「まずは、手当てが先だな」
ケンはまた潤の前に跪いた。
床に置かれた白い器の中には緑色のものが見えた。布を一枚取ると、それに緑色のものをたっぷり塗りつける。それを足首に当てられると、ひんやりとして潤の 体はびくっと反応した。
「骨は折れてないみたいだから、しばらく大人しくしていたら直るよ」
布を足首に巻き、ケンが顔をあげて、言ってくる。
「どうも……」
素直に礼を言う気にはなれなくて、言葉はぶっきらぼうになった。
ケンは立ち上がると、大きくため息をつく。
「さすが神獣が選んだやつというか、どこから見てもとことん女らしくないやつだな」
ケンがぼやくように言った。
女じゃねえよ――――潤は文句を心の中で言い捨てた。
これだけ明るいところで見てんだから分かれよ、と思う。ほんとに、どいつもこいつも――――。
「こいつなら、お前、勃つんじゃねえの?」
続けられたケンの言葉に潤は体が固まった。
バーニーはどうしたらいいものか分からないような複雑な顔をし、アドニスは苦笑いをして顔を伏せた。
「潤は男だよ」
顔を伏せたまま、アドニスは答えた。
「へ? 男なのに子供が産めんのか?」
ケンが不思議そうに言う。
「産めねえよっ!」
今度の文句は声に出した。
いいかげんにしろよ、と思う。男と聞けばそれくらいわかれよ、と思った。
「はあ? 神獣にはずれはないはずだろ」
ケンが怪訝そうな声を出す。
バーニーは小さく咳払いをした。
「通常雄の神獣を使わすことになっています。雌の神獣を使わした場合の記録は私が知るかぎりはございません」
「どういうことだよ」
バーニーの言葉にケンが目を細めて険しい顔をした。彫りの深い顔は怖いほどに感じた。
「潤はフェイが選んでくれた人なんだ」
「はあ?」
ケンは視線を潤へ向けた。ケンの厳しい視線が自分に向けられて、思わず潤は体を硬くした。
「それは、故意なのか?」
ケンの視線は自分に向けられているけれど、その問いは自分に向けられているものではないだろうと、潤は思った。あの時自分に避ける手立てはなかった。
「そうなるの……かな」
アドニスが答えると、ケンはアドニスの方を向いた。
「アドニスさまは――――」
バーニーが声を出す。
「バーニーには何も聞いてないよ」
ケンに遮られ、バーニーは口を噤んだ。
「お前、どうするつもり?」
アドニスに向けられたケンのその問いは潤も知りたいことだった。
自分はどうなるのだろう。アドニスは地上へ返してくれると言った。けれど、アドニスが最初に言っていた選択肢の中に、それはない。

「ちゃんと潤は帰すよ」
「じゃあ、なぜすぐに帰してやらない。こいつにはこいつの生活ってものがあるだろ。お前のわがままで無駄な時間を過ごさせるのがこいつのためになるとは思 えない。それくらい分かるだろ? 」
「分かる……よ」
アドニスが素直に答える。
「俺がお前を追い返さなかったのは、いくら神獣が選んできたやつでも勃たなくて凹んでいるんだと思ったからだ。違うっていうなら、お前は宮へ帰ってちゃん と自分のやるべきことをやれ」
厳しいケンの声が部屋に響いた。
バーニーは難しい顔をしたままで、アドニスは何も答えず顔を伏せているままだった。
「アドニス」
ケンはアドニスに近づくと、そっと頭に手を置いた。
「決めていたことではあっても、その時になると逃げたくなる気持ちはわかる。お前がずっと悩んでいたことも苦しいと思っていたこともわかるつもりだ。で も、関係のない人間を巻き込んじゃいけないだろ」
ケンの声は今までとは違う柔らかい声だった。
「ん……」
アドニスが項垂れるように頷く。
「アドニスさまは故意ではあっても、誰にも迷惑をかけないですむ方法をと思ったのです。誰も選ばれなければ――――」
「そんなこと分かってるよ。だけど現にこいつを連れてきちゃったわけだろ。そんな時のことを考えていなかったとも思わない。すぐには帰せなかった理由はあ るんだろ? だからといっていつまでも延ばしているわけにもいかないんじゃないか?」
ケンはアドニスの頭に置いていた手を離すと、今度はアドニスの肩に触れた。
「ん、ケンの言う通りだね」
アドニスが顔を上げた。瞳が濡れて光っていて、揺れていた。
「ただ、足は直してやらないとな」
ケンがアドニスの肩をぽんと叩く。
「ん」
頷いて、アドニスは目を伏せた。


淡い光の粒が揺れながら、暗い空を流れていた。
潤は窓枠に手をついて、小さくなっていく光の粒を追っていた。
「きれいだろ?」
後ろから声をかけられて潤は「ん」と頷いた。
足が治ったら地上に帰してくれるらしい。
その頃に迎えに来ると言って、アドニスはバーニーと共に空へ上って行った。
アドニスを追いかけてきたはずなのに、一人残されてしまっていた。こんなことなら、バーニーに言われた通りに大人しく待っていればよかったと思う。
所詮、腹水盆に帰らずだ。
もうすぐ地上へ帰れる。
けれど。
潤は帰れることが嬉しいのかどうか分からなかった。


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