隆は駅前のドラッグストアでスキンとローションを買うと、改札の脇にあるファーストフード店へ向かった。
そこで紺野と待ち合わせをした。
突然の呼び出しにも関わらず、紺野はすぐに行く、と言ってくれた。ほっとした反面隆は胸に痛みを感じた。
お前が抱いてやればいいじゃん。諦めの悪い細胞がまだ騒いでいた。
いいんだよ! 一喝すれば不満をくすぶらせる頭も心も一瞬で静まり返る。
裕太の言葉をまともに取ってはいけない。
紺野さんに触れるんだ、と言ったときの悲しそうな顔は全てを表していた。本当は自分が触れたいのだろう。抱かれて重ねるつもりなのだろうか。
いくら抱きたくても、他のやつを思っているやつを抱くなんてことは空しすぎる。
ファーストフード店に入ると隆は飲み物だけを注文し、紺野が来たらすぐに分かるように外に面した席に座った。ちょうど裕太が座っていた席だった。裕太の影 に自分が重なる。自分から裕太を手放そうとしていることに心臓は大きく波打っていた。
こつんと小さな音が音がして、顔を向けると紺野が笑いながら、ガラスを小突いていた。小さく手を振ると入り口へ回り、飲み物を手にしてやってくる。紺野に 向かって笑おうと思うのに、隆の顔は思うように動かなかった。
「どうしたんだよ。そんな深刻そうな顔して」
笑顔だった紺野も、怪訝そうな表情になる。
紺野が隆に向かいあうように座ると、隆は紺野に近付くように肘をテーブルについた。
「何か、あったのか?」
紺野の声が小さくなった。
「頼みがあるんだ」
隆は脇に置いていた小さな紙袋を紺野の前に置いた。さっき、ドラッグストアで買ってきたものだ。
紺野は紙袋の中を空けて覗くと、驚いた顔をして隆を見た。
「これ……」
「裕太を抱いてやって欲しいんだ」
「は?」
紺野は理解できないように眉根を寄せた。
「一回だけでいいんだ。何も聞かないで抱いてやってくれないか?」
指向があうからといっても、モラルは別だ。それは分かっている。
「俺に、犯罪者になれっていうのか?」
隆はかぶりを振った。
「違うよ。事情は説明できないけど、あいつ落ち込んでいて……」
「だからって、なんで、俺に?」
「それは、言えない」
裕太の気持ちを他人の口から言っていいことだとは思わない。
紺野が頼まれたからと二つ返事で誰でも抱くようなやつだとも思わない。
けれど、忘れたいから抱いて欲しいとまで言うやつを放っておくことはできないし、自分で抱くこともできない。
せめて始めて抱かれるときは好きなやつが良いだろう、と思った。抱かれるよりも抱く方が垣根が低い気がする。それは、身体の負担を思うからかもしれない。 もともと男は抱かれる性じゃない。
泣いて諦めて、それが三度目になり、裕太は自分の気持ちを捨てようとしているように見えた。女の子と付き合い始めたのはその証拠だろう。
もう、人を好きになる気はないのかもしれない。たとえ好きになっても、その気持ちは出さないつもりなのかもしれない。
せめて一度だけでも望みを叶えてやりたい、と思う。相手が紺野だということもある。信用できないやつに裕太をまかせることはできない。
男同士なら身体だけの関係もあると裕太は言った。たとえ、気持ちは伴っていないと知っていても、割り切ることはできるのだろう。相手が好きなやつなら尚 更。
ただ、紺野は。
「それって、俺はお前に振られたってこと?」
好きなやつに他の誰かを抱いてくれとは言わないよな、普通。
「……ごめん。俺は好きなやつがいる」
いずれははっきりさせなければいけないことだ。それなら、早い方がいいに決まっている。
「まさか、前の彼女とか言わないよな」
「違う」
「女?」
世間から見れば当たり前の質問に、隆は思わず口元が緩んだ。
「違うよ」
いつから、こんな気持ちを持ってしまったのだろう。
「俺の知ってるやつ?」
紺野の問いかけに隆は顔を伏せた。
紺野の好きなやつを隆は知っている。訊かれたのだから正直に話すことが対等な立場としては正しいのだろう。けれど、隆は口が動かなかった。言いたくはな かった。
沈黙の中、紺野は小さく息をついた。
「いいよ。言いたくないなら」
「……ごめん」
短い言葉で答えるのがやっとだった。
自分の好きなやつを抱いてくれと他人に頼むなんて、情けなくて仕方ない。
けれど、頼まれる紺野も、迷惑な話だろう。紺野が、機会さえあれば誰でもいいと簡単に男でも女でも抱くやつだとは思えない。
裕太のため……そう思いながらも、諦めた方がいいのかもしれないと隆は思い始めた。
今頃裕太も後悔しているかもしれない。
「分かった」
――――え?
諦めかけた時だった。自分で頼んだくせに、承諾した紺野を隆は呆然と見やった。
「自分で言ってきたくせに、そんな驚いた顔するなよ」
紺野が目を細める。
「い、いや」
隆は思わず視線を背けてしまった。
「お前の頼みだから」
紺野はそう言うと、かたんと小さな音をたて席を立った。

