いつから?


隆はつけた部屋の電気を、直ぐに消した。
確かに自分の部屋なのに、ベッドのタオルケットの下には一人分の膨らみがある。
それが誰かは確かめなくても分かった。
「別にいいけど……」
口の中でもごもご呟き小さくため息をこぼした後、隆は鞄を部屋の隅に置くと静かにドアを閉めた。
初めてなわけじゃない。許したのは隆だった。
階下へ降りると隆はリビングへ入った。
「隆、いつ帰ってきたの?」
ソファでテレビを見ていた母が振り向き隆に声をかける。
「今、さっき」
予備校から帰って母には声をかけずに部屋へあがった後、すぐに降りてきた。
「裕太くんが、さっき来たわよ。何か借りる約束してたって」
「ああ、うん」
適当な相槌を返す。
たぶん、母は裕太は目的のものを持って帰ったと思っているだろう。
「ご飯とお風呂どっちにする?」
「飯」
答えながらそのままリビングを突っ切りダイニングテーブルに座った。テーブルの真ん中に置いてあった沢庵に手を伸ばし、一切れ摘むと口へ放りこむ。かじる と歯切れの悪い音をさせ、口の中には特有の辛味が広がった。


食事と風呂を済ませると、手に制服のズボンを持ちバスタオルを腰に巻いて隆は重い足取りで階段を上った。部屋には裕太がいる。そう思うと出るのはため息 だった。
別に裕太が嫌いなわけじゃない。嫌いならさっさと追い出している。それができないから、ため息をつくことしかできない。
ゆっくり部屋のドアを開けると、さっきと同じくベッドで寝てるやつがいる。
少しだけドアを開けたまま、鴨居にかかったハンガーにズボンを掛けると、たんすから着替えを出し身に着けた。ゆっくりと静かに。
なんで自分の部屋なのに、こんなに気を使わなきゃいけないんだ、と思う。あいつは勝手に来て勝手に寝ているんだから、自分が気を使うことなんてないはず だ。そう頭の中じゃ思っているのに、身体への指令は違うところから出ているらしい。
たんすの引き出しを閉めようとして、がたっと音がしたことにびくっとして思わず、振り向いてベッドを見た。
視線の先では身じろぎもしない身体が横たわっていて、ほっと胸をなでおろす。そして、何やってんだろ、と自分のことを思った。

夏休みが終わり、高校三年の隆は大学受験も本腰を入れる時期になってきている。
デスクライトをつけるとドアを閉め、鞄を取り上げ予備校から出された課題をやるために机に座った。
座ってまたため息をつく。
「おかえり」
暢気な声が背後から聞こえた。
「起きてたのか?」
振り返りベッドの上の人物に尋ねる。
「うん」
「ずっと?」
「うん」
ベッドに横向きに寝たまま、隆を見上げるようにして裕太は答えた。

