問題を解きながら、ふっと集中が途切れた。
隆は小さく息を吐くと、携帯に視線を走らせた。
呼んだらすぐ来いと裕太に言ってから一週間が過ぎていた。けれど、まだ裕太を呼び出したことはなかった。
来なかったらそこで終わりだ、と言ったのは自分だ。なのに、その言葉が自分を縛る。
シャーペンを机の上に転がし背伸びをするように腕を伸ばすと、時計が目に入る。深夜12時過ぎはまだまだ宵の口だ。十二月になれば期末試験の日程も入って
くる。その前に少しでも進めたかった。
紺野には裕太との事の顛末を次の日に伝えると、
「隆がそうしたいなら、そうすればいい」
と突き放すように言われた。
裕太に話を聞く前から紺野はそう言っていたし、結果はある程度予想できていたのかもしれない。今にして思えば、裕太を委ねようとしたときに、紺野には隆の
気持ちが分かっていたのかもしれない。
好きなやつを誰だかは言わなかったけれど、候補にあがるやつがそんなにいるはずがない。少し考えれば直ぐに分かることだったのだろう。
この一週間、隆は裕太に会っていなかった。
意識的に、校舎内を歩き回ることはしなかった。選択授業の関係があるから、登下校では同じ時間にはならない。
思う気持ちがある反面、会えばきつい言葉を吐きそうな気がする。してしまう事でありながら、したい事ではない。今は会わない方が良いんじゃないか、と思
う。必要もないのに、傷つけあうこともない。
喉の渇きを感じて、隆は椅子から腰を上げると部屋を出た。ドアを開け、一歩足を出したところで、隆の身体は固まった。
廊下は暗かった。部屋から漏れた明かりの先に、隆は何かはみ出したような黒い影を見つけた。ちょうど窪んでいるその先には納戸がある。納戸のドアの前に何
か物を置くことは考えられないから、何かが置いてあるはずはない。
次第に慣れてきた目は黒い影がなんであるかを知った。
――――布団か
何のために出したのか、なんで出しっぱなしになっているのか。それはともかく、自分の知ったものであることに安心した。
「何だよ」
小さく呟きながら、布団に近付く。ただでさえ夜中に何かを見つけることは不気味だ。早く片付けてしまった方が良い。
部屋から漏れる明かりの中で近付くと、納戸の前に窪んだ空間に置かれているただの布団であるものは膨らみを持っていた。
一瞬恐怖を感じ、次の瞬間驚きを持った。
身体を丸めた人型に膨らんでいる布団から出ている顔には馴染みがあった。
――――何やってんだよ
その次にはため息がでた。
隆は部屋に戻ると、机から携帯を取り上げ、布団に包まれているやつの前で履歴から番号を探し繋いだ。
ぶるぶるっと震える音が聞こえ、そいつは驚いたように、顔を上げた。
「何やってんの?」
隆のかけた言葉に、裕太はただ顔を伏せた。
ココアを持って部屋へ戻ると、裕太はやっぱり定位置に座っていた。
ココアを手渡すと受け取りながら、「ありがとう」と小さな声を出す。隆は机にマグカップを置くと、裕太へ身体を向けるように椅子に座った。
「で、お前は何してんの?」
人の部屋の前で布団に包まりながら。
「たかちゃんに呼ばれたら、すぐに来れるように」
なんとなく分かっていたことでありながら、実際に聞くと身体の力が抜けた。
「お前ね……」
言葉がでない。
「だって、終わりなんて嫌だ」
そう素直に言われると、返す言葉もない。
「ところで、これどうしたんだ?」
見覚えのある布団だった。
「……おばさんが貸してくれた。風邪ひいたら困るでしょって」
「かあさん、知ってるのか?」
帰れと言うだろう、普通。
「二日目かな、見つかっちゃって。あわてて、秘密にしてってつもりで人差し指を口に当てたら、おばさん笑いながら僕と同じコトをして……後で布団を持って
きてくれたんだ。ごめんね。頑固なやつでって」
結局悪者は自分か、と思いながらも裕太の言葉が引っかかった。
「二日目って、お前今日が始めてじゃないのか。こんなことしてるの」
全然気がつかなかった。
「あれから、毎日」
「あれからって、あれから?」
裕太が頷く。
隆は驚くというより呆れた。
「だって、嫌だったんだ。すぐ来れなかったらお終いって言われたら」
「だからって……」
そんなに無茶なことを要求するつもりはない。
どこにいるのか聞けば来るまでの時間待っている用意はある。
「あれから、ずっと夜、張り付いてたのか? 」
こんな寒いところで。
裕太は開きかけた口を噤んだ。
「もう、嘘はつくなよ」
一応釘をさす。もう、騙されるのは真っ平だ。
「……夜だけじゃない」
呟くように、裕太が言う。
「だけじゃない?」
「たかちゃんが、家に帰ってきてからずっと」
家に帰ってからずっと?
