「アドニス、いたぞ」
男の声に呼応するように、辺りにはまた闇が戻った。
見つかってしまったことに、潤は情けなさとともにほっとしたものを感じた。
「寝転ぶなら場所を選んだ方がいい」
男は手を差し出してきた。起こしてくれるつもりらしい。
潤が素直に手を出す気になれなくて顔を背けたら、呆れたようなため息が返ってきた。
そして。
「お姫さまは他の男には触られたくないようだよ。アドニス」
後ろを向いて吐き捨てるように言う。
「潤」
アドニスの呼ぶ声はすぐ近くに聞こえた。
なぜ、この声に熱いものを感じてしまうのだろうと思う。
男の影から現れたアドニスは、脇に膝を落とした。
「不安にさせたよね、ごめん」
どこからこんなに優しい言葉がでるのだろうと思う。
「とりあえず、ケンの家に戻ろう」
あいつはケンというのか、と潤は思った。
足はまだじんじんとした痛みを持っていて動かすことが怖かった。ただ声をかけられたからと言って素直に従うこともなんだか癪だった。
「それとも、怒ってる?」
アドニスが不安そうな声を出す。
「そういうわけじゃなくて……」
意志に反して潤はアドニスに答えていた。
どうしても勝てないらしい。まるで自分がわがままを言って拗ねているような気分になってくる。ゆっくり体を起こそうとすると、足に強い痛みを感じた。
「……っ」
「どうかした?」
「足が……」
逃げ出そうとしたから、罰があたったのかもしれない。ここからは見えなくてもあの神殿にやっぱり神はいて、逃げられないように足を縛りつけたのかもしれな
い。
確かに足には蔦が絡まっていた。
アドニスの手が足首に触れて、潤の体はぴくっと震えた。
「少し熱を持っているね」
アドニスの温かい手が優しく撫でる。それだけで痛みが引いていくような気がした。
「ケン、潤を抱いて家まで戻れる?」
アドニスが後ろを向く。
「ふん、たかが女が一人だろ。片手でも大丈夫だ」
女だと思っているらしい。
「えっと、まあいいや。お願い」
アドニスは訂正することなくすっと退いた。その代わりにケンが近づいてきて腰を落とすと、背中へ腕を入れてくる。
なんで女だと思われるんだと思う。この国にやつはどいつもこいつも……と思いながらも潤は体を動かせずにいた。
「なんだ? ずいぶん、体がしっかりしてるんだな」
ケンは意外そうな声を出した。
当たり前だ――――そう思ったけれど、潤は口には出さなかった。
こいつはアドニスと唇を重ねていた。
そういう関係ってことだ。
「体つきの割に、重いんだな」
そうだろうよ、女じゃないからな。
御託は心の中で呟いた。
別に何かをされたわけじゃないのにもやもやする。もしかして嫉妬っていうものなのか、と思ったら虚しくなった。
ぶつぶつ言いながらも、ケンはさほどの苦労もなく潤を抱き上げた。
――――お姫様だっこってやつ?
確かに体を横にされていると足が楽だと潤は思ったけれど気持ち的にはくすぶるものがあった。
この形は男として情けないと思う。
けれど、歩ける自信はなかったし騒いで醜態を見せたくもなかった。
空中を飛ばされるより、人の腕が支えてくれることは安心感があった。
バーニーがドアを開けると、アドニスが先に入ってその後にケンに抱かれたまま潤は家の中へ入った。
ドアには何の装飾も施されていなかった。そしてその中も簡素なものだった。
大きなテーブルがひとつ、その奥にある木で作られた長椅子の上には薄いクッションが敷かれていた。他には簡素な木の椅子が二つあり、部屋の奥には火が焚か
れていない暖炉があった。窓にはカーテンもない。低い天井も木目があらわになった木が並んでいる。
カントリー風といえば聞こえはいいかもしれないけれど、装飾というものが一切施されていない家の中はそこにアドニスがいることが似合わない気がした。
潤は長椅子の上に座るように体を下ろされた。クッションが敷かれているにもかかわらず、潤は椅子の硬さを感じた。
ケンは潤を下ろすと、そのまま体を屈めて足首に触れた。
「……っ」
アドニスとは違う、乱暴にも思えた扱いに足は痛みを強く感じた。
「捻ったみたいだな」
呟くように言うと、ケンは立ち上がって部屋の脇にある入り口を抜けていった。
「降りたときでしょうか。すみませんでした、気をつけたつもりなのですが」
バーニーが顔を曇らせる。
「違うよ」
潤は頭を振った。
待っていろと言われたバーニーの言いつけに従うことができなかったからだ。歩くぶんにはそれほど不都合は感じなくても、動き辛い服だということは分かって
いたのに。
「バーニー、責任は全て僕にあるんだ」
アドニスがバーニーの肩に手を置いた。
「そうだな」
ケンの声が聞こえて、けれど姿は見えなかった。狭い家だから、声はよく聞こえるのだろうとは思う。ケンが入っていったところにはドアさえない。
潤はこれほどはっきりとアドニスに文句を言う人間を見たのは初めてだった。
そういえば、アドニスを呼び捨てにしていた。
それも、恋人だと思えば納得できる。
「お前のことを突き放すことができなかった俺にも責任はあるかもしれないけどな」
声が近づいてきて、ケンが姿を現した。
手には白い器と布を持っていた。
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