思いのカタチ
「ふふ……」
笑いながらしなやかな圭吾の指が髪を梳く。
圭吾と付き合い始めたとき、軽く刈り上げられていた洸の髪は今肩を隠すほどの長さになっていた。
大学構内で声をかけられて、サークルの誘いだと思って付いていった先はホテルだった。誘われるまま大した抵抗もせずに抱かれていた。それが最初だった。
男と体を重ねたことも。
『きれいなんだから伸ばせよ』
長髪が好きでない洸だったけれど圭吾にそう言われて反抗できずにいた。甘さを含む端正な顔立ちに笑いかけられると、男だと分かっているのに全てを忘れて見
とれてし
まう。
上り詰め上気した体を慈しむように、手が髪を撫でた。
「好きだよ、お前の髪」
圭吾が髪に唇を寄せる。微かな圭吾の息を洸は頬に感じた。
「好きなのは僕の髪だけ? 」
言いながら洸は圭吾の首へ手を回した。
自分のものにも嫉妬してしまう。
「黒目がちな瞳も、すっと通った鼻も、柔らかくて抵抗しない唇も好きだよ」
圭吾の口からでる言葉は全て自分を指しているのに、なぜか悲しくなってくる。
「他には? 」
洸の問いかけに、圭吾が目を細めた。
「どこって言えば満足する? 」
圭吾が足を絡めながら耳元で囁く。
洸は答えられなくて、ここでその質問は終わりだ。
肌も手も足も耳も、一番敏感なところも大事なところも、圭吾を受け入れるところも、全部好きだと言ってくれたのに、満足できない。
「好きだって言ってんのに、そんなに悲しそうな顔するなよ」
唇が軽く触れる。
「それとも、お前は俺が嫌い? 」
触れたまま唇が動く。
洸は首に回した腕で圭吾を引き寄せると、何回もかぶりを振った。
「大好きだよ、誰よりも、何よりもっ」
言葉をくれる。抱いてもくれる。なのに、どうしてもテーブルに置かれた銀の指輪を視界の隅で捕らえてしまう。
歳より若く見えるこの人には愛情のない政略結婚とはいえ、家に帰れば奥さんがいる。夫婦の睦事が嫌いで寝室は別で肌に触れたことも見たこともなく浮気は家
庭に持ち込まないなら好きにすればいいと言われいると聞いても、この人を縛る人がいるのは事実だ。
「じゃあ、なんでそんな顔するんだよ」
「圭吾は僕だけのものじゃない」
どんなに好きだと言ってくれても、二人の間を阻む陰を感じる。
「お前だけだよ。好きなのは……始めは、ちょっと摘むだけのつもりだったのにな」
「酷いよ」
「そうだな」
「ほんとだよ」
洸はぼやいた。
初めて見たとき、男に慣れていると思われたらしい。
『付き合わない? 』
そう言われて勝手に学生でサークルの誘いだと思った自分の無知を後悔するべきなのか。それともこれだけ好きになれる人に出会えたことに感謝するべきなの
か。
ただ、ひと目見たときから惹かれたことは確かだった。
洸が男に抱かれたことは初めてだと知って驚いて、圭吾は摘むだけのはずだった予定を少し変更してくれた。
週に一度手土産を持って圭吾は洸のアパートを訪ねてくる。寿司の折り詰めだったり、ケーキだったり、ステーキ肉だったり、それは食べたら消えてなくなって
しまう
ものばかりだった。
圭吾が手を伸ばして腕時計を見た。
「まだ時間はあるな」
そう呟くと圭吾は洸の唇へ啄ばむように触れ、体を引き寄せて引っくり返した。
洸は背筋に温かいものを感じた。それは、啄ばむように下へ降りていく。
腰を引き上げられて、指が中を探る。
「はぁ……、っ……、んんっ」
もう十分に解されて一度上り詰めたそこは、ちょっとの刺激にもすぐ感じてしまう。
「ほんと、感じやすいなぁ。あれで初めてだったなんて詐欺だよ」
「圭吾が……ん、うまいからだよ……」
初めてだったのに、少し異物感を感じたぐらいで、酷い痛みとかは無かった。圭吾に触れられただけで、熱に浮かされたように意識は霞んでいった。
「確かにきつかったけどな……」
圭吾のものが入ってくる。一杯に満たされて体の奥から熱が広がっていく。
揺らされて、刺激が心地よくて、夢の中にいるようだった。自分の息と後ろから聞こえる圭吾の息遣いが段々早く激しくなっていく。
「んっ……、あっ……」
自然に体が動いてしまう。擦りあい、刺激しあい、体
の奥で熱が膨らんでいく。ただ上り詰めたくて、ただ欲しくて、先にあるものを追い求めた。
「あ――――、ねぇ、もう……」
「イきたいのか?」
「ん、もう――――」
速くなる動きに体が持っていかれそうで、手に触れるシーツを握り締めた。
くちゃくちゃと抽迭を繰り返す湿った音と、お互いの息遣いが回りを包む。
やがて、限
界を越えて熱が弾けると、一瞬時間が止まったように周りが白くなった。そして、ゆるやかに体の中に余韻が広がっていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