家の丁度裏手に住んでいる二歳年下の裕太は幼馴染といえる間柄で、子供の頃は年中一緒に遊んでいた。近道だと垣根を飛び越え遊びに来るので、親が垣根を切 り、入り口を作ったほどだ。
それが、隆が中学に入って少しした頃、ぷっつりと来なくなった。
隆に彼女ができた頃でもあり、裕太も友達と遊ぶ方がよくなったのだろう、と隆はさして気にしていなかった。
そして、二年前。裕太は突然やって来て、部屋でぼろぼろと泣き出した。
『好きな人ができた』
大粒の涙を流しながら裕太は言った。泣くことはないだろ、と背中をさすってやっても、涙は止まりそうも無かった。
『どうしたらいいか分からない』
そう言った裕太は『たかちゃんは僕を軽蔑しない?』と訊いてくる。
軽蔑なんてしない、そう答えると、裕太は好きになったのは男なんだ、と言った。
『軽蔑しない? 嫌わない?』そう言いながら大きな瞳に涙を溜めている裕太に、隆は否定の言葉は出せなかった。
『軽蔑なんかしないよ。嫌いになんかならない』
頭を撫でながら隆が答えると、裕太は安心したように『良かった』と呟いた。
それから、また、裕太は隆の部屋へ来るようになった。
そして、来るたびに、同じクラスの友達だという好きな人の話を隆にした。一、二時間話すと落ち着いたように帰ったものが、段々エスカレートして、泊まるよ うになった。初めて、裕太が泊まったのは、裕太の好きな人に彼女ができた時だった。
それからしばらく元気がなくて、来てもベッドの上に座ってぼんやりしていた。話かけてもうわの空らしく、まともな返事が返ってこなかった。そんな調子で学 校行ってちゃんとやっているのか心配だったけれど、本人の弁によれば、学校ではしっかりとしてるらしい。
『たかちゃんの前だけだよ』
そう言われると突き放すこともできず、裕太の好きにさせていた。
そのうち、照れたようにまた好きな人ができた、と裕太は言った。
『こんな話をできるのは、たかちゃんだけだから』
そう何度も言われた。
『たかちゃんの傍にいると安心する』
そう言って身体を擦り寄せてくる。
そんなこんなで二年が過ぎ、裕太の好きな人も変わっていった。三度目の正直になるといいな、そう言いながら裕太は初めて好きだという人の名を隆に告げた。 それは、三ヶ月ほど前の事だ。今までは言わなかった。そして、隆も聞かなかった。
四月から隆と同じ高校へ通うようになった裕太は無理やり押し付けられたと文化祭委員になったらしい。
そこで会ったんだ、と裕太は言った。
『三年生なんだ』
裕太が俯きかげんに口にした。
『三年生で文化祭委員はいないだろ』
秋に行われる文化祭に三年生は関わらない。そう言ったものの、隆はひとつの事実に気が付いた。
『裕太、まさか』
たった一人の例外がいた。去年の生徒会会長だった紺野拓海。そいつは補佐として委員会に名前を連ねていた。
『紺野、拓海っていうんだ』
隆の頭の中と裕太の言葉はぴったりとあった。
少しの驚き、そして残りは痛みが隆の心の中を占めた。

『凄い人なんだ』
裕太は遠くを見るように言う。そんなことは裕太の言葉を聞かなくても隆は知っている。
三年間同じクラスだった。成績も良ければ、まるで作り物のようなきれいな顔立ちをしていた。
今までぼんやりと影でしかなかった裕太の思いの先を知らされて、隆は愕然とした。
――――敵うわけがない

初めは可愛い年下の幼馴染だったはずだった。それがいつから変わったのか。
柔らかく、染めてもいないのに茶色の髪はふんわりとして指によく馴染み、大きな瞳はくるくるとよく動いた。安心しきったようにもたれてくる身体は守ってや りたい、と思った。無防備な寝顔にどきっとして、思わず唇を近づけてしまったのは一回や二回じゃない。その度に、こいつには好きなやつがいるんだ、と思っ た。
自分が男を好きになるとは思わなかった。本当ならそれだけで諦めなくてはいけないことかもしれない。現に裕太は二回思いを告げることさえできずにいた。指 向は同じ、けれどそれだけではだめだ。女が星の数いるように、男もまた星の数ほどいる。思いが重なるとは限らない。
今までははっきりとしなかった恋敵に、いつかは裕太が自分の方を向いてくれるかもしれないと思っていた。
それは裕太の告白であっさりと打ち破られた。
『お前、ああいうやつが好きなんだ』
小さく呟いた隆の言葉は裕太には聞こえなかったらしい。
『え? 何?』
聞き返してきた裕太に、隆はかぶりを振った。
『ライバル、多いぞ』
言葉を挿げ替える。去年の文化祭では、女が寄ってくると、紺野は生徒会室にこもっていた。彼女がいると聞いたことはない。時間があるときには本を開いてい るところを見ると、本とか勉強が恋人だと言いそうだ。それが妙に合っている気もする。
『ん。分かってる』
裕太の声には諦めが入っているようにも聞こえた。一回目よりも二回目、それよりも三回目になると、分かってくることもある。指向の違いは大きい。

