本 音
放課後の図書室は静まり返っていて、時折外から運動部の掛け声らしきものが聞こえてくる。
「お前まつげ長いな」
かけられた声に史也が顔を上げると、向かいに座る大輔は開いたノートの上に肘をつき手の上に顔を乗せてこちらを眺めていた。
「優性遺伝だろ」
一言返すと、史也はまた視線を本へと戻した。
「瞳もでっかいよな。だからか?色が薄くて透き通っているみたいに見える」
「仕方ないだろ。親がそうなんだから」
今度は視線を本へ落としたまま、答えた。
子供は親を選んで生まれてくると何かで読んだ。けれどそれが真実だとどうやって証明できるんだ、と史也は思う。
不満なわけではない。けれど、容姿についてあれこれ言われることはおもしろくない。
「その可愛くない性格は母ちゃん似だよな」
「悪かったな。僕はクローンじゃないんだよ」
言いながら史也は、この性格はお前のせいだ、と思った。
大輔とは生まれた時からの付き合いらしい。産院のベッドで数日並んでいたと言われても、そんなものは記憶にはない。ただ、物心ついたときから大輔はうちに
入り浸っていた。親同士の仲も良かったからどこかへ出かけるといえば一緒だった気もする。
それが、小学校へ入学した頃から、ぱったりとうちに来なくなった。
あ
る日はあっちの秘密基地で誰々ちゃんと、またある日はそっちの秘密基地で誰々ちゃんと、と女の子と遊びまわるようになって、誰々とキスしていたなんて噂も
あっ
た。他の子と遊んでいてもあまり面白くなくて、史也は住んでいる団地内のコミュニティセンターにある図書館で少年少女文学全集を始めとする児童図書は小学
生のうちに読み終わってしまった。
突然大輔が女の子と遊びだした意味が分からなくて、喧嘩した覚えも、嫌われるようなことをした覚えも無かったから、どうしたらまた一緒に遊べるのかもその
時分からなかった。だから、もう大輔と遊ぶこともないんだろう、と史也は思っていたのに、突然、中学受験をするといって史也より一年遅れて大輔は史也と同
じ塾へ
通い始めた。
嬉しい反面、また、いつ、気が変わってしまうか分からないから、史也は自分の気持ちを素直に出せなくなった。
一番の親友だと思っていたのに、ある日突然挨拶だけの友達に格下げされた経験があるから、その時の辛い気持ちをまた味わうのは嫌だった。
それから、史也は大輔と一歩離れて接するようにしている。
史也はそのつもりなのに、何がどうしてどうなったのか、大輔は史也にまとわりついてくる。
だいたい、中学受験の結果も史也は気に入らなかった。志望校は同じだと聞かされて嘘だろ、と思った。模試の結果からも、ランクをひとつふたつ落とすのが普
通だろ、と思っていた。言わなかったけど。
それが、滑り止めのはずだったランクが下の学校は全部落ちたくせに、第一志望校だけ受かった。
絶対何かのミスだと思ったのに、同じ学校へ通いはじめて一年半になる。
――――無理するから
本に視線を落としたまま、史也は心の中で呟いた。
前期後期の中間期末試験の他に、単元ごとに小テストがある。標準点を取らなければ追試があり課題が出される。
向
かいに座っている大輔は、今日あった化学の小テストの課題をやっている。いや、課題を開いている。さっき見た時にはやっているようにはとても見えなかっ
た。何も言ってこないのは、今はやっているのかもしれない。けれどそれを確かめるために視線を本から外すことを史也は躊躇った。
視線をあげたら、目があってしまうような気がする。それが、なぜか嫌だった。
