命を失う――――潤にとってその言葉は頭では理解しても実感が伴わなかった。
だいたい今の状況さえ、現実だと思い切れない。どこかで騙されているんじゃないかとさえ思える。ただ、騙したところで誰の得にもならないとは思う。
テーブルに近づくと、魚の立田揚げに大根のサラダ、おからの和え物に漬物と御飯とみそ汁が並んでいて、純日本的が料理がなぜか悲しかった。
考えたところで、何か良い考えが浮かぶわけでもなく、お腹は美味しそうな匂いに反応する。
「まず、腹ごしらえが先か……」
潤は椅子に座ると、手を合わせた。
どこかで見ているんだろうか、と思うほど絶妙のタイミングでバーニーはデザートを持ってきてくれた。
「うわ、初桃だ」
今年はまだ食べていない。
「喜んでいただけて何よりです」
空いた食器を片付けながらバーニーが口元を緩める。
「もしかして、今この宮にはバーニーと俺しかいないの?」
ここへ来てまだ丸一日さえ経っていないとはいえ、会ったのはアドニスとバーニーだけだ。
「いいえ、料理人のエディと使用人のジュードもおります」
といっても、三人だ。第一王子の宮にしては使用人が少ない気がした。
「それだけ?」
「アドニスさまはあまり人を置きたがりません。弟ぎみのコリンさまの宮にはこちらの十倍以上の使用人がおります」
「十倍?」
それはまた極端だと思う。
「はい。料理人だけで十人、医者、看護士、部屋係、衣装係、神獣の世話係、世話係、執事、お遊びのお相手から夜伽のものまで……」
「はあ――――……」
その方が一国の王子らしい、とは思った。
「その分、アドニスさまはご自分のことはご自分でやって下さいますので、この人数で特に不便は感じておりませんが、何かご不便なことはありますか?」
「――――暇」
潤が呟くと一瞬沈黙が流れて、バーニーは下を向くと肩を震わせた。
「では、アドニスさまがお戻りしだい、おっしゃってください」
言って解決するのかと思ったが、他に案もない。
「うん。そうする」
あまり逆らいたくもなかった。
目の前の桃を一口放り込む。
「あまっ……」
口の中に柔らかくて冷たい果肉が広がった。
で。
食事が終わるとまた潤は暇になった。
いつもなら今頃は教師の声を子守唄代わりにうたた寝をしている頃だろう、と思う。
部屋に入ってくる風は心地よくて、ソファで寝ていたのは確かに気持ち良かった。
「だからってなあ」
食っちゃ寝の生活はさすがにやばいだろ、と思う。
「でも……」
暇だ。
仕方なくソファに体を沈め、はっと思い立って潤は立ち上がった。
「好きにしていいって言ったよな」
アドニスは何も制約をつけなかった。
早足でドアまで行くと、潤はゆっくりとドアを開け回りをうかがった。
物音ひとつ、人の影ひとつない。
一人というのが何か頼りないけれど、この広い宮は探検気分が味わえそうだと思った。
「どっちへ行こうか……」
来た時は確か左からだった気がする。
潤は右へ足を出した。
未知の世界の未知なるところへ進むことに胸が弾む。
――――何か面白いものないかな
王族の宮殿というものは滅多に入れるところじゃない。
永遠に廊下が続くということは考えられないのに、見る限りどこまでも先は続いているように見えた。景色は変わらない。片側は装飾が施された壁が続きドアが
ある。反対側は時折レンガの柱があって、外の景色が見える。その先は生い茂る木々しか見えない。
空から見たとき、森の中へ降りていくような感じだったから、この宮の周りは木々で覆われているのだろうと思う。
深い森はそれだけで守りの役目を果たすのかもしれない。潤が一人でこの宮を抜け出すことは絶対不可能だと思った。
「部屋の中を覗いても大丈夫かな?」
同じような景色に飽きてきた。
ひとつのドアの前に立ち一応ノックしてみたけれど反応はなかった。それもそのはずだろうと思う。反応があったらかえって怖い。
「失礼します」
一応声をかけて覗いてみたけれど、中はがらんとした部屋で何も無かった。
それもそっかと思う。
何も使う予定のない部屋を整えたところで無駄な気がする。
バーニーの話を聞く限りアドニスの生活は質素なように思えた。
ひとつ開けてしまえば、二つ目のドアは微塵の躊躇いも無かった。中も同じで何もない。そうなると探検気分も段々テンションが落ちてくる。空の部屋を見ても
おもしろくない。
ただ、廊下も限りが見えてきた。
突き当たりにあるドアを開けると、そこは今までと様子が違った。
天蓋付きのベッドに、上からレースが下がっている。複雑な彫刻を施された大きなテーブルが中央にあり椅子は二つ用意されていた。
窓が開けられていて、心地よい風がレースのカーテンを揺らしている。白いレースは清楚な感じがした。壁に並んでいるクローゼットにも複雑な彫刻が施されて
いて、使用人の部屋とは思えなかった。
人の気配はない。
アドニス以外は使用人だけかと思っていたのに違う?
けれど、それではバーニーの話と食い違う。
「誰かいます?」
潤はおそるおそる口にしたが返事はなかった。
きれいに磨かれているらしく床は光っている。
アドニスは何も言っていなかったし、バーニーからも何も聞いていない。
「ちょっと失礼します」
ドアを開けはなしたまま、潤はゆっくりと足を踏み入れた。
部屋を見回しながら奥まで行って窓の外を覗いてみた。
「わっ――――」
はるか下に整然と伸びる道路や建物が広がっていた。
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