本人に聞いてみればいいよ――――そう紺野は言った。
穏やかな紺野が許せないというほどのことを裕太はした、らしい。それは、たぶんあの晩のことで、それを進めたのは自分だと思うと隆は自分にも責任があるよ
うな気がした。
よかれと思ってやったことが予想外の結果を生む。それはよくあることだ。何か裕太の力になれるのならば、力になってやりたい。
放課後、裕太の下駄箱近くで待っていると、隆に気づいた裕太は隣にいたクラスメートに何かを言い、足早に隆のところへやってきた。
「どうしたの?」
「ちょっと話があるんだけど」
もんもんとしていても何も解決しない。紺野が本人に聞けと言ったのだからそれが正解なのだろう。
裕太は一瞬不安げな顔をして、そして次の瞬間笑顔を見せた。
「うん、分かった」
頷くと自分の下駄箱まで走っていき、クラスメートに別れを告げるとすぐに隆のところに戻ってきた。
帰り道ではろくに話をしなかった。
裕太は何かを考えているようであり、ぼんやりしているようにも見えた。話があると言っただけなのに、何も聞いてこないところを見ると、隆が何について知り
たいのかを分かっているのかもしれない。
小さな頃から知っていて、誰よりも気心は知れている。なのに、つい最近になって知らなかった顔が見えてきた。紺野と裏庭で話していたことも、そのひとつ
だった。
まるでそこは自分の場所だと決まっているかのように、裕太は隆の部屋へ入るとベッドの縁へ腰を下ろした。
隆は鞄を下ろすと、一度階下へ行き飲み物を手にしてきた。ミルクココアは裕太が好きなものだった。十一月も半ばに入ると、熱いものが恋しくなる。
マグカップを手渡すと裕太は力なく笑った。
隆は裕太に向かい合うように椅子に座ると、小さくため息をついた。
何から話せばいいのだろう、と思う。紺野は正直に話さないかもしれないと言った。どう言えば真実を話してくれるのだろうか。
「あったかい」
裕太がマグカップを掌に包んで呟いた。
「お前、何か悩んでるんじゃないの?」
疑問の出発点はそこだった。
「どうして?」
裕太が顔を上げる。
「前に来たとき様子がおかしかったから、さ」
もう一ヶ月近く前になる。今更といえば今更だった。けれど、気にはなっていた。紺野に相談しろと言った手前、何も言えなくなっただけだ。
「けれど、それは……」
裕太が顔を伏せた。
「……紺野が聞いてやってくれって言うんだ。あいつ時間がないから」
いつもとは違う冷たい声で、裕太に付き合う時間はないと、紺野は言っていた。
「そんなこと、紺野さんが言うわけないよ」
ふっと口元を緩め、自嘲するような声で裕太は答えた。
「たかちゃんはなんでそんなに優しいの? だから、僕は誰にもたかちゃんを渡したくない」
「裕太?」
渡したくない? 誰が誰を? どうして?
裕太が小さなため息をつく。
「紺野さんに何を聞いたの? 紺野さんから何かを聞いたから、僕に話があるんでしょう?」
「あいつは……」
隆は頭の中を探った。紺野が言ったこと?
「何も。ただ……」
「ただ?」
裕太がうかがうように顔を傾げる。
「お前紺野に何かした? 怒らせてしまうようなこと」
許せないとまで言わせるようなことを裕太はしたはずだ。
「した……のかな」
裕太は視線を伏せると、マグカップを口へもっていき、一口こくりと飲んだ。
「のかな、ってお前」
「したんだよ、きっと」
視線を伏せたまま、呟くように裕太は言う。
「何? お前も分かってないの? 」
自分でも分からずに他人を怒らせてしまうことが無いわけじゃない。
「紺野さんに何かしたつもりは無いけど、紺野さんが怒ったのは分かるよ」
分かる?
「俺に言えないこと? 」
認めたくはないけれど、裕太は全てを話してくれていたわけじゃない。
裕太はごくりと喉を鳴らした。そして、一度開きかけた口を一文字に結んだ。
言えないという一言さえ言えないらしい。
「じゃあ、なんで紺野は怒ったんだ? 」
分かると言ったのだから、何が紺野を怒らせたのかは分かっているのだろう。
「紺野さんはたかちゃんのことが……好きだから」
出てきたのは意外な答えだった。
「……それが、どう繋がるんだ」
隆の頭の中では一直線に結べない。
「自分の好きな人が騙されてるって知ったら、誰だって怒るよね」
「騙されてる?」
紺野の好きな人が?