予備校がある時ならまだしも、無いときには自習室が埋まっていたりすると裕太が学校から帰る時間よりも早く家に帰るときもある。
今週も一日あった。
「ずっと、じゃないだろ」
裕太が首を振る。
「だって、お前授業中だったりするだろ?」
予備校の日程をたぶん裕太は知っている。だてに毎日のように来ていたわけじゃないだろう。
裕太は顔を伏せ、黙り込んだ。
「さぼったのか?」
まさか、と思いながらも隆は口にした。
「だって……」
「だって?」
「いつでもってたかちゃんは言った」
隆は大きくため息をついた。
それに反応するように、裕太はマグカップを抱えるように、身体を丸くした。
「でもさ」
隆の声に裕太がふっと顔を上げる。
「俺、気づかなかったよ。何回も出入りしたのに」
昨日も一昨日もその前も。
「隠れてたから……」
確かに納戸の入り口の少し奥まったところは一人なら隠れていられる。
「でも、今日は……寝ちゃってた」
残念そうに裕太は言った。
顔を覗き込んでも気がつかなかった。それでも、携帯が震えたことには反応した。
こんなところで、ろくに寝られるはずも無くて、気がつかなければずっと続けるつもりだったのだろうか。
「飯や風呂は?」
「たかちゃんにあわせてた」
まさかとは思っても、飲まず食わずではないことに少し安心した。
隆の手は裕太の頭をくしゃっと撫でていた。
「たかちゃん?」
不思議そうに裕太が隆を見る。
「ちゃんと学校には行け。来れないと分かっているのに呼び出すような無茶は言わないから」
「本当に?」
怪訝そうな裕太の声が返ってくる。
「俺は嘘は言わない」
きっぱり言うと、裕太はばつが悪そうに顔を歪めた。
――――それも嘘だけどな
心の中で呟く。ばれなきゃ、それはまだ嘘じゃない。
「今日は俺のベッドで寝ろよ。そんで、明日からは、ちゃんと家で寝ろ」
裕太ためらいがちに頷いた。
「たかちゃんは? まだ寝ないの? 」
「俺はもうひと頑張りするよ」
時間は待っちゃくれない。
「ごめんね」
裕太がぽつりと言う。
「ん?」
「また邪魔しちゃった……」
裕太の声から後悔を感じた。
「良い息抜きになったよ」
確かに、気分は変わった。
ふっと思いついて、隆は立ち上がると裕太の前に立った。
驚いたように裕太が目を見開く。
「俺の受験が終わるまで、お前は俺のモンだよな」
問いかけると、裕太は不思議そうな顔をした。
顎に手をかけ顔を近づけると、裕太がおそるおそる目を閉じる。初めて触れた裕太の唇は思っていたより柔らかかった。二、三度啄ばむように触れ、ゆっくりと
離す。はっとしたように目を開けた裕太は泣きそうな顔をしていた。
「早く、それ飲んで寝ろ」
裕太が手に包んでいるカップを隆は目線で示し、机に戻って腰掛けた。
胸の奥が熱くなってくる。裕太にあまり無様な姿は見せたくないよな、と隆はシャーペンを手に取った。
問題集のページをめくりながら、裕太がまだベッドの縁に座っていることに気づいた。
「裕太?」
振り返り、裕太に声をかけると驚いたように裕太が顔をあげる。
手のマグカップもそのままだった。
「もう飲んだのか?」
訊くと、裕太はふるふると首を振った。
「いらないのか?」
質問を変えると、また首を振る。
「じゃあ、何?」
「勿体無くて……」
「また、欲しければ作ってきてやるよ」
そんな大層な手間がかかるわけじゃない。
また、裕太は首を振った。
「違う」
片手をカップから離し、そっと唇へ持っていく。
「もう、何も触れたくない」
唇に触れそうで、まだ触れていないところで、裕太は手を拳に握った。
「……飲み終わったら……またしてやるから、早く飲め」
隆は裕太の答えを聞かずに、机へ向いた。
裕太の反応は嘘だと思えなかったし、作っているようにも見えなかった。頭では分かっている。けれど、心は素直に裕太を認めない。
人間はきっと自分を守ろうとする本能があるのだろう。
もし、またこれが嘘だと言われたら、もう人を信じることはできないような気がする。
二度目に裕太の唇に触れた時、隆はそっとそっと裕太の唇の間に舌を滑り込ませた。驚いたように、裕太の舌が逃げる。それを捕まえたくなって、舌先を伸ばし
た。
絡めた舌からは甘いココアの味がした。
逃げたくせに。
「また、してくれる?」
裕太が甘えたように、抱きついてくる。
「ああ」
隆は裕太の背中を撫でてやった。まだ時間はある。