少しの間、潤とバーニーとにらみ合っていた。
正確に言えば潤は睨んでいたけれど、バーニーは少し困った顔をして潤を見ていた。
「……潤さまに森に入られてはアドニスさまにお叱りを受けてしまいますので、アドニスさまがおっしゃったことをお伝えします。ただ、その前に食事をお済ま せ下さい」
バーニーは丁寧に頭を下げた。
バーニーはただ主人に従っているだけだ。それは、言葉の端々に感じる。今も、アドニスの名前がでてきた。バーニーにとってアドニスは絶対逆らえない相手だ と思える。
教えてくれるとバーニーは言ったのだから、従うのがいいのだろうとは思った。
「誤魔化したりしないよね」
潤は一応確認した。
「はい」
バーニーは頭を下げたまま答えた。
「分かった」
潤は用意されていた椅子に腰掛けた。
正直、一人で森に入ることは賢いことだとは思えない。
「それでは、後で片付けに参ります。その時に」
バーニーが後ろへ下がる。
時間稼ぎをされてしまったのかなと少し不安に思ったけれど、バーニーは逃げだしたりしないだろうと思った。
「うん。分かった」
潤が答えると、丁寧にもう一度頭を下げてバーニーは部屋を出ていった。
美味しそうなものが並んでいるのに、一人で食べるのは味気ないような気がした。二匹はいつもの定位置で寝そべっている。食事の時間は違うらしい。
釘をさされているから、また誘うことはできなかった。
食事の後――――それがバーニーが出した条件だった。
「いただきます」
小さく呟くと、潤はナプキンの上に置かれているフォークを手に取った。


「アドニスさまはしばらくお戻りになりません」
皿を全て片付けた後、バーニーは口にした。
「いつまで?」
「聞いておりません」
「なぜ?」
「聞いておりません」
「なんで聞いていないんだよ」
不満であり疑問だった。
「私達に必要なことは言ってくださいます。おっしゃらないということは私達が知る必要はないということです」
「いつ帰ってくるかもどこにいるのかも分からないのに、それで困らないってこと?」
アドニスはこの宮の主人のはずだ。
「何を困ることがあるのですか?」
反対に聞き返された。
「誰かが尋ねてくるとか、食事の支度だって、困るだろ」
夜、父から電話がかかってくると、母は必ずといっていいほど文句を言った。作ってある食事が無駄になるからだ。ただ無駄になるわけではなくて、朝に回され たり弁当のおかずになったりするわけだけど、おもしろくないらしい。
「この宮に訪ねてくるものは誰もおりません。アドニスさまは帰ってきてから食事の支度をすればよいと言ってくださいます。これでよろしいですか?」
「え……っと、でも急な用件ができてアドニスに連絡をとりたい、とかないの?」
宮の主人というだけでなく、一国の王子なのだから。
「急な連絡が必要な場合は直接本人のもとへ伝える神鳥が王宮におります。アドニスさまがどちらにいっらしゃろうと、その神鳥は正確にアドニスさまの元へ参 ります」
「あ……っそ」
他には何も浮かばなかった。
「ただ、私達は与えられた職務を行うだけです。アドニスさまは潤さまを丁重におもてなしするように言われて行かれました。私達がすることはそれだけです」
「それでいいわけ?」
「いけませんか?」
潤は答えに詰まった。
アドニスが今どこにいて何をしているのかを知りたいと思う。けれど、自分よりはるかにアドニスを慕っているだろうと思える人たちにはそれは必要のないこと らしい。
自分は変なのだろうか、と思った。
アドニスがどこで何をしているか、いつ帰ってくるかを知ったところで何も変わりはしない。
「では、よろしいでしょうか」
バーニーが顔を傾げる。
もしかしたら――――と潤は思った。
自分を地上へ返してくれるために、アドニスは走り回っているのかもしれない。
だとしたら、自分が文句を言うのはおかしい。
「あ、うん。ありがとう」
バーニーも自分の仕事を真っ当にこなしているだけだ。
「では、失礼します」
バーニーが丁寧に頭を下げて部屋を出ていく。

時間には美味しい食事が用意されて、何もすることはなくただぼんやりと過ごしていればいい。そんな生活は聞く分には羨ましいだろうと思う。
地上へ戻ったときの心配もあれば、生きて戻れるのだろうかという不安もある。
けれど、それらはまだ遠いことのように思える。
今は、アドニスのことが気になる。
もしも、「おやすみ」の一言が言えたなら「おはよう」の一言が言えたのなら気持ちはだいぶ違ったものだろうと思う。
体を満たすものと荒い息遣いと小さく上下する体、それが最後に感じたことだった。
もう少しこのままでいたい、そう思った意識はいつの間にか落ちていて、気がついたときにはアドニスの姿は消えていた。
しばらく会うことができないのなら、尚更、一言声を聞いてから行って欲しかったと思う。
しばらく――――その抽象的な時間は酷く長いように思えた。


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