「お前、ほんと本好きだよな」
話しかけてくるところを見ると、やっぱ課題をやってないんだな、と史也は思った。
「本はうらぎらないから」
おもいきり皮肉をこめて言った。
「なんだよ、それ」
「いつどこで誰が読んでも同じだろ」
お前みたいにころころ気が変わらないから振り回されずに済むんだ、という言葉は心の中で呟いておく。言ったところで何も変わらない。
また、静かになった。
だいたい、図書室は静かに読書または勉強をするところで話をするところじゃない。
史也は家に帰っても誰もいないから、部活がある日以外は図書室で時間を潰してから帰るようにしている。薄い本なら、一日で一冊読める。
大輔が付き合うことはないだろと思うのに、それが決まりであるかのように、「行こうぜ」と誘いに来る。
一度すっぽかして、だけど、すぐ家に帰るのはつまらないと駅前の本屋で時間を潰していたことがあった。その時、帰るとすぐ乱暴にドアを開ける音がして、汗
だくで荒い息をぜいぜいと吐く大輔が飛び込んできた。
「良かった」
一言だけ言うと、座り込んでしまった大輔に、なんか自分はすごく悪いことをしたような気がした。
水をさしだすと、一気に飲み干して、「何してたんだよっ」とすごい剣幕で聞いてくるから、「ごめん」と謝っている自分がいた。
「欲しい本が今日発売で、色々本屋を探してた」
なんていい訳まで言っていた。頭の中では今日発売の本ってなんかあったっけ、と冷や汗をかいていたけど、本にはまったく興味のない大輔はそんな質問をして
こなくて、ほっと胸を撫で下ろした。
そんなことがあってから、史也は大輔に誘われるまま、一緒に図書室通いをしている。
向かいあって座りながら、開いているものはお互い違う。史也は本で、大輔はノートだった。
「読み手で中身が変わる本があるって知ってるか?」
「え?」
思わず顔を上げてしまってから、しまったと思っても、もう遅い。
自分とは違う、深い瞳の色に吸い込まれそうになる。
「知らないだろ」
得意そうに大輔は言った。
「そ、そんな本あるわけないだろ」
SFやファンタジーの世界でもあるまいし、そんな本があったら今頃世間で脚光をあびているはずだ。
「それが、あるんだよ。ほら、ここの校長って珍しいもの好きだろ?」
「あ、うん」
噂には聞く。
マイケルジャクソンが汗を拭いたタオルだとか、ジョンレノンが落としたタバコの吸殻だとか、キアヌリーブスが躓いた石だとか、そんなわけのわからないもの
を集めるのが趣味らしい。闇のオークションがあるという。まあ、どこまでが本当なのか……。
「すげえ掘り出し物らしいぜ。だから、あまり知ってるやつもいないんだけど」
「ふーん、それで?」
なんで、それをお前が知ってるんだよ、という突っ込みは心ん中でしておいた。どうやってオチをつけるのか見ものではある。
「それが、さすがの校長も気味が悪くなって自宅から学校へ持ってきたらしいんだよ。それで、ここの資料室にあるらしい」
大輔が図書室の奥を指差す。
専門書とか小難しい本ばかりがおいてある部屋に史也は入ったことが無かった。
「ホントなのか?」
史也は訝しげに大輔を見た。
「ホントだって。探してみるか? 」
口角をあげて、大輔が意味ありげに笑う。
「いいよ」
史也は本を置くと席を立った。
やめた方がいいよ、とでも言うと思ったのだろうが、そうは問屋が卸さない。とことん付き合ってやるよ、という気分だった。
「じゃあ、行くか」
少しはしり込みするかと思ったのに、すぐに大輔も立ち上がった。
――――本当なのか?