「今日は何かあったのか?」
隆は大きな瞳に問いかけた。挨拶に近い言葉だった。辛い思いは吐き出すだけで楽になる。自分にしてやれることは、話を聞いてやることだけだ。
「ううん」
それは予想できた結果で、何か問題がない限り、紺野はもう委員会には出ないはずだった。そうなれば、当然接点もなくなる。一年生が不用意に三年生のクラス へも来れない。
それでも、時々裕太は隆を訪ねるふりをしてクラスへ顔を見せた。
辞書貸してとか、財布忘れたとか。けれど、そんな些細な用事を毎日続けることもできない。今日、裕太は姿を見せなかった、だから、たぶん紺野の姿を見ても いないのだろう。
「勉強、続けていいよ」
ベッドに横になったまま、裕太は続けた。
「ああ、うん」
促されて、机に向かう。
鞄の中からテキストを出していると、かさかさっと衣擦れの音がして、隆が思わず音の方へ視線を向けると、裕太がベッドから抜け出そうとしていた。
「電気つけないと、目が悪くなるよ」
言いながら部屋の入り口まで行って、スイッチを入れる。途端にぱっと部屋が明るさに包まれた。
「これじゃあ、お前が寝られないだろ」
そのまま、またベッドにもぐりこもうとする裕太に声をかけた。
「ん、大丈夫。このベッド、すごく気持ちが良いんだ」
裕太がベッドの上で身体をまるめる。
――――ベッドね
隆は心の中でため息をついた。
自分の傍がいいんじゃなくてベッドが目当てかよ、と言いたくなる。本当に気持ち良さそうに丸まる裕太に、自分は無機質なものにまで負けてるのかよ、と情け なくなった。

「たかちゃん、志望校決めた?」
机に向かった隆に、背後から裕太の声がした。
「ああ、まだ迷ってる。国立を第一希望にすると、ちょっと厳しいかな、と思って」
私立に決めてしまえば、一ランクあげられるかもしれない。
「紺野さんは、もう決めたのかな」
裕太の声がおずおずとしたものに変わった。
「――――さあ、でも、あいつは東大狙ってるんじゃないの」
言葉に出してから、少し突き放した声になってしまったと隆は後悔した。好きなやつのことを知りたいのは当たり前だろう。それに嫉妬してしまう自分が卑しい だけだ。
「分かったら、教えてやるよ」
裕太の方を振り向きながら続けた。
「うん」
タオルケットから顔だけ出して裕太が答える。
裕太の身体を覆っているタオルケットを剥いで上から押さえつけたい衝動を覚えながら、隆はその気持ちを振り切るように机に向かった。

壊したいわけじゃない。裕太も裕太との関係も。
最初は乗らなかった気持ちも、問題を解くうちに変わってくる。ふっと集中が途切れた瞬間に寝息が聞こえてきた。
隆は席を立つと部屋の明かりを消した。そのまま机に戻ろうとしたのに、足はベッドへ向いていた。
スプリングを揺らさないように、縁にゆっくり腰掛けると、裕太を顔をのぞきこむ。裕太は少し口をあけて、安心しきった顔で寝ていた。きっと、今、同じ部屋 にいるやつがどんなことを考えているかなんてことは考えてもいないのだろうと、隆は思う。目尻の傍まで唇を近づけると、そっと触れて直ぐに離す。実際でき るのはこの程度だ。

「少しは目の前を見ろよ」
口の中で呟き、天井を見上げてため息をついた。気持ちは自分のものでさえ思い通りにならないことを知っている。
だから、せめて嫌われたくはないと、頼れる幼馴染を演じている自分が嫌になってくる。
いつか――――そう心の中では思っていた。
傍に居れば、待っていれば、思いが交わるときが来るかもしれない。諦めるのはまだ早い。


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