圭吾のものを体の中に感じて、圭吾の熱い息を感じて、それは、一番幸せだと感じるときだった。やがて、息遣いが静かになって満たしていたものが引き抜かれ
るとその空虚さに一気に現実へ引き戻される。
「ねえ、帰っちゃ嫌だ」
離れていこうとする体を抱きしめた。
「小さな子供みたいに、駄々をこねるなよ」
圭吾が困ったような顔をして髪を撫でる。
「愛していない人のところになんで帰るの? 」
「そういう社会のルールだから」
「そんなルール破ればいいよ」
「ルールを破れば、その罰が下るぞ」
「どんな罰? 」
「少なくとも、俺は身ぐるみはがされて文無しだ」
「僕が養ってあげるよ」
「学生のくせに?」
「バイトするよ。一日中。大学辞めてもいい」
「馬鹿言うなよ。俺は身ぐるみはがされても、お前に養ってもらうほど落ちぶれやしないよ」
「……そうだよね」
学部の教授に見込まれて、娘を嫁にともらったほどの人だ。それも大学院に通っているときに。
「お前ともっと早く出会えてたらな」
神様は意地悪だ――――そう思わずにはいられない。
出会うなら、もう少し早ければよかったのに。
「ごめんなさい。わがまま言って……」
洸は抱きしめていた体を離した。独占したいけれど、それができないからといって全てを失うのは嫌だ。
「どうする? 俺が無一文で転がり込んできたら」
圭吾が洸の顔を覗きこんだ。
「大好きだよ。無一文でも、犯罪者でも」
たとえ何があっても、好きだと自信を持って言えた。
圭吾は洸をぎゅっと抱きしめると額にキスを落とした。
圭吾の携帯が繋がらなくなったのはそれからすぐだった。わがままを言うから捨てられたのだと洸は思った。
構内でたまに見かけても、避けられて無視された。それは以前からだったけれど、その後必ずフォローにメールをくれた。それが今はない。
悲しくて、苦しくて、後期試験が終わり空気が春めいてきたのを感じたとき、洸は圭吾が好きだと言ってくれた髪を切った。落ちていく髪を見ながら、もう忘れ
るんだと思った。
短くなった髪で部屋に帰ると、ドアの鍵が開いていて、まさかと思って飛び込んだ部屋の中では圭吾が気だるそうに足を投げ出して壁にもたれかかっていた。
ゆっくりと洸の方へ顔を向け、あった視線の先で圭吾は軽く笑った。
「あ……」
靴を脱ぎ捨てて、洸は圭吾に飛びついた。
「あぅ――――」
予想しなかった悲痛な叫びを聞き、思わず洸は圭吾から離れた。
「圭吾? 」
「ちょ、ごめ。今、体動かせないんだ。触らんないでくれる?」
「どうして?」
「肋骨にひびが入ってるかも」
「え? 病院は? 」
「どうせ、肋骨なんてほっとくだけだ」
「あ、でも」
どうしたらいいのか分からなくて、洸は視線を彷徨わせた。
圭吾の手が頬を撫でる。
「だから、ごめん、少しの間、抱いてやれない」
「なんで? 何があったの? 」
抱きしめられないもどかさが涙になって落ちる。
「もう、俺はお前だけのもんだよ」
「え? 」
圭吾の声が洸の頭の中を回っていた。
――――僕だけのもの?
「髪、切ったんだね……もう、遅かったのかな」
圭吾の手が今切ってきたばかりの髪に伸ばされて、そっと触れる。
「だって、悲しかったんだ。辛かったんだ。伸びるよ、伸ばすよ、すぐだから、だから――――」
待って――――そう言いたかったのに、胸が詰まって言葉にならなくなった。
「ごめんな。お前は俺が無一文でいいって言うから、俺は自分が無一文になるのとお前を失うのとどっちを選びたいんだろうって考えていた」
圭吾の手が優しく髪を梳く。
「ごめんなさい。僕がわがまま言ったから……」
冗談じゃなかった。けれど、それは圭吾の生活を壊すことでもあったから、どうしてもと望んだことでもなかった。
「お前の所為じゃない。俺も、偽りの生活を続けるのがもう限界だったんだよ」
圭吾が力なく笑う。
「僕を……僕を選んでくれたの?」
今の圭吾の姿はそうとしか思えなかった。
圭吾がふっと笑った。
「俺はお前の傍に居たいらしい」
髪に触れていた手が頬を撫でる。
「圭吾はばかだよ」
嬉しいくせに文句が出る。温かいものが体の奥からあふれてくる。
どんな状況であっても、圭吾が拒まないのなら付いていく自信はあった。それをきっと圭吾は分かっていて、それでも、けじめをつけてくれた。
「ああ」
圭吾が大きく息を吐いた。
「愛してるよ」
圭吾は洸に触れていた手を離し、ポケットの中から何かを出すと、洸の目の前のかざした。
圭吾がはめていたものとは違う銀色のリングが光を反射して光っていた。
Fin.