早くアドニスに会いたいと潤は思っていた。
早く会ってあやまりたい。
いいよ、そんなこと――――アドニスはそう言ってくれるような気がする。
けれど、実際その言葉を聞くまでは落ち着かない。
食器を下げにきたバーニーはふと気がついたように顔をあげた。
「潤さま」
「何?」
手伝いをしようとして丁重に断わられ、椅子に大人しく座っているところだった。
「暇であることについて、アドニスさまにご相談されましたか?」
それは、すっかり忘れていたことだった。
「いえ、できなかったんです」
なんとなく言葉が丁寧になる。言っている自分もなんだか変な気がする。
「では、キアとフェイの世話をお願いしてよろしいでしょうか。いつもはアドニスさまがして下さるのですが、今日は置いて行かれてしまったので」
「あ、うん。いいよ。何をすればいい?」
言葉がいつものものに戻ってしまって、あっと思ったけれど、もういいやと思った。長い付き合いになりそうだった。どうせすぐに本性はばれてしまうだろうと
いうより、今更繕ってみたところでばれているだろう。
「遊んでやって下さい」
――――え?
「それだけ?」
「はい。食事は時間にお持ちします」
食事と言われて、潤は思い出したことがあった。
「あの、さっき、朝食をこいつらに少しあげてしまったけど、まずかったかな」
せっかく思い出したのだから、一応聞いておいた方がいいだろうと思う。
バーニーは一瞬きょとんとした顔をして。
「少しでしたら構いませんが、潤さまのためにあまりしない方がよろしいですよ」
釘をさすように言う。
「あ、うん、分かった」
行儀という点では良いことではないだろうとは思う。変なくせをつけてしまってからでは遅いということも分かる。
ふと見たTV番組で甘やかせすぎて凶暴になっていまった犬や贅沢な食事を与えすぎて太って動けない犬を見たことはあった。
「あ、それから」
潤は続けた。
「あの、アドニスのお母さんの部屋へは入ってもいいのかな」
はるか遠くまで見渡せる窓からの景色はずっと見ていても飽きないように思えた。
「アドニスさまが何もおっしゃっていらっしゃらないのでしたら、よろしいですよ」
言葉の端々にアドニスがいる。この宮は全てアドニス中心に回っている。
それは、当然と言えば当然のことかもしれないけれど、潤には少し違和感があった。
ここまで絶対的な存在の人を見たことはなかった。
「宮の中でしたらご自由に歩いていただいて構いませんが、森の中へは入りませんように」
バーニーは続けた。
「あ、うん。分かってる」
深そうな森は、あっという間に方向が分からなくなってしまうだろう。
「お昼にはこちらにいらして下さい」
「あ、うん」
「では」
バーニーが頭を下げる。これで昼まで人との会話はできないらしい。
ドアが閉められると、部屋の中には一人とニ匹が残された。
キアとフェイはそこが定位置であるかのように、ラグの上に寝そべっていた。
見るからに暇そうだ。
神獣とアドニスは言っていたけれど、潤にはきれいな犬にしか見えなかった。
「そんなに、そこは気持ちいいのか?」
潤は二匹に近寄ると、ラグの上に腰を下ろした。その途端、風を感じた。
ちょうどそこは風の通り道になっているらしい。緑の匂いを運んでくる風は優しく肌を撫でていく。
「いいかも」
潤もニ匹と同じように寝そべってみた。
短いのに柔らかいラグの毛は肌触りが良かった。目を閉じれば柔らかい叢の上に寝ているような感じに思えた。
「くぅーん」と耳元で鳴き声が聞こえて、潤ははっと飛び起きた。
「え……っと」
頭がぼんやりとしていた。何していたんだっけ、としばらく考えて、ラグに寝そべっていたんだと思い出した。そのまま寝てしまったらしい。
「脳みそ腐りそう……」
ただでさえそんなに使っていないのに、ここに来て更に使わない。
「くぅーん」
目の前のやつがもう一度鼻を鳴らす。
「えっと、何?」
聞いたところで分かるはずもないが、他にどうしたらいいかも分からない。同じ顔をしているから、今鳴いているこいつがキアかフェイかも分からない。
もう一匹はラグを上をごろごろと転がっていた。
この一人とニ匹に共通することは暇ってことだ、と潤は思った。
「散歩にでも行くか?」
バーニーは遊んでやって欲しいと言っていたが、犬を飼った経験のない潤にはどうしたらいいのか分からなかった。
ごろごろ転がっていたやつの動きがぴたっと止まって、むくっと起き上がる。やっぱり、犬の遊びは散歩らしい。
目の前で鳴いていたやつは、はぁはぁと小さく舌を出して尻尾を振っていた。
「じゃあ、行くか」
潤は立ち上がった。
目的地は決まっていた。
この宮で一番景色が良いとアドニスが言っていたところだ。変化のない、右を見ても左を見ても変わることのない景色の先にその部屋はある。
ニ匹は交互に潤の周りを回るように駆けながら付いてきた。
初めて来た時は、ずいぶんと長く感じた道のりを今日はその時の半分ほどに感じた。
一応ドアをノックして開く。
目の前には昨日と同じ姿があった。きれいに整えられた部屋は窓が開けられていて、白いレースのカーテンが小さく揺れていた。
潤はまっすぐに窓へ行くと、窓枠に手をかけた。
「あそこにいるのかな」
潤は街のほぼ中央に位置するだろう王宮に向かって呟いた。
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