クリスマスは蜜柑の味
空気に温度計など付いていないのに、窓の外の空気は冷たそうに見えた。
一緒に勉強するという名目で来ている部屋の中は上から温かい空気を送ってくるやつがあって、おまけに中に入って丸まると猫になった気分を味わえるものが足
を暖めてくれていた。
『受験生に冬休みはない』
床に放られていた塾のちらしにそんな言葉が踊っていた。
「……クリスマスもないのかな」
凌がぼそっと呟くと、横でみかんの皮をむいていたやつが「あん?」と顔を向けてくる。
五分だけ休憩しようと言って、拓也はみかんに手を伸ばした。
「クリスマス」
そんな言葉が甘酸っぱく感じたのは今年の冬が始めてだった。
「そんなもん。幼稚園までで終わりだろ?」
拓也がみかんを一粒自分の口に放り込む。
「なんでさ。クリスマスはホテルが満室になるんだよ」
それもどうなの? と思わないでもないが人気らしい。
「ホテルにサンタが来るのか?」
そ知らぬ顔で拓也はまた一粒放り込む。
今やクリスマスは恋人たちのイベントのひとつだ。
分かってるくせに、と思う。
拓也が話題を逸らすときは何か都合が悪いときだ。
「初めてのクリスマスだよ」
どんな都合かは分からないから、少し突っ込んでみた。
今年の夏、お互いの気持ちを確認して、一応恋人と呼べるような仲になった。
「お前、そんなでかい体して、まだ一回も誕生日がこないのか?」
拓也がしれっとして言う。
それを無視して。
「ホテルとまでは言わないけど、どっか行きたいなあ」
凌は呟くように言った。
来年大学受験を向かえる身としては遊んでいられないのは分かる。合格さえしてしまえば、と思うところも大きい。でも、少しぐらい楽しみがあってもいいん
じゃないかと思う。
拓也は何も答えずに、今度はただみかんを口に放り込んだ。
初めてというのは一回しかない。
クリスマスは来年もその次もまたその次も来るけれど、初めて二人で迎えるクリスマスは一回きりだ。
「みかん、うまいぞ」
突然拓也がみかんを一粒口に近づけてくる。思わず凌が口を開けると中に放り込んできて、そのまま、そっと唇を撫でた。
つっけんどんな口調とは違う優しい指。
「これも食う?」
言いながら拓也が指を突っ込んでくるから、凌は反射的に口を開けてしまった。
「た……」
口を開けたまま声を出すのは難しくて、けれどみかんを含んだまま指を入れられてこのままでいるのは辛い。
「何? これだけじゃ不満?」
腰を引き寄せられ倒されて、あっと思ったら覆いかぶさってきた唇に塞がれていた。
「んっ……」
みかんを一粒口に含んだままでキスなんて、こんな乱暴なことをされたことは無かった。
言うことはいつもつっけんどんでそっけなくて、でも、触れてくる手も唇も優しかった。
なのに、なんで、こんな――。
忍び込んできた舌にみかんが潰されて、口の中に甘酸っぱい果汁があふれる。仕方なくて飲み込もうとしたのに、少し口から零れて、でも後はどこへ行ったのか
喉を通ったのはわずかな量だった。
「ん? た……」
凌が頭を振って振り切ろうとしたのに、押さえつけられて離してもらえない。
――拓也?
なんでこんなことをするのだろうと思う。
ただ、クリスマスの話題を出しただけだった。
みかんがなくなった口内を拓也の舌はゆっくりと撫で回す。
「んっ……」
心で不満を零しながら、けれど、魔法にかかったみたいに凌は体の力が段々と抜けていった。
聞こえるのはエアコンが吐き出す音とぴちゃぴちゃと重なる唇がたてる音だけで、この空間は二人だけのためにあるように思える。
いつの間にか体が触れ合っていて、硬く主張するものを下腹部に感じた。
「凌は俺とサンタ、どっちが大事なんだよ」
やっと離してくれた拓也の不満げな声が耳元で囁く。
「そんなの……決まってる」
凌は拓也の背中へ腕を回して抱きしめた。
サンタさんは別名幼稚園の園長さんだったり、アルバイトだったりする。比べるも何もない。
「じゃあ、いいじゃん、クリスマスなんて」
――え?
