潤の頭の中はぐるぐると回っていた。
今にもしゃがみこんでしまいそうになる体を必死に支えていた。
忍んで、と言ったバーニーの言葉がふっと頭に浮かぶ。
恋人?
そう考えれば、辻褄が合う気がした。
「潤さま? 大丈夫ですか?」
先を歩いていたはずのバーニーが戻ってきた。
「ご気分がお悪いのですか?」
潤の顔を覗き込み、そして窓へ視線を向けた。
誰かが見ているとは考えてもいないのだろう。重なりあうように絡まる体はまるでTV画面に映される恋人達のような、窓から見える光景はまさにそのものだっ
た。
「どうなさいますか?」
バーニーの声は優しかった。
「ここでお待ちいただければ、アドニス様がどのように考えていらっしゃるのか私が聞いてまいりますが」
聞いてどうする?
何のためにここまで来たのか潤はその意味が分からなくなっていた。
「……では、こちらでしばらくお待ちください」
潤の応えを諦めたらしいバーニーは頭を下げると背中を向けた。
バーニーの背中が暗闇に溶け込んで消えていくと、潤はその場でしゃがみこんでしまった。
自分はたった一晩遊ばれただけだった。
そのことが情けなくて悔しかった。そのたった一晩のことが忘れられずに追いかけてきたのに、向こうは恋人と楽しい時間を過ごしていた。
興味から抱くだけ抱いてみたけれど、もう会いたくもないってこと?
勝手に連れてきたくせに。
命まで奪おうとしているくせに。
ふかふかのベッドと贅沢な食事さえ与えておけば、それでいいと思っている?
潤は立ち上がると、反対方向に走り出していた。
元の世界へ返してくれると言ってもどこまで本気だか分かりはしない。
もしかしたら自分のために何かをしてくれているのかもしれないと少しでも思ったことが、潤はばかばしくなってきた。
たとえ手違いであったとしても、嫌だと言ったものを無理矢理連れてきたのはそっちだ。
その結果は自分達には痛くも痒くもないのだから、別にどうでもいいことなのだろう。
無理矢理連れてきたやつを生贄にすれば、それで全ては終わる。
終わるのは自分だけだ。後は何も変わりはしない。
アドニスも。バーニーも。
「あっ……」
裾が何かに引っかかった。
こんな服着てくるんじゃなかった。そんなことを思っても今更で、何かに引っ張られるように倒れる体をどうすることもできなかった。
「い……っ」
地面に倒れこむと足と腕に痛みが走った。丁度腕の下には枯れ枝があったようだった。それで引っ掛けたらしく手の甲は血が滲んでいる。
足には何かが絡まっていると思ったら蔓のようだった。
「くっ……」
起き上がろうとして痛む足に力が入らなかった。はずみで捻ってしまったのかもしれなかった。
「なんで?」
天を見上げると、青い星が光っていた。
あそこに自分はいたはずだった。
確かに退屈な毎日だったけれど、楽しいこともあった。
「なんで?」
自分はいったい何をしたのだろうと思う。
なぜ、こんな罰を受けなければいけないのだろう。
もう、動くこともできない。
潤は体を捻るとあお向けに転がった。
「なんで?」
夢であって欲しい。
なのに、痛む手と足はこれは現実だと知らしめるようだった。
「本当に、ここ?」
唐突にアドニスの声が聞こえた。
酷いやつだと思うのに、声を聞いた途端胸の奥が熱くなるのを潤は感じた。
「はい。そうなのですが」
バーニーが応える。
何も遮るもののない草原は声をよく通した。
「でも、いないよ」
ちらっと声のする方へ視線を向けると、柔らかい光の中にアドニスの姿が見えた。脇にもう二人の影が見える。きっとバーニーとアドニスと一緒にいたやつだと
潤は思った。
「ここで待っていただくように申しあげたのですが」
バーニーの言葉の後少し沈黙があった。
「何にせよ。早く捜しださないとまずいよね」
アドニスの優しい声が心の中に沁みてくる。
放り出していったやつなのに。
人のことを散々脅して自分はイイコトしてたやつなのに。
優しい声音と口調はマイナス方向へ向かおうとする感情を消し去ってしまう。
「アドニスさま、下手なことをさればばれてしまいますよ」
バーニーの声に少し焦りが見えた。
「大丈夫だよ。少しだけ。だから早く捜して」
「ですがっ!」
バーニーの声が大きく険しくなる。
バーニーもアドニスに意見するときがあるんだ、と潤は不思議な気持ちで聞いていた。
灯台下暗し――――声がはっきり聞こえるほど近いところにいるのに分からないらしい。それは、夜の闇と草に隠されているからだ。
見つかってしまったら、どうすればいいのだろう。
見つけてもらえなかったら、どうなってしまうのだろう。
どちらにしても、先はないように思える。ここにいるのだと声をかける気にはならなかった。
何も声は聞こえなくなって、けれど突然、目の前が明るくなった。
――――え?
潤が周りを見回すと空中に浮かんだアドニスが光を放っていた。まっすぐ伸ばした体に腕を少し開くようにおろし、顔は天を見上げるように少し上げ、髪はきら
きらと光を放ち肩先で揺れていた。まるで天使のようなその姿に潤は見入ってしまった。
ふいに黒い影がアドニスを隠す。
「そこ、気持ちいいか?」
声をかけてきたやつは黒い影になっていて顔は見えなかった。けれどがっしりしているように見える影と聞いたことのない声は、アドニスと一緒にいたやつだと
潤は思った。
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