大輔の自信満々な様子が史也には意外だった。
先に立って大輔は図書室の奥へ行く。
資料室は別に立ち入り禁止じゃない。貸し出しは禁止で閲覧は図書室内に限られているけれど、そんな場所にそんな不可思議なものを置いておくわけはないん
じゃないか、とは思う。誰が出入りするか分からない。無くなったときに、持ち出したやつを特定できるわけじゃない。
嘘だって早く言えばいいのに、と思った。直ぐに素直に謝ればこっちだってそんなに突き詰めたりはしない。
けれど、時間が経てばこっちも意地になってくる。ただ嘘でしただけじゃ、許せなくなってくる。
資料室のドアを開けると、紙ともカビとも区別のつかない匂いが漂ってきて、史也は思わず顔を歪めた。大輔は気にならないのか、平然とした顔をしている。入
り口の電気をつけると、暗かった部屋の中が照らされる。どのくらいの広さがあるのか分からない。ただ本棚が整然と並んでいた。
「じゃあ、お前は向こうからな」
大輔が左を指差す。
「待ってよ。僕はどんな本か知らないよ」
実際そんな本があるのかどうかは置いておいたとして、話を聞いたのも初めてだ。
「中開いて真っ白なやつがそうだよ」
「真っ白?」
それって、本か?
「初めは白くて、読むたびにどんどん文字が増えていくんだ」
――――はあ?
現実のものとは思えなかった。
「じゃあ、俺は右の端から探していくから」
言うなり、大輔は背中を向けた。本気らしい。
史也が二、三歩左へ歩いてから後ろを振り向くと、大輔はもう本棚から本を出して開いていた。
そんな本あるわけないだろ、と思いながらも大輔の様子を見ると、あるのかもしれないと思えてくる。
少なくとも、大輔は信じているようだった。よっぽど信用できる筋からの情報なんだろうか。
あれで大輔は人気があって、生徒会から次期メンバーの声がかかっていた。そんな面倒なものできるか、と断っていたけれど、生徒会方面からの情報なのかもし
れない。
読むたびに書き込まれていく本なんて、薄気味悪い反面興味もある。読み手によって変わるなんて、どうなっているのだろう。二人で読んだらどうなるんだろ
う。
本棚は高くて、台がないと一番上の段には届きそうもなかった。
ためらいながらも、一番下の端の本を抜こうとした。触れた瞬間史也は本の冷たさを感じた。明かりも入らない暗いこの部屋でこの本たちはじっと必要としてく
れる人が来るまで待っている。厚い装丁のファインマン物理学と書かれた本が大輔が言った本だとは思えなかった。
「あったぜ」
大輔の声が響いて聞こえた。
史也は本を元に戻すと、足早に大輔の元へ向かった。
「は?」
大輔の手元を見て、史也は身体が固まった。狐にでも騙されている気分になった。
「ほら、真っ白だろ?」
大輔が中身をぱらぱらとめくる。
「……当たり前だろ」
少しでもわくわくした自分が情けなくなった。あるわけないんだよ、そんな本。
「お前、冗談が分からないやつだな」
そういえば、来るときに大輔は何かを上着の下の隠したような気がした。それが、これだったわけか。
期間皆勤賞でもらえるノート。それなら史也も六冊持っている。
「ばからしい」
一瞬でも信じた自分が馬鹿に思えてきた。席に戻ろうと史也が身体を捻ると後ろから大輔に腕を掴まれた。
「まあ、そう言うなって。これがこれから本になるんだ」
「どうやって?」
ノートはどこまでいってもノートだろう。
「本って何だか知ってるか?」
「本は本だろ」
あまりに簡単な言葉を説明されろと言われると、困る。辞書を引くとたらいまわしにあうパターンだ。
「本って人に読んでもらいたいものを書いたものなんだぜ」
大輔が得意げに言った。
「だから?」
「これから二人で本を作ろう」
「はあ?」
「交換ノートってやつ」
――――交換ノート?