まさかサンタに嫉妬したなんてないよな、と思った。
「クリスマスだって正月だってバレンタインだってひな祭りだって、どこにも行かなくてもいいだろ?」
拓也が続ける。
うーん、少し話がずれてきたんじゃないの、と思った。
「だって、記念になるじゃん」
遠い先に、思い出のひとつとして懐かしむできればいいな、と思う。
「記念より、俺はお前といたい――だめ?」
珍しく、声が優しく聞こえた。
「だから、一緒に――」
言いかけた言葉を人差し指で塞がれた。
「二人だけで。誰にも邪魔されないところで」
――それは?
「どこ?」
声に出して答えは分かった気がした。
「ここに決まってんじゃん」
拓也は当たり前だ言わんばかりに得意げに答える。
拓也の家は両親が共稼ぎに加えて一人っ子だから、今だって家にいるのは二人だけだ。
出張がちの父親とは顔をあわせることすら少ないと言い、管理職の母親も夜が遅い。土曜日曜も接待だパーティだ会合だと家をあけることも少なくなく、家事は
すべて午前中に来る家政婦さんに任せているらしい。
キスして、息を感じて、ただ体が触れているだけで体は熱くなってきていた。
「することしないと、勉強もできないよな……」
「……ん」
お互いのものを、たぶん、互いに感じていた。
拓也が下半身に手を伸ばしてくる。
「五分で終わらせる?」
「ん、ううん――後の予定を遅らせる」
体が熱いままで放られたら、何も手につかなくなる。
気持ちがあえば、先は早い。
一分も経たないうちに、冷たいベッドの中で素肌を合わせていた。熱い体を飲み込んだベッドの中はすぐに温かくなってくる。
「どっか行くより、こっちの方がいいだろ?」
拓也が耳元で囁く。
「んっ――ん、うん……」
こんな時に聞いてくるのはずるいよ、と思いながらも凌は拓也を求めていた。
組みしかれ揺らされた体はあっという間に上り詰めていく。
満たされた後、髪を撫でながら向けてくれる視線があった。
窓ガラスは曇っていて、外は更に冷えているのだろうと思う。
こたつよりもエアコンよりも温かいぬくもりを体はじかに感じていた。
「クリスマスはずっと、こうしていよう」
拓也が首筋にキスを落としてくる。
「それもいいけど――」
はっきり言葉にできない何かが凌の心にくすぶっていた。
「それに――」
拓也が言いかけて口を噤む。
「何?」
噤んだその先を凌は促した。
拓也の思うことはすべて知りたいと思う。
「お前を外に出すのは嫌だ」
まっすぐな瞳が目の前にあった。
見つめられて、凌は何も言えなくなった。
拓也が望むなら――そんな気になってくる。
「でも――」
それでいいの? と思う。
拓也が小さくため息をつく。
「ツリーでも見に行くか?」
拓也が不満げに零した言葉に凌は胸がとくんと弾んだ。
「うん!」
二人きりもいいけれど、二人で同じものを見たり、聞いたり、感じたりするのもいいんじゃないかと思う。
「少しだけだぞ」
拓也が釘をさすように言った。
「いいよ」
拓也がそう望むなら。
「絶対、他のやつなんか見るなよ」
見るわけがなかった。
「拓也もね」
そっちの方が心配だ。
「決まってるだろ」
額をぱちんとはじかれた。少しの痛みはすぐに消えて心が温かくなってくる。
「正月の初詣は裏の神社だからな」
「え、うん」
人がいるところを見たことがないところだった。
「バレンタインデーはうちでチョコ作れよ」
「別に……いいけど」
お望みなら。
「ひな祭りは……」
「やるの?」
それは、畑違いなんじゃないかと思う。
「合格祝いができたら、いいな」
「そ……そうだね」
受験生であることを忘れていた。
「絶対、同じ大学に行こうな」
「うん」
そのためにはしなければいけないことがあって、でも今はちょっとだけ卓也を感じていたいと思う。
ぎゅっと抱きしめてきた拓也もきっと同じだと凌は思った。
「ずっと一緒にいられるよね」
入学式があって、GWがあって、夏休みがあって冬休みもあって。
「俺はそのつもりだけど?」
つっけんどんな言葉は戻っていた。でも、撫でてくれる手は優しい。
「ん……」
またクリスマスがきて、季節も月日も回っていく。
永遠に続く螺旋階段を上るように――その中をずっと一緒に。
Fin.