隆は空を見上げた。
漆黒の空に月が浮かんでいる。それは、あの時と同じだ。
裕太がいることに不快感がもち部屋を飛び出して来たものの、浮かぶのは裕太の顔ばかりだった。
二年余り、ずっと見てきた裕太は嘘に固められていて、その裕太を自分は好きになった。そのことに、まるで、自分まで偽者に思えてくる。
気持ちは理解できる。
指向が違うのだから、そのままぶつかっても良い結果は得られないだろう。だから、裕太は嘘をついた。
それを、誰か他人への話だと聞けば、納得できたかもしれない。けれど、向かうのが自分ならば話は別だ。矛盾しようが、自分勝手だと自分でも思いながらも、 頭で理解はしても、感情が理解しない。
自分に対して、あいつは嘘をついていた。
それは、それほど譲れないものだったからだと言われても軽く見られていた気がして許せない。
それでも。
気になるらしい。
自業自得だと、突っぱねることはできないらしい。
住宅街を軽く周ったところで、家に戻ると門の前に人影を見つけた。それが裕太であることはすぐに分かって、苛立ちとともにほっとする気持ちを感じた。
――――あのまま別れずに済んだ。

「たかちゃん」
裕太の前を素通りし隆が門を入ろうとすると、裕太に呼びとめられた。
「もう、話はないよ」
口から出るのは突き放した言葉だった。
「僕のこと許せないのは分かった。でも、でも、僕の気持ちだけは信じて欲しいんだ」
裕太の声は震えていた。寒い中、コートも羽織らず、いつから待っていたのか。
「どうやって信じろって言うの?」
「え?」
「お前、今までずっと嘘ついてたんだろ? その気持ちとやらは、何を根拠に信じればいいの?」
「それは――――」
裕太が言葉は詰まらせた。
嘘だったと本人が認めた。
こいつは嘘をついていた。そう思えば、いったい何が真実かなんてどうやって見分ければいいのだろう。目に見えて分かるものならばともかく、気持ちなんても のは、どうやっても見ることはできない。
愛を確かめる行為と言われるものさえ、快楽のひとつでしかない。好奇心の対象だ。
相手を信じていなければ言葉なんて信じられない。気持ちなんて尚更だ。
「お前証明できるの?」
無理なのは分かって問い詰めた。
裕太は視線を伏せ、顔を逸らせた。
「証明できないだろ? だから信じられないよ」
追い討ちをかけるように、言葉を吐く。裕太のしたことは許せない。好きだからこそ、尚。
「そうだね……僕が悪いんだ」
裕太が力なく呟く。
「ごめんね。たかちゃん」
そう言って、裕太は隆に背を向けた。
いつもなら、裕太は隆の家の庭を通って裏の木戸から帰る。その方が絶対の近道だ。
裕太の背中を見ながら、隆はそのまま裕太が消えてしまうような気がした。
「待てよ」
声がでていた。
一、二歩先へ行っていた裕太が驚いたように振り返る。
「お前がそんなに言い張るなら、信じて欲しいというなら、行動で見せてよ」
騙されていたのに、それが分かったのに、まだ好きでいる気持ちが心の中で陣取っているらしい。
「たかちゃん?」
裕太がおそるおそる近付いてくる。
「俺の受験が終わるまで、お前は俺の傍にいる。たとえ、本命が現れても、お前は俺のことしか見ない」
「僕は、いつだってたかちゃんしか――――」
「お前の気持ちなんてどうでもいいよ。どうせ、信じられないから」
隆の言葉に、裕太は顔をゆがめた。
「俺が呼び出したら、いつでもどこにいても飛んでこい。それができなかったら、俺達の関係はお終い。いい?」
それほど言い張るのなら、それくらいやってみろよ。そう隆は思った。
裕太は不安げな顔を見せる。
「お終い?」
「そうだよ。それとも、今お終いにする?」
もう、幼馴染でも何でもない。会っても話もしなければ、挨拶もしない。そんな関係に。
「嫌だ」
裕太は何度も首を振った。
「じゃあ、俺の条件を呑む?」
お前が信じて欲しいというなら、その証拠を見せてくれよ。
「分かった」
裕太はこくりと頷いた。


隆が裕太と別れて玄関に入ると、いつもは居間にいる母親がサンダルを履いて入り口に腰を下ろし頬杖をついていた。
「裕太くんと喧嘩でもしたの?」
不満そうな顔で聞いてくる。
「そんなんじゃないよ」
隆は母親の横を通り過ぎ、すぐに階段を上がろうとした。
「家の中で待っていればって言ったのに、いいって言い張るのよ。何かあんたがしたんじゃないの?」
「俺は何もしてないよ」
したのはあいつの方だ。
「あんたが何かしなきゃ、そんなことにはならないでしょう。いい子なのに、あの子は」
「かあさんは裕太をひいきするよな」
小さい頃から、自分の子がどっちか分かってんの? と何度も聞きたくなった。
「可愛いし、素直だし、明るくって、偉そうなあんたとは偉い違いじゃない」
可愛くて素直で明るくて――――そんな言葉は今全て打ち消されてしまう。裏で何を考えているのか。全てが計算されているようにさえ見える。
「母さん、騙されてるんだよ」
「そう、騙されちゃったけどね。後で思えば、あれは可哀想だったわね」
「カレー?」
隆はふっと昔を思いだした。
「どうも、裕太くんっていうと、あれを思いだすのよね。かわいそうなことしちゃったなあ、って思うからかな」
「自業自得だろ」
嫌いなものは嫌いだって言えばいいのに。美味しいなんて言うから。
「冷たいのね。あんただって、知ってたんなら教えてくれれば良かったのよ」
そうかもしれない。けれど、言えなかった。裕太の気持ちを台無しにしてしまいそうで。
「もう、昔のことだよ。今言っても仕方ないだろ」
「でも、今の喧嘩はあんたが悪いんでしょ。ちゃんと謝りなさいよ」
「ああ、ちゃんと謝るよ」
俺が悪ければな――――そう心の中で付け加える。
でも今回は違う。
これ以上話してもややこしくなるだけだからと、隆は話を切ると階段を上った。
母親が裕太のことになると、二言目にはカレーの話を口にする。
休みの日、遊びに来ていた裕太は、カレーだからお昼食べる?と母親に言われて喜んだ。その中に、大嫌いなきのこが入っているなんて、きっと裕太は知らなく て、裕太がきのこを嫌いなことを隆は知っていたけれど、気づいたのは一口食べてからだった。
はっと思って裕太を見ると「美味しい」と裕太は言った。なんだ、大丈夫なんじゃん。そう思ったのに、違ったらしい。
次の日、遊びにこない裕太を家まで見にいくと、裕太はベッドの中で身体を丸めていた。そして、気持ち悪いと今にも泣きそうに顔をゆがめていた。口の中に感 触が残っているみたいで何も食べられないと言った 裕太に、馬鹿だなあと思ったけれど、愛しさも感じた。こいつを守ってやんなきゃと思った気持ちもあったけれど、それは幼馴染としてだろうと思う。

嘘をついても良いことはないと分かっているはずなのに。
あの時、後悔していたのに。
あの時。
「昨日の晩から何も食べないのよ」
顔も声も困りきったような裕太の母親に答えるように、
「たかちゃんが……食べさせてくれたら、食べられるかもしれない」
そう裕太は言った。
「隆くんばかりに甘えてちゃって」
そう呆れながらも、裕太の母親は雑炊を作って裕太のところへ持ってきた。
一口めをぎゅっと目をつぶりながらおそるおそる口にして、それでも裕太は飲み込んだ。
笑顔を見せ、美味しいとまで言った。素直に頼ってくる裕太が可愛いと思った。
それは十年以上も前のことだ。

今は、色々な感情が隆の心の中で混ざり合っていた。
一度は振り切った裕太を二度目は振り切れなかった。
裕太を許せない気持ちと、それでもまだ愛しいと思う気持ちがぶつかり合う。その中に、紺野に対する気持ちもある。少なからず傷つけた。一度は期待を持た せ、それを破った。それだけではなく、きっと信頼していただろう裕太が裏切っていたのだから、紺野が怒るのは当たり前だ。
大切な友達を傷つけた裕太を許す気にはなれない。
けれど。
受験が終わるまで――――。
「先送りは得意技だな」
自分の部屋へ入り、隆は机の前に立って自嘲気味に呟いた。
受験が終わるまで、裕太は自分のものだ。

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