隆が目覚ましに起こされて目を開くと、目の前で寝ていたはずの裕太の姿は無かった。ただ、それはいつものことだ。
裕太の方が早く寝ているのだから、早く起きるのは当たり前で、わざわざ起こす必要もないだろうと、そっと部屋を出ていくのは納得はできる。
それでも、夜にぽつぽつ話をしてくるときは、話相手が欲しいのだろうと思った。同性愛はマイノリティに属するから、話し相手も当然限られて、裕太にすれば 隆は唯一の話相手のはずだ。
けれど、昨日あたりは何をしに来たのかさっぱり分からなかった。紺野の志望校が知りたかったのかもしれないが、そんなのは意味がないような気がする。志望 校が進学先になるかどうかは分からないし、同じ大学に行きたいと思っても裕太にはあと二年半の時間がある。
それこそ、昨日はベッドに寝に来ただけという印象があった。
「そんなに気持ちいいかあ?」
手を伸ばして感触を確かめながら、ベッドにまで嫉妬しそうになる。
「はぁ……」
そして出るのはため息だった。

高校三年生の夏も過ぎれば大抵の学校の当番はお役ごめんになる。ただ週番だけは変わらずその任務を持っていた。その日週番だった隆が日誌を職員室へ返し教 室へ戻ったとき、紺野が一人窓外を眺めていた。
隆は教室へ入ることを一瞬躊躇した。
裕太を呼んできてやろうか、そんな考えが頭に浮かぶ。二人で話す機会を与えてやったら、裕太はどうするだろうか。
まだ裕太が校舎内に残っているかどうかは分からないけれど、こんな機会はめったにあることじゃない。
そう思うくせに、動かない足があった。
裕太が告白したとして、それを紺野が承諾したら。そう思うと身体が強張る。
紺野が彼女を作らないのは、男色だからかもしれない。マイノリティだとはいえ、そういう指向の人間は確実にいる。少なくとも、裕太も自分もそうだ。
躊躇っているうちに、隆の足よりも先に紺野の方が動いた。
「もう、帰るのか?」
振り返った紺野が隆に言った。
「ああ」
返事をしながら、隆は教室へ足を踏み入れた。
今更、裕太を呼びに行くわけにはいかないな、そう思いながらほっとしている自分がいた。窓側から二列目になる自分の席へ行き、机の脇から鞄を取り上げた。
「今日も、予備校?」
「いや、今日はまっすぐ家に帰るよ」
昨日出された課題が終わっていなかった。裕太の寝顔をちょっと見ていただけのつもりが、思いの他時間が経っていて、もういいや、とその時は諦めた。
「志望校決めたのか?」
紺野が裕太と同じことを訊いてくる。
「いや、まだ迷ってる」
「そうか」
紺野が俯き加減に隆の方へ一歩近づき、隣の机に片手を付いた。
「お前は?」
隆は紺野に問いかけた。裕太に分かったら教えてやると言ってある。
「俺も、まだ」
そう言った紺野は顔をあげ、隆を見る。すぐ目の前に紺野の顔がある。いつ見てもきれいな顔立ちだと、隆は思った。きれいな二重とバランスの整った鼻と口。 男であっても美しければそれだけで幸せの半分を手にしているんじゃないか、と思える。
「少しいいか?」
続けた紺野の顔は少し引きつっているように見えた。
「いいよ」
あんまり話をしたくはなかったけれど、隆に断る理由はなかった。三年間同じクラスだった。一年の時は紺野が学級委員で隆が副委員だったし、生徒会長の選挙 では隆が応援団長をやった。今の隆の気持ちはどうであれ、表向きの仲は良い方だ。
紺野は躊躇うように、一度視線を落とした後、ゆっくりと隆を見上げるように視線を戻した。そして、口をゆっくり開いた。
「好きなんだ」
言いながら、紺野の黒い瞳は小さく揺れていた。
「え?」
隆の頭は働かなくて、言葉が理解できなかった。まるで、風のように言葉が頭の中を通りすぎて行った。
「好きなんだ、お前のこと」
同じ言葉を繰り返されて、やっと頭が動きだす。
「あ……え?」
けれど、その頭も混乱して、どうしていいか分からなかった。自然に手が頭へいき、頭をがしがし掻く。
「ごめん。驚くよな」
紺野が視線を伏せた。
「いや、あ、その」
何を言ったらいいのか分からない。心臓がどくんどくんと大きな鼓動を始める。
「だめだよな。男が男に好きだなんていうの、おかしいと思うだろ」
「いや、そんな、ことはないよ」
隆の頭に裕太の顔が浮かんだ。泣きながら同性を好きになったと裕太は言った。
紺野が顔を上げ、驚いたような表情をした。
「軽蔑、しないのか?」
「いや……そんな、ことは……ないよ」
返す言葉はしどろもどろになる。
「お前は、優しいから、そう言ってくれるんだよな」
紺野は眉根を寄せ、小さくため息をついた。
「そんなことないよ」
指向を否定されることは辛いことだと分かるから、それだけは紺野に応えてやりたかった。
「じゃあ、俺はお前のこと好きでいいのか?」
「え?」
「今すぐとは言わない。待っていたら、俺にも望みがあると思っていいか?」
「それは――――」
隆は答えられなかった。
紺野が縋るような瞳で隆の顔をのぞきこむ。
前にも同じ瞳を見たことがあった、と隆は思った。