裕太が顔を上げ、まっすぐに隆へ視線を向けた。
「騙そうと思ってたわけじゃないんだ。でも、嘘をついていたことは確かだから、騙してるって言われたら反論できなくて、でも、本当に騙そうと思ってたわけ
じゃないんだ」
眉根を寄せ、訴えるように裕太が言う。
嘘をついていた?
そういえば、最後に会ったとき、裕太は理由がある嘘ならいいのかと聞いていた。
「俺に嘘ついてたの? お前」
裕太が自分に嘘をつくことは考えられなかった。だから、
裕太の言うことを隆は全て信じていた。
裕太はこくりと頷いた。
「何が嘘だったんだ? 」
裕太の言葉を全て覚えているわけじゃない。それこそ、自分はいつから裕太の嘘を信じていたのだろう。
「全部」
「全部?」
「好きな人ができたって言ったことも……紺野さんが好きだって……言ったことも」
「全部?」
聞き返すと裕太は頷いた。
「なんで?」
何のために? どうして? 何が目的で?
「……たかちゃんが好きだったから」
「は?」
裕太の言葉が頭の中で回る。
好きだった、から?
「なんで、そんなことになるんだよ」
なぜ、嘘なんかつく必要があるんだ。
「だって……たかちゃんは指向が違うから」
「から?」
「こ
んな指向もあるんだって知ってもらって、それが普通とは言わなくても、変なことだとか嫌ったりとかしないで欲しかったから……だって、あの時、たかちゃん
に僕が好きな人ができたって言った時に、それはたかちゃんだって言ったら、たかちゃんは受け入れてくれた? 気持ち悪いとか、近寄るなとか思わなかっ
た?」
「それは……」
隆は答えることができなかった。
もう、遠い昔のようなことだ。その時にどうしたかは今となっては分からない。ただ、ひとつ、あの時裕太に今のような感情はもっていなかったから、一歩引い
たかもしれない。
「もう、たかちゃんが自分の傍からいなくなるのは嫌だったんだ」
「だからって」
嘘をつくことは良いことじゃない。それも自分は嘘をつかれていたと知ることは面白いことじゃない。
本当ならば嬉しいはずの告白が苦い思いに包まれ心の中に押し込まれる。自分は今まで意味のない嫉妬をしていて、必要のない苦しみを味わっていた。
「たかちゃん」
裕太が手を伸ばしてマグカップを机の上に置くとそのまま隆の手を軽く握ってきた。その手を隆は反射的に払いのけた。なぜそうしたのか自分でも分からなかっ
た。ただ、嫌悪感があった。
裕太が驚いたように目を見開く。それが隆には別世界のできごとのように思えた。裕太と自分の間が離れていき、間にフィルタが張られているように感じる。
裕太は弾かれた手をもう片方の手で包むように膝の上に置いた。
「紺野のことも嘘?」
全部と言ったのだからそうなのだろう。けれど、紺野のことは他の嘘とは違う。
裕太は苦い顔をしながら頷いた。
「なんで、紺野だったんだ? 紺野とお前の間に何があった? お前紺野と二人で会ってただろ?」
わざわざ紺野を選んだ理由があったはずだ。そして知らない間に関係ができていた。
「紺野さんが何か言ったの? 」
「いや、紺野はお前に聞けとしか言わなかった」
「そう、なんだ」
「裕太、話してくれよ」
きっと紺野は言わないだろう。自分の知らないところで歯車が回っている。それを知ってしまったら、知らなかったときのようにはいられない。
「……うん」
少しの沈黙の後、裕太は力なく頷いた。
「紺野さんとは委員会の時に初めて会った」
「ああ」
それは以前聞いたことと同じだ。
「オブザーバーだった紺野さんとはちょうど席が隣で、自己紹介の時にたかちゃんと同じクラスだって分かったから、声かけたんだ。たかちゃんとは幼馴染なん
だって言うと、紺野さんの顔が変わった。たかちゃんは気づいてなかったみたいだけど、僕はすぐ分かったよ。紺野さんはたかちゃんが好きなんだって」
「普通……結び付けないだろ。男同士なんだぞ」
「きっと、同じ指向だったから、かな……わかんない。でも、そう思って、委員会の後で、聞いてみたんだ。たかちゃんのこと好きなんでしょうって。紺野さん
驚いていたけど、僕も指向が同じだって言ったら安心したみたい。協力するよって言ったら、喜んでくれた」
「お前なあ」
