高い塔に幽閉されるお姫さま――――ふとそんな考えが潤の脳裏に浮かんだ。
塔のような狭いところではなくて不自由もないから状況は違うけれど、この窓からの眺めはまさにそんな感じだと思った。

実際、アドニスの母は今の潤のように毎日外を眺めていたのではないかと思う。それ以外にすることなど思いつかない。
掃除も食事の支度もしてくれる人がいたはずだ。
毎日ぼんやりと主となる人を待っている生活。
それも、自分の意志とは関係なくどことも分からない場所へ連れてこられて、初めて会った人を。

――――早く帰ってこないかな
そんなことを思う。
昨日初めて会ってその晩に体を合わせた。しかも相手は男だ。
言葉にすれば冒険で、昌生言ったらかぶりつくように子細を訊いてくるだろう。
自分がそんなことになるなんて、夢だったようにも思う。けれど、朝の体の重さは今までに感じたことがないものだった。
感じた愉悦も今までに感じたことがないものだった。
全てが初めての体験で、今、その人を思う自分がいる。
一目ぼれなんてよくあることだけれど、駅のホームにかわいい子がいたりすると気になったりすることもあるけれど、この気持ちはそんな軽いものじゃないと思 う。
昨日の今日だ。
だからかもしれない。
あの時の熱をおぼろげながら体は覚えている。

「こちらにおいででしたか」
背後から声が聞こえて、あ、そうだった、と潤は思った。
昼には部屋に戻っていなくてはいけなかった。
「ごめん」
潤が振り返ると、部屋の入り口にバーニーが立っていた。細身で姿勢のよい体にはタキシードがよく似合っている。
「この部屋が気に入られたようですね」
バーニーがゆっくりと部屋の中へ入ってくる。
「あ、すごく景色がいいから……」
言い訳を口にした。
実は少し違う。アドニスがいるところが見えると思ったからだ。
確かに景色もきれいだけれど、たとえ、他は何も見えなくてもそこにアドニスがいるのだと思うところが見えるのなら、そこを選ぶだろうと思う。
実際見ていたのは王宮だった。

「では、こちらの部屋で昼食になさいますか?」
「いや」
潤はあわてて頭を振った。
「部屋へ帰るよ。部屋に戻るように言われていたのに……ごめん」
キアとフェイはと潤があたりを見回すと、ニ匹はベッドの上でいちゃついていた。一匹がもう一匹の頭を手で撫でていたりする。もう一匹は目を閉じて、ごろご ろ喉を鳴らしていた。声をかけていいのかと、一瞬躊躇ったけれど潤は二匹に近づいた。
「キア、フェイ戻るよ」
潤が声をかけると二匹そろって顔をあげた。その顔は不満げに見えた。
「御飯だよ」
潤が言うと、撫でていた方がすくっと立ってもう一匹にも立つように促した。先に立った方がキアなんだろうと思った。キアとフェイの歳はわからないけれど、 キアはきっと花よりだんごだろうと朝の様子を見ても思う。
キアはさっさとベッドを降りると、潤に早く戻ろうと言いたげに「くぅん」と鳴いた。


昼食は冷製のトマトパスタだったけれど、のりとねぎの千切りがトッピングされていた。
「アドニスは帰ってないんだよね」
一人分の用意を見て、それでも潤はバーニーに聞いた。
昨日はお祝いの膳を呼ばれているから戻らないと言っていた。ということは、仕事で出ていても食事のために戻ってきたりするということだと思う。
「はい」
丁寧な返事はそっけない。
「いつもそう?」
「そう、と申されますと?」
バーニーが怪訝そうな顔を向けてきた。
「どこへも、いつ帰るかも、告げないまま出て行くのかってこと」
どこへと聞いても、いつ帰ってくるのとを聞いても、バーニーは聞いていないと言った。
「いえ、そうではありません」
「じゃあ、今回は特別ってこと?」
潤は急に不安になってきた。
アドニスが帰ってこない原因は自分にあるのかもしれない、と思う。
バーニーが少し困った顔をして、それが不安を大きくした。
「アドニスは怒っていた?」
「いえ、そんな様子はありませんでした」
「でも、いつもと様子が違っていた?」
バーニーは更に困ったような顔をすると視線を伏せた。
「潤さまが心配なさることは何もありません。時を見てアドニスさまが地上へ戻してくださいます」
「そんなこと聞いてない」
それは無視できない大きな問題ではあるけれど、今聞きたいのはそんなことではなかった。
「何を知ってる? 教えてよ、バーニー」
「いえ、私は何も知りません」
「嘘だ!」
叫んだ潤に、バーニーは視線を伏せたまま、何も言わなかった。
「教えてくれないなら、俺がアドニスを捜して直接聞く」
考えることより先に言葉がでていた。
「どうやって捜しに行かれるつもり、ですか?」
バーニーが訝しげな視線を向けてくる。
この宮は深い森と崖に囲まれていた。
「森には限りがあるだろ。歩いていけばいつか出れるはずだ」
その前に迷って、出ることはできなくなってしまうかもしれない。
「この森は初めての人間が通りぬけることができるほど簡単なものではありません」
「いいよ、それでもっ」
なんでこんなにムキになっているんだろうと頭の片隅で潤は思った。
不安な気持ちがある。
そのもやもやした気持ちを早く消してしまいたかった。


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