高校へ入学してすぐの頃だった。
紺野が担任に学級委員を指名されて、紺野の隣に座っていた隆が副をやることにされた。最初の仕事だった標語をまとめろといわれて始めたホームルームの時間 に、紺野が意見を出してくれと言っても、みんな知らん顔だった。そのうち雑談が始まって何を言っても収集がつかなくなった。その時はきれた隆が黒板を叩く と、クラスは静まりかえって、なんとか意見もでて事なきを得た。
その日の放課後、ホームルームの結果を提出用紙に書きながら紺野は自信がない、とぽつりと言った。人をまとめる力なんて自分にはないと、今にも泣きそうな 顔をしていた。
『お前なら大丈夫だよ』
隆は紺野にそう言ってやることしかできなかった。
『お前に睨まれたら、俺なんかトイレ掃除だって大人しくやっちゃうぜ、自信もてよ』
そう言いながら、ホントだよな、と紺野のきれいな顔立ちを見ながら思った。きっと睨んだら迫力あるんだろうなと思った。
『俺でよければ、何でも力になるから』
隆が紺野の肩をゆすぶると、紺野は隆に『ありがとう』と言いながら、その時、たった今見せたような瞳をした。
自分がしっかりしなきゃな、そう隆に思わせた瞳を見せたのはその時一回だけで、これが弱音を吐いたやつかと思えるほど、紺野は変わった。

「それとも、迷惑?」
紺野が問いかけてくる。
「それは」
言葉が途切れる。答えが浮かんでこない。
「少なくとも、迷惑じゃないんだよね」
紺野が念を押すように言う。
「悪い。今、混乱してるんだ。少し考えさせてくれないか」
とりあえず、答えを保留したかった。
好きなやつはいる。だから、紺野の気持ちを受け入れることはできない。そう言ってしまえばいいのに、頭の片隅でそれを否定するものがある。
「……分かった」
紺野が小さく頷いた。
深く追求されなかったことに、隆は胸を撫で下ろした。
「ごめん、急に。でも、志望校を決める前に聞いておきたかったんだ。ずっと友達でいられるとは思わなかった。その日がいつ来るかいつもびくびくしてる」
紺野が視線を伏せる。
「びくびく?」
それは隆には意外には言葉だった。入学したての頃なら分かる。けれど、今はもうその頃の紺野を微塵も感じさせない。生徒会長として一年務めた自信もあるは ずだ。責任者だった去年の文化祭も評判は良かったらしい。
「隆が前の彼女と別れたと聞いた時には嬉しかったんだ。ごめん。でも、今度はいつ新しい彼女ができるんだろう、と不安だった。だから、去年の文化祭は、 ずっと生徒会室に縛り付けた。誰の目にも触れさせたくはなかったんだ」
ふっと、去年の文化祭が隆の脳裏を過ぎった。
手伝ってくれと言われ、確かに生徒会室から出られなかった。屋台で出している全種類のメニューが試食という形で届けられたし、アトラクションに限っては開 場前、並ばず一番にやらせてもらったこともあって、文句も言えなかった。

「でも、俺なんか――――」
「隆は鈍感だから分からないんだよ。一年の時、隆を見てた子や、手紙を渡そうとしていた子がいたってこと」
言葉を遮られ、思いがけないことを聞かされて、隆は呆然とした。
「同じ大学へ行って、ずっと友達でいることも考えた。でも、そんなの絶対無理だ、って思ったんだ」
「同じ大学?」
そんなはずはないだろ、と隆は思った。
裕太に言った言葉は単なる思い付きなんかじゃなかった。模擬テストの成績を見れば、紺野はそれが当たり前のランクにいる。
「ごめん。先生のところへ行った時、隆の調査表を見て……好きな大学だし、隆と一緒に通えるなら、と思った。でも――――」
「大学は自分の行きたいところへ行けよ」
隆は紺野の言葉を遮った。
冗談じゃない。大学志望の理由を自分にされちゃたまらない。そう隆は思った。
紺野は驚いたように口を噤む。
「ちゃんと自分の志望校受けろよ。そして、合格してみろよ。それができないんなら、お前に対する答えなんて一生保留だよっ」
隆は言葉を投げつけるように続けると、手元の鞄を取り紺野に背くように教室を出た。

――――なんだよ
悔しさなのか、切なさなのか分からない気持ちがこみ上げてくる。
紺野のことは嫌いじゃない。裕太のことがあって、自分としては少し距離をおいていた。態度から嫉妬がにじみ出てしまいそうで、そんな自分が嫌だったから だ。紺野のことを友達というより、今は裕太が好きなやつとしか見れない。

「嫌なやつだよ、俺はっ」
廊下を歩きながら、隆は呟いた。
紺野の何でも思い通りにできるような口ぶりが悔しかった。どこの大学でも、自分が望めば入れるのだと、紺野の言葉はそう聞こえた。こいつは裕太の気持ちま で独占しているのに。そう思うと悔しさはそのまま言葉にでてしまった。
合格しろよ、と言いながら心の中では落ちれば良いと思っていた。少しは悔しい思いをすれば良いと思った。実際はそんなことはなくて、きっとあいつはどこで あろうと合格するだろう。それだけの実力があるから尚更悔しくなる。

自分は何を望んでも手に入れる自信はない。調査票に書いた志望校も、やっとCランクに達したレベルだ。目の前にいるのに、裕太には気にもかけられない。物 言わぬベッドにさえ負けている。

「畜生っ!」
裕太が好きなのは紺野で紺野がすきなのは自分?
思いの方向はきれいなトライアングルを形どっている。一方通行出口なし。どこまで行っても向かいあうことはない。
紺野の指向が同じだと知ったら、裕太は喜ぶだろうか。少なくとも希望はあるわけだ。今の自分と同じように。
そして、裕太の希望が通れば、自分の希望は砕かれてしまう。
頼りがいのある幼馴染としてはどうする?
隆の頭の中で響く声がある。

脳みそは考えることをやめた。


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