熱い男女のカップルやら、女同士ならいざ知らず、なんで男同士で交換ノートなんかやらなきゃいけないんだか。
「毎日会ってんのに、そんなもん必要ないよ」
何を書けというのだか。会話にさえ困る時があるのに。
「やってみなきゃ分からないだろ。やってみたら案外おもしろいかもしれないだろ」
そんなことはないと史也は断言してやりたかった。けれど、大輔は手を離してくれそうになくて、いいかげん、このカビ臭さが史也は嫌になってきていた。
「分かったよ」
史也がノートを大輔の手から取ろうとすると、大輔はノートを持っていた手をあげて史也に取られないようにした。
「最初は、俺」
「ああ、どうぞ」
ずっと持っていてくれていいよ、と史也は心の中で呟く。
深く入ってこないで欲しい。そう思うのに大輔はおかまいなしだ。そうやって、飽きたら捨てていくくせに。今までとは別人? と思ってしまうくらい変わって
しまうのに。それが分かっているのに、振り切れない自分がいる。
持ってこなくていいよ、と思っていたのに。次の日の放課後、大輔はノートを渡してきた。これから部活だという大輔は家で読めとしつこく言った。それなら、
渡してくるのは部活の後でも良かったはずだ。どうせ、一緒に帰るんだ。部活が終わると大輔は図書室まで史也を迎えに来る。怪訝そうな顔をした史也に、部室
に鞄置いておくと誰に見られるか分かんないから、と大輔はいい訳がましく言った。
人に読まれたら困る?
何が書いてあるのか、史也は却って怖くなった。
ノートの存在が気になって、図書室に行っても本を読む気にはなれなかった。書棚から取ってきた本を、一応は開いてはみても、視線で追う文字が頭に入ってこ
ない。
いっそのことノートを読んでしまおうか、と何度も思ってやめた。読んだとしても、読んでないって言えば分かりはしないのに、きっとそれはできない。
図書室の窓から校庭を見下ろすと、中央のトラックでは陸上部が走っていて、隅のバスケットコートではバスケ部がシュート練習をしていた。
シュートの順番を待つ列に大輔はいた。
「入れ」
小さく史也が呟くと、ボールは吸い込まれるようにゴールに沈んでいった。なんでもないレイアップシュートだから大輔の腕前なら入るのは当たり前だ。小学校
の体育では得点王だった。クラブでもキャプテンだった。
バスケがやりたかったのなら、他に良い学校がいくらでもあったはずだ。なんで大輔はこの学校を選んだのだろう、そう史也はよく思う。
訊いたこともある。学ランだから、とか、校舎がきれいだから、とか言っていたけれど、釈然としなかった。
学区の公立行けば学ランだし、校舎で選ぶならもっときれいなところはある。
ひとつの可能性を思い浮かべながら、違うよと自分で答えを出す。
もし、そうだとしても、あんな飽きっぽいやつに関わるのは自分が疲れるだけだ。
――――僕が選んだから、じゃない
帰り道、大輔は「読んだ?」と一度だけ聞いてきた。読んでないと答えると、がっかりしたような安心したような複雑な顔をした。
クラスも違えば、部活も違う。友達関係も違えば、ゲームをやる大輔と本ばかり読んでる史也とでは話題なんてあまりなくて、せいぜいテレビやラジオの話くら
いだ。交換ノートなんて、いったい何を書けばいいんだろう、と思った。
史也が家に帰ると、まだ誰も帰っていなかった。親はいつ帰ってくるか分からないから、食事を一人で済ませることはいつものことだ。
自分の部屋へ入って、机の前に座りひとつため息をこぼすと、鞄の中から例のノートを取り出した。
気になるものは早く読んでしまった方が良い。
ぱらっと一ページ目を開けると、大きな字が飛び込んできた。一瞬身体が固まって、次の瞬間見なかったことにしてノートを閉じると、机の上の本棚に入れた。
そして、ため息をひとつつくと、史也は夕食にしようと席を立った。
『好きだ』
ページいっぱいに大輔の癖のある字が並んでいた。
Fin.
名前を見てピンときた方は、そうです、あいつらです。単品でも読めるように背景はぼかしました。
両思いになるには、あとツーステップくらい必要かもしれませんが、大輔がんばれ、と応援しておこう。
こいつらには友達でいて欲しかった気もするのですが、他のやつとできちゃうのもなんかやだ……と思ってしまったのでした。