いいのか? そう隆の頭の中で響く声がある。
駅まで来た時よりも足は重かった。けれど、それを隣を歩く紺野に知られてはいけない。だから、どんなに重くても足を前へ出す。そして、一歩一歩自分の家は 近付いてくる。
「大丈夫なの? お前んち」
紺野が訊いてくる。たぶん、見つからないのかってことだろう。
「ああ、部屋には誰も来ないよ。ペースが狂うから放っておいてくれって言ってあるから」
自分がいる時は誰も二階へは上がってこない。親の寝室も一階にあるから、二階に用はない。
「お前はどうする? 」
家にいる気にはなれない。
「家まで案内したら、ファミレスでも漫喫でも行って時間潰すよ」
時間を潰す場所ならいくらでもある。私服なら歳はばれない。ゲームセンターもある。
「じゃあ、帰るときに携帯入れるよ」
「ああ」
答えながら、隆は身体の血が引いていくような気がした。
紺野が帰るとき、それは全てが終わったときだ。

静かに玄関を開け、紺野を通す。上がるように促し、紺野が脱いだ靴を下駄箱の下へ隠した。横には裕太の靴があった。
見つからないようにと、いつも裕太は下箱の下に靴を入れていた。
隆が紺野に目配せすると、紺野は頷いて、ゆっくり階段をあがっていく。奥の居間からはテレビの音が流れてきていた。多少の物音はわからない。隆が帰ってい ることは知っているから、物音がしても不審がられることはないだろう。
紺野が階段を上がり終えたことを確認すると、隆は静かに家を出た。
自分が望んだことだ。
今更、やめてくれとは言えないし、裕太のことを思えば、もう邪魔はしたくはない。おもいきり泣いてくれればいいのに、気持ちを抑え込んでいる姿は下手な言 葉もかけられず、見ているだけでも辛い。
家を離れあてもなく歩いていると、公園の入り口が目に入った。もう一歩も歩きたくなくて、隆は公園の中へ入ると、一番近いベンチに腰を下ろした。触れたベ ンチは冷たかった。
昼間は子供達が遊んでいるだろう住宅街の公園は、夜も更けた今人影がなかった。
座った途端今までは感じなかった冷たい空気を身体に感じて、隆は自分を抱き込むように身体を丸めた。今ごろ――――そう思うと脳裏に浮かぶ影がある。それ をかぶりを振り消し去った。思っても空しいだけだ。抱くのは自分じゃない。
きれいなトライアングルが捩れていく。自分だけが一人取り残され、あとの二人は絡みあう。
仕方ないよ、好きになってもらえなかったんだから――――そう言った裕太の言葉を思いだした。
「その通りだな」
誰も聞いてくれないのは分かっているのに、言葉が口から出てくる。
好きになってもらえなかったのだから仕方ない。
隆は空を見上げた。高い空にはきれいな半月が光っていた。身体には冷たい空気を感じる。けれど、動くことは嫌だった。


何も考えたくなくてぼんやりと空を見上げていた。日が落ちた後の空気はどんどん冷えていく。感覚が麻痺していくのか、身体を刺すような空気が気持ちよくさ え思えてきた。突然ポケットの携帯が震えたことに隆の身体はびくっと震えた。
取り出した携帯は、もうすぐ日付が変わる時間を示していた。
「隆?」
繋いだラインからは紺野の声が聞こえた。
「ああ」
「今、どこ?」
「あ、駅近くのファミレス」
隆は咄嗟に嘘をついていた。
「そうか。俺、もう帰るから」
「……もう遅いし、明日休みだし、泊まっていけばいいよ」
今から急いでも最終に間に合うかどうかの時間だ。
「いいよ。最終には間に合いそうだし。ただ……」
「何?」
心臓がとくんと跳ねる。
「裕太が動くのが辛いって言うんだけど、そのまま寝かせておいていいか?」
裕太――――紺野がそう呼ぶのを初めて聞いた。
「あ、ああ、いいよ」
裕太が泊まっていくのは、いつもの事だ。
「じゃあ、後よろしく。それから……俺達付き合うことになったから」
「……そっか」
反射的に答えていた。
その後、紺野が言った言葉は隆の耳には入らなかった。ラインが切られ、耳障りな音が聞こえてきて、隆は通話を切った。

付き合うことになったから――――そう言った紺野の声が耳に残っていた。
身体は動かなかった。喜んでやらなきゃいけない。そう思うのに、思えない自分がいる。次に裕太に会った時に、自分はちゃんと笑えるだろうか。良かったな、 と言ってやれるだろうか。裕太のように。
裕太――――悲しげな顔を見せていた裕太は、今、どうしているだろう。今まで止まっていた思考がラインを切った途端に頭の中に渦を巻いていく。
裕太は動くことが辛いと言っていた。慣れているとはいえ他人の家なのだから、一人で困ることがあるかもしれない。誰かが来てくれるのを待っているかもしれ ない。
隆はゆっくりと立ち上がった。