隆はため息をついた。自分の知らないところで話は勝手に進んでいたわけだ。
「協力なんて名ばかりで、僕は紺野さんから情報もらってた。たかちゃんの話を紺野さんは嬉しそうにするんだ。少し胸が痛んだけど、でも、紺野さんはきれい
で頭が良くて何でもできて、僕なんか全然敵わなくて、そう思っていたら、たかちゃんに、僕は紺野さんのことが好きだって、言ってた。僕が好きだって言った
らたかちゃんは引いてくれる。そう信じてた。たかちゃんは、優しいから」
「それで、お前は両方に良い顔してたわけだ」
裕太は気まずそうに一瞬視線を逸らした。
「言っちゃった言葉は取り消せなくて、たかちゃんは絶対誰にも渡したくなくて、それでも、諦めようと思ったんだよ。たかちゃんが紺野さんの告白の答えを保
留したって聞いた時」
良かったね、そう言っていた裕太のことばが隆の頭に浮かんだ。
「好きだから、だから、邪魔しちゃいけないって。たかちゃんに彼女がいたときだって、僕は見てるだけだったよ。たかちゃんが幸せなら仕方ないって。紺野さ
んの時だって、ずっと傍にいても、見てはもらえなかったんだって、たかちゃんが僕の指向に近付いてくれても、それでも、僕じゃだめなんだって、本当に諦め
ようと思ったんだ」
裕太が膝の上に置いていた手をぎゅっと握り締めた。
「でも、最後に、一度だけでいいから、たかちゃんに抱かれたかった」
裕太の手の上で雫がひとつ弾けた。
裕太の涙さえ、隆は何も感じるものが無かった。目の前に裕太はいるのに、何か膜を通して見ているようで現実感がない。
「あの時、紺野と何があった? 」
裕太の話からすれば、紺野は裕太を協力者だと思っていたんだろう。
「あの日、あの日は最後のチャンスだと思ったから、服も全部脱いでベッドの中でたかちゃん待ってた。たかちゃんが簡単に抱いてくれるとは思ってなかったか
ら、あの時外へ行ったのだって、僕の頭を冷やすためとか、何かいい訳を考えるためだと思った。だから、帰ってきたら、抱きついて、絶対離さないと思ってい
たのに……」
「来たのは紺野だったんだ」
裕太が小さく頷く。
「僕の前に現れた紺野さんはまるで別人みたいだった。『どういうこと?』って、冷たい瞳で見るんだ」
「当然だろ」
隆はため息をついた。
協力してくれるはずの人間が夜這いをかけてたってことなんだから。
それをなぜ、紺野は言わなかったんだろう。
「紺野はお前を抱いたのか?」
間髪いれずに裕太は何度もかぶりを振った。
「だよな。じゃあなんで、紺野はお前と付き合うなんて言ったんだ?」
いかにも抱いたというようなカモフラージュまでして。
「……たかちゃんの携帯にかけた後、紺野さんは『もう、これで隆には近付けないだろ』って、『もう、隆には近付くな』って僕に言ったよ。自分の嘘で首絞め
たようなものだから何も言えなくて、たかちゃんに本当のことを言おうと思ったけど言えなかった」
本当のこと?
本当のことって何だろう?
口からでたことは本当だとは限らない。裕太はそう自分で言った。
今裕太の口から出ていることも、本当かどうかは分からない。何を根拠に今裕太が言っていることを真実だと思えばいいのか。
分かることは、今まで自分は裕太に騙されていたらしいということだけだ。
「分かった。もういいよ。裕太、帰ってくれないか」
隆は立ち上がると、椅子を机の前に戻し、机に向かって座った。
「たかちゃん」
後ろから裕太が声をかけてくる。
「帰ってくれって言っただろ? もう分かったから、もういいよ」
言い知れぬ不快感が隆の身体を覆っていた。怒りといえる激しい感情ではなくて、寧ろ空しさに近い。泣きじゃくることも切なげに顔をゆがめることも全て嘘
だった。この二年あまり見てきた裕太は全て嘘だった。
「たかちゃん、僕は――――」
隆が立ち上がって振り向くと、裕太は言葉を止めた。
「もういいって言っただろ。出て行ってくれよ。俺一応受験生なんだ」
「でも――――」
裕太が縋るような瞳を見せる。
「分かったよ。じゃあ、俺が出ていくよ」
鴨居にかかっていたコートを掴むと、隆はそのまま部屋を出た。階段を駆け下り、靴をはくと玄関を出て、玄関ドアを背に息を吐く。コートをはおると、駅とは
反対側へ歩きだした。