ケンはベッドの端に腰をおろした。
「あいつは、子供の頃から女が苦手だった。それは成長しても変わらなくて、それを回りは許してくれなかった」
それは、第一王子という立場からすれば理解できる。
「ん」
潤は相槌をうった。

「データスさまは、アドニスを溺愛している。男でも女でもアドニスを敬い慕うものは多い。だけど、アドニスは傍に人をおかない。それがなぜか分かるか?」
潤は頭を振った。
「バーニーから弟の宮よりもはるかに人は少ないとは聞いた。でも、それがどうしてなのかまでは教えてもらってはいないよ」
それでも豊かな暮らしだとは思っているけれど、アドニスは質素な生活を好んでいるのかと潤は思った。
「アドニスは自分の身を沈めるつもりでいた。それがアドニス自身一番納得できることだからだ」
――――身を沈める?
「それって、どういうこと?」
「お前は、王族のしきたりをどう聞いた?」
ケンが顔を覗き込んでくる。
「あ、王族は同じ種族では子をもうけることができないことと、神獣にマーキングされたものは子を産むか命を落とすかでしか宮を出られないこと、三年の間に 子 ができなければ生贄に捧げられるということ? かな」
とにかく、このままでは自分は生贄に捧げられることになる、と思った。
「それだけか?」
「そうだと、思う」
後は記憶にない。
「だから、三年の間に何か良い案を捜すとアドニスは言ったんだ」
そう言って、抱いて、そしてアドニスは姿を消した。
「あいつがそんなことを言ったのか」
ケンは意外そうな顔をした。
面白くなかったかな、と潤は思った。
さっさと帰せばいいだろうと言ったのはケンだ。それにアドニスもバーニーも言葉を返さなかった。ということは、すぐに帰すことができる方法があるというこ とだ。それをアドニスは言わなかったばかりか、必要もないのに留めようとしたことになる。

「でも、少し違っていたかもしれない。色々言われたからごっちゃになったかも」
自分が言ったことでアドニスがまた責められるのだとしたら、それは望むことじゃない。
ケンはふっと笑った。
「あいつの周りは、あいつを守ろうとするやつばっかりだ」
気持ちを見透かされたと思った。
「疲れただろう。もう、休むといい」
ケンが立ち上がった。
「待って、身を沈めるってどういう……」
「アドニスが言わなかったのなら、知る必要はないってことだよ」
その言葉は聞いたことがあった。バーニーも以前同じことを言っていた。
「でも、無理矢理連れてこられたんだ。それくらい教えてくれてもいいだろ」
疑問を抱えたままでは帰るに帰れない。
「結局、帰るときにここでの記憶は消されるんだ。意味のないことだよ」
「記憶を?」
消される?
アドニスに会ったことも、バーニーやケンやキアやフェイのことも忘れる?
「覚えていたところでもう二度と会えないんだ、意味はないだろ? 会いたいと思うのならばそれは辛いだけだ」
地上へ帰ったら、もう会えない――――。
「おやすみ」
ケンは潤の返事を待たずに部屋を出て行った。
しばらくすると、漏れてきていた明りが消えて部屋の中は暗闇に包まれた。

足が治ったら地上へ帰る。
記憶は消されて、前の平和だけれど退屈な日が返ってくる。
それは、喜ばしいことのはずだ。
ここにいても、生贄にされるだけだ。
アドニスの気持ちはよく分からない。何を考えているのか分からない。
されたことを思えばアドニスは酷いやつのはずなのに、潤はどうしてもそう思えなかった。
ベッドに横になっても、寝る気にはなれなかった。
今度アドニスと会ったときは、たぶん、帰るときになる。
このまま別れることになる。
それは嫌だと思っても、どうしたらいいのか分からない。


ふと気がつくと、部屋の中は明るくなっていた。
「やっと起きたのか」
ケンがベッドの縁に腰掛けて、見下ろしていた。
「あ、ごめん」
急いで起きようとして、潤は足に痛みを感じた。
「……っ」
「まだ、無理しちゃだめだ」
足は痛みを感じていた。この痛みがある限りここに居られる。ふと、そんなことを考えた。
「ニ、三日でよくなるだろう。だからそれまで大人しくしていることだ」
ここに居られるのは、ここでの記憶を持っていられるのは、たったそれだけ。
「食事の支度ができているから、向こうまで抱いていってやるよ」
ケンが腰をあげた。
「あ、いいよ。ゆっくり歩いてみる」
いつまでも抱いていてもらわなければいけないほど柔なつもりはなかった。
「遠慮するな」
上体をゆっくり起こしたところをひょいっと抱き上げられる。
「アドニスから預かった大事なお客様だからな」
それは、きっとその言葉通り取ればいいのだろう。けれど、相手がアドニスの恋人だと思えば、厭味にも取れた。
所詮お客様でしかないんだよ、と言われている気がした。
足が治ったら、帰らなければならない。

テーブルの上には何も入っていない白い器と皿に盛られたパンがあった。
「今、スープを盛ってやるよ」
ケンが静かに椅子の上に下ろしてくれる。
「ん、ありがとう」
全てをやってもらうことが、少し心苦しかった。
ケンは白い器を取ると、暖炉にかけられた鍋からすくって盛ってくれた。湯気があがっているスープは透明でじゃがいもや人参の野菜がごろんと入っていた。
「食えよ」
スプーンを手にしたケンが促す。
「あ、うん。いただきます……」
潤は手を合わせた。
宮の食事とはあまりにも違った。
けれど。
「じゃがいもが甘い……」
舌の中でほくっと崩れたじゃがいもに甘味を感じた。
「ああ、俺が作ってるやつだからな」
ケンが得意そうに言った。
贅沢なものではない。けれど潤は、スープが体に染みていくような気がした。


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