玄関は鍵が開いていた。紺野が出ていった後だからだろう。電車の時間があるから、のんびりもしていられなかったはずだ。携帯を切ってすぐに家を出さなけれ ば間に合わない時間だった。裕太の靴は残っていたから、紺野が言ったとおり、裕太はまだ部屋にいる。
自分で仕掛けたことなのだから、誰に文句を言えるわけでもない。
玄関の外の明かりが漏れてくる以外、家の中は暗かった。音もなく静まっているから、親はもう寝ているはずだ。
隆は玄関の鍵をかけると、足音を抑えるようにゆっくりと階段を上った。
裕太がもう寝ていれば、そのまま階下へ降り居間ででも寝ればいい、と思っていた。もし、起きていたら、何か欲しいものがあるかもしれないから声をかけてや らなけれないけないだろう。けれど、今顔を見ることは辛いから、できれば寝ていて欲しいと思う。裕太の思いがかなったことを喜んでやるだけの余裕は今はな い。

そっとドアを開けると、部屋から薄い明かりが漏れてきた。ぼんやりする中で、ベッドの上に一人分の膨らみが浮かびあがっていた。それは、今までよく見た眺 めだった。部屋の中へ入ると、冷たい空気を感じた。廊下より少し低く感じる温度は、外の空気を入れたのだろうと思う。暖房をつけるまでもないけれど夜は冷 えるこの時期、なぜそんなことをしたのかはすぐに分かって心が重くなった。ベッドの脇に脱ぎ落とされた衣類と、机の上に置いてある蓋が開けられた箱と瓶は い かにもな状況で、紺野らしくないと思いながらも、時間がなかったのだから仕方ないのだろう、と思った。
せめて引き出しに入れておこうと、隆は机の前まで足音を忍ばせながら歩いた。
「たかちゃん」
背後から弱弱しい声が聞こえて、きゅっと心臓を掴まれたような気がした。一瞬身体は固まって動くことができなかった。目をぎゅっと閉じ、ゆっくり息を吐い てから、隆は後ろを向いた。
「起きてたんだ」
「うん」
裕太と別れてから数時間も経っていない。けれど、それがずいぶん前の出来事のように感じた。
「何か欲しいものがあるか?」
箱の蓋を戻しながら訊いた。立っていることさえ辛くなってくる。全てがついさっきまで行われていたことを物語る。
「うん」
「何?」
箱と瓶を引き出しの中へ入れる。
「たかちゃん、来て」
かさっと裕太が布団の中で動く音がした。大きな声では言いにくいことなのかもしれない。そう思ったから隆はベッドに近付き脇に膝をついた。
「何? 裕太」
裕太は布団の中から腕を伸ばして、隆の首に巻きつける。ふわっと上がった布団の中から裕太の匂いがした。子供の頃から変わらない。何の匂いともかぶらな い。これは裕太の匂いだ。
「たかちゃん、僕……」
肩口に顔を埋めるようにして、裕太が呟く。布団から白い肩がでていた。
隆の心臓が鼓動を早める。
「たかちゃん冷たい……」
裕太がぎゅっと抱きしめてくる。
息があがってくるのが隆は自分でも分かった。裕太にそれを知られたくはない。
「風邪ひくだろ。そんなかっこで……」
隆は裕太の腕を解くと布団を被せ上から押さえつけた。
裕太はされるままでいながら淋しげな瞳で見上げてきた。
望みはかなったはずなのに、一人で置いていかれたことを淋しく思ったのかもしれない。初めて繋いだ身体はもっとぬくもりを欲しがっているのかもしれない。 紺野には紺野の生活がある。明日学校は休みとはいえ、予備校はあ るだろう。時間ぎりぎりまでいて飛び出していった、そんな状況にも見えた。
裕太の傍に居てやりたい気持ちはある。けれど。
「水でも飲むか?」
「ううん」
裕太はかぶりを振った。
用がないのなら、情けないけれどこれ以上は傍にいてやれない。
「じゃあ、大人しく寝てろ、な。明日は遅くまで寝てていいから」
隆は小さく息を吐くと立ち上がった。
「たかちゃんは?」
「俺は居間で寝るよ。時々様子見に来てやるから」
「いいよ、たかちゃん。僕は……」
起き上がろうとした裕太を上から押さえつけた。
「無理しなくていいって。もう一緒に寝られるような関係じゃないだろ」
裕太はもう紺野のものだ。
「でも」
「良かったな、裕太」
心の底から言える言葉じゃない。けれど、今の自分の立場なら言ってやらなきゃいけない言葉だ。
裕太は気まずそうに、顔を伏せると布団の中で身体を丸めた。
「だから、な。大人しく寝てろよ」
隆は軽く裕太の頭を撫でると、ベッドへ背を向けた。部屋を出る前に、一度裕太へ視線を向けたけれど、裕太はそのままベッドの上で身体を丸めていた。
部屋から出てドアを閉めると、隆は大きく息を吐いた。

BACK | TOP | NEXT

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル