じた。タキシード姿
で顎髭
をたたえた紳士とTシャツにラフなズボン姿の精悍な青年は不釣りあいで、抱きかかえているやつの姿を含め、いったいここはどこなんだと思う。
「アドニス!」
「アドニスさま!」
部屋に入ってきてすぐ二人は一様に叫ぶと、駆け寄ってきた。
「どうしたんだ」
若い方が潤を睨んできた。
「え……」
それを聞きたいのはこっちで、潤は何も答えようがない。
「とりあえず、部屋へ」
紳士が叫んだ。
「ああ」
若いやつが潤の腕からひったくるように力ない体を抱き上げる。
「バーニー、ドアを開けて」
声に答えるように、まるで自動ドアのようにドアは開いた。
呆気に取られる潤を尻目に、若いやつは部屋を出ていった。
「潤さまも一旦部屋へ」
紳士が手を差し伸べてくれる。
「え、あ」
どう答えていいのか分からなかったけれど、手を出すと紳士は立ち上がらせてくれた。
「あの……」
潤が声をかけると、紳士が顔を向けてくる。
「何でしょうか」
「ここはどこ?」
ベッドの上で寝ていたはずだった。いつの間に何があってどうなったのか。
紳士は顔を曇らせた。
「それは、後ほど……」
軽く頭を下げる。
「まずはお部屋の方へ」
紳士の手は部屋の入口の方を促した。
とりあえず、危害は加えられないようだから従うしかなさそうだと潤は思った。
通された部屋は柔らかそうなラグが敷かれていて、彫刻が施されたテーブルセットと革張りのソファがあった。
部屋の隅には真っ白い小さな犬が二匹寝ていた。
「こちらでお待ち下さい」
紳士が頭を下げる。
どうしたらいいのか分からずに、とりあえず窓辺にあるソファに座った。
窓の外を見上げると今まで見たことがない大きい月が見えた。
入ってきたところとは違うドアがかちゃっと小さな音をたて、さっきの若い男がでてきた。
「アドニスさまは?」
紳士が問い掛けると、若いやつはかぶりを振った。
「気力を全て使い果たした感じだな。少し休ませないとだめだろう」
「そうですか」
紳士が答えて、少し沈黙が流れた。
「お前はどうする? 帰る?」
突然、若いやつが潤に問い掛けてきた。
「え?」
「家に帰りたい?」
そんなことを聞かれても答えに困ると潤は思った。
今の状況が何一つ分からない。せめてここはどこでなんで自分がいるのかくらいは知りたい。
「今帰らないとしばらく帰れないし、もしかすると帰れなくなるかもしれないぞ」
「はあ?」
突然、そんなことを言われても更に困る。
「アドニスさまは潤さまをお帰しになるとおっしゃっておりました」
紳士が口を挟んでくる。
「じゃあ、今、アドニスがあんな状態なのに、何があったのか分からないまま帰すってのか?」
「それは――――」
紳士が口を噤む。
「こいつに決めさせればいいだろ。自分のことなんだから」
若いやつが潤に視線を向けてきて、紳士もそれに倣うように潤を見る。
「そんなこと言われても」
いったい今どういう状況なのかも分からず、答えなんて出せない。
「潤さまにこちらでの記憶はないようですので、決めろと言われてもご無理ではないかと……」
紳士が小さなためいきをついた。
――――記憶がない?
それってどういうことだよ、と潤は思った。
「それでも、今決められるのはこいつだけだ。どうする? 帰るか、残るか」
「保留、ってのはなし?」
どちらも選べない。どっちを選んでよいのか分からない。
「いいさ、な、バーニー」
若いやつが紳士に向かって言う。
紳士はバーニーというらしい。倒れたやつがアドニスで。ということは若いやつがケンだ。
「致し方ございません」
紳士は目を伏せた。
「では、お茶の用意をして参ります。アドニスさまの意識が戻られるまで楽にしてお過ごし下さい」
丁寧に頭を下げると、バーニーは部屋を出ていった。
「何があった?」
ドアが閉まる音がすると、ケンが聞いてくる。
「それは俺の方が聞きたいよ。ここはどこであんた達は誰だよ」
まったく見当がつかない。新手の誘拐団にしちゃずいぶん礼儀正しい。
ケンはふんと鼻をならした。
「せっかくアドニスが消した記憶を戻すのは気が引けるが、何も知らないではすまないよな」
ケンは言いながら、ソファを回り窓際に立った。
「ここは月の周りを回っている。あそこに見えるのが月だ。その向こうに地球がある」
「え――――」
潤は口を開けたまま、固まった。
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