アドニスが宮を案内してくれているうちに太陽は傾いてきて、潤のお腹もぐぅと鳴った。
ゆっくり歩いていたからか、ニ、三時間では全てを見ることはできないらしい。
潤のお腹の音にアドニスは笑みをこぼし、
「夕食を早めてもらうよ」
と言った。
アドニスはジュードとエディも潤に紹介してくれた。
ジュードは日焼けした肌とたくましい体を持っていて、反対にエディは白く細身の体は華奢な感じがした。
二人は潤が男であることに驚く様子もなくアドニスの姿にすぐに体をかがめ頭を下げる。驚きがないのはバーニーが先に知らせていたのかもしれないと潤は思っ
たけれど、一番感じたことはアドニスに対する忠誠だった。
身長は同じくらいだと思うのに、ジュードやエディの前ではアドニスが自分よりも大きく感じた。
バーニーだけじゃない、この宮にはアドニスに逆らうものはいない。
部屋に戻ると、ラグの上ではキアとフェイがじゃれあっていた。
ただの犬ではなかったらしい。
ドアがノックされてバーニーが部屋に入ってくると、二匹は揃ってバーニーにじゃれつく。
潤にはどう見ても子犬に見える。ただ、揺れて光る毛はただの犬ではないと聞いて納得できた。そんな犬がいたらいくら動物にはめっきり弱い潤であっても噂を
聞いていただろうと思う。もし、交番にでも連れていったら大変なことになっていたかもしれない。
夕食はやっぱり純和風で、ステーキの上には大根おろしが乗っていた。
夕食の後、この日二回目の湯につかり、潤は前を重ね合わせて紐で止めるだけの寝衣に着替えた。
下着という概念がここにはないらしい。
「他に身につけるものはないの?」
そう潤が聞くと、
「ございません」
バーニーは丁寧に答えてくれた。
歩けばひらひらと前がはだける。人前に出る姿ではないな、と潤は思った。
湯を浴びた後すぐ。
「今日は疲れただろうから早く休んだ方がいいよ」
アドニスが気遣うように潤へ声をかけてきた。
潤はアドニスには逆らってはいけない気がして
「あ、じゃあ、おやすみなさい」
アドニスに応えると、自分の部屋に入った。
ベッドに転がると、ベッドは硬くもなく柔らかすぎることもなく体を受け止めてくれた。
「ふぅ……」
大の字になって潤はため息をついた。
なんとか一日は終わった。
開けられた窓から心地よい風が緑の匂いを運んでくる。
昼間聞こえた小鳥のさえずりは聞こえなくて、かわりに、ほんの時々「ほー」と低い泣き声がする。どこかで聞いたような気がする泣き声なのに何かは思いだせ
なかった。
昨日の夜は自分のベッドで寝ていたなんて信じられないほど、今日の一日は長く感じた。
もう、自分の部屋へ帰ることはないかもしれない。
そう思って、潤は小さくかぶりを振った。
アドニスは地上へ返してくれると言った。だから時間が欲しいと。
右も左も分からない自分ではどうすることもできなくて、アドニスの言葉を信じるしかない。
「でも……」
それは、アドニスと別れるということだ。
たった一日、それも数時間しか共に過ごしていないのに潤にとってアドニスは気になる存在になっていた。
きれいな顔立ちだけじゃない、穏やかな物腰や優しい声だけじゃない。引き込まれるように惹かれるものを感じる。
この地に来て知るものは全てアドニスを慕っているようにみえた。
それは、たった三人ではあるし家臣であることを考えれば当たり前のことかもしれない。
けれど確かに自分は惹かれるものを感じると思う。それは王族の血なのかもしれない、と潤はふと思った。
アドニスが言う古とはいつのことか分からない。けれど、遠い昔から国を治めてきたのだろう。歴史上、繁栄したものは廃れていく運命がある。長い間、大きな
反乱もなかったとすれば、それは誰をも惹き付けてしまう力のなせることなのかもしれない。
そんなことを考えながら。
午前中は寝て過ごしたといっても、昼は歩き回ったし、なにより風が気持ちよくてベッドが気持ちよくて、潤の意識はすっと落ちていった。
風を感じた。
そして、暗い闇の中で誰かに触れられた気がして、潤の意識はふっと戻った。
潤がゆっくりと目を開けると、目の前にアドニスの顔があった。
「え?」
ぼんやりした頭は考えることを拒否する。
部屋は暗くて、外からの明りが漏れてくるとはいえ、あまりにもアドニスの姿ははっきりしていた。
「起こしちゃったね」
優しいアドニスの声が耳をくすぐる。
「え、あ、どうかした?」
なぜアドニスがここにいるのか分からない。自分のために用意された部屋のベッドで寝ていたはずだった。
「どうもしないけれど……」
アドニスの手が潤の前髪をすくようにかきあげてそのまま頭を優しく撫でる。その手は光の粒が集まってできているように輝いていた。
――――光ってる?
アドニスの姿がはっきり見えるのは、アドニス自身が光っているからだと半分ぼやけた頭が教えてくれる。まるで光の精のようにアドニスは輝き、動くと光の余
韻を残していた。
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