真っ暗な空に光るもの


「やっぱ、全然違うなあ」
史也が今まで覗いていた望遠鏡を外し、真っ暗な空を見上げて呟いた。
「当たり前だろ」
パッドの入ったシートの上に寝そべったまま、一哉も真っ暗な空を見上げた。真っ暗な空の星は数えるほどしか見えない。子供の頃行った祖父の家では、空が近 くて数え切れないほどの星が見えた記憶があった。なのに、最近久しぶりに行った祖父の家でもあっけにとられるくらい星の数は減っていた。ましては大都会と 言われるここで何も通さず降るほどの星を見ることなんてできない。

春休みも半ば、しかも夜も深まった学校の屋上には二人しかいなかった。
天文部の合宿、そんな希望を史也は顧問に出した。しぶしぶ許可が下りたこの企画に参加したのは、二人だけだった。ただでさえ幽霊部員が多い部だった。文化 祭の展示の時だけ、集まるのがせいぜいで色々うるさくないのが売りだったりする。その展示さえ、使いまわしなのだから楽なものだ。それで、そこそこ好評 だったりするからやめられない。
たぶん、バブルと言われた時期の遺物なのだろうと思われる望遠鏡は年季を感じるものの十分使えた。倉庫でこの望遠鏡を見つけて、史也は星が見たいと言 い出した。プラネタリウムでしか満天の星を見たことがないという史也は実際に瞬く星を見たいと言った。けれど、それさえ実際はレンズを通さなければ見るこ とはできない。

桜が満開になったとは言っても、太陽が落ちれば風はまだまだ冷たい。まるで真冬のようにジャンパーを着込み、ホッカイロなんかも準備していた。電池式のラ ンプと買い込んだ食糧、毛布、そんなものがシートの上には置かれている。顧問は携帯の番号だけを残し、宿直室にいるからと言った。別に流星群があるとか、 珍しい星が接近しているとか、そんなことがあるわけでもなく、まだ寒い屋上で星なんて眺めているのは物好きだな、と史也を見ながら一哉は思った。自分は星 を眺めているわけじゃない。望遠鏡を覗きながら歓声をあげている史也を眺めている。まあ、どっちもどっちかもしれない。

『好きなんだ』
そう言った史也の声を一哉は教室の手前で聞いた。
『悪いな、俺そんな趣味ないから』
そんな返事までも耳に入ってきた。
それは中学三年の夏休み前だった。その場で立ち止まってしまった一哉の前に、学年で一番の成績をもつ尾崎が教室から出てきた。
返事をしたのはこいつだと、一哉は声から分かっていた。尾崎は驚いた顔をして、でもそれは一瞬で、少し手をあげて挨拶すると、昇降口の方へ歩いて行った。
どうしようか――――そう一哉は思っていた。
誰でも告白を聞かれるなんて嫌なことだろう。それも断られた告白なら特に、おまけに指向がマイノリティなものなら絶対に。
すぐに教室へ入ったら、聞いていたことが分かってしまうだろう。だからといって、どれくらい待てばいいのだろうか。
そんなことを思いながら立ち尽くしていたら、史也まで教室から出てきた。
「あ……」
呟くように声を零した史也へ
「今、帰り? 」
そんな声を一哉はかけていた。
それまでは単なるクラスメートだったのに、一哉の中で何かが変わった。それから一年半が経つ。史也は夏休みあけに志望校のランクをひとつ落とした。そし て、それは 一哉の志望校と重なった。


「凄いなあ」
望遠鏡を覗きながら、まるで幼稚園児のように喜ぶ史也を見て、一哉は自分まで嬉しくなってくる。振られたことはきっとショックだったと思うのに、そんな様 子を微塵も見せたことはなかった。きっと、すべて自分の中で収めてしまうタイプなんだろうと思う。なのに、星が見たいと言った史也が意外だった。だから、 後押しもした。その甲斐があったと声を聞いていて思う。
「一哉も見る? 」
史也が少し顔を傾げて後ろを向いた。
「俺はまだいいよ。夜は長いし」
好きなだけ見ろよ、と思う。史也が喜んでくれればそれで良い。たった二人きり、それだけ十分だった。
しばらく望遠鏡を覗きながら、あーだこーだ言っていた史也が感嘆のため息のように息を零すと、一哉の横へ来て腰を下ろした。
「あんなにきれいなものが見えないなんて、もったいないね」
真っ黒な数えるほどしか星の見えない空を見上げて呟く。
「仕方ないよ。明るい方が便利だろ、色々」
星を見るより、明るいことを人は望んだ。
「ねえ」
史也が顔を伏せて呟いた。
「ん? 」
すぐ傍で息遣いを感じて、心拍数は確実に増えていた。
「何か僕に聞きたいことがあるでしょう? 」
顔を伏せたまま訊ねてくる。
「なんで? 」
そんなことを聞かれるのは意外だった。
「いつもそんな顔してる」
「そっか? 」
口ではとぼけながらも、一哉の心臓はばくばくしていた。
「……聞いてたんだよね? 」
それだけで何についてだか察しがついた。というより、それしか思い浮かばなかった。
そのくせ。
「何を? 」
口ではとぼけた。聞きたいとは思う。だけど、聞いてどうするつもりなんだろう。そう思うと聞くことはできなかった。
少し沈黙が流れた。
疑いを持たれているのなら、はっきり言った方がいいんだろうか――――そんな考えが一哉の頭に浮かんだ。
「やっぱり聞いてたんだね……全然思いあたることがなかったら『何を? 』なんて聞かないよね」
ため息まじりに空を見上げて史也が言った。
「え? 」
一哉は思わず体を起こした。
何でそうなるんだと思いながらも変なことは言えないと、言葉をつなげることはできなかった。
「一哉は優しいから気を使ってくれるのは分かるけど……僕からはなかなか言い辛くて、でも、聞きたいことがあるんだなと思いながら知らない振りをしている のもなんだか辛くて……いいよ、聞きたいことがあるなら聞いてよ」
冷たい空気に吐く息がうっすら白かった。
聞いてよ――――そう言われて、じゃあそうですかと聞けるはずはない。一哉は自分の気持ちもろとも墓場まで持っていく勢いでいた。

史也が顔を一哉へ向けた。その史也の顔を白い柔らかい明かりが下から照らす。大きな瞳と小さな唇と白く見える顔が妖艶に感じた。顔を覗き込むようにしてき た史也がふっと笑い、顔を伏せた。
「目は口ほどに物を言うって、ホントだね」
口元を隠すように手をもっていくと、史也はくっくっと笑った。
すべてを見透かされているようでどうしたらいいのか分からなくて、一哉は視線を宙へ彷徨わせた。
「なんで? 」
史也が不思議そうな声を出す。
「え? 」
おそるおそる一哉は史也を見た。
「一哉が動揺することなんてないだろ? 」
きょとんとした顔をして問いかけてくる。

――――世の中そんなに簡単じゃないんだ
一哉は心の中でそう答えた。
聞いてはっきりさせたい気持ちがないわけじゃない。けれど、優等生の尾崎と自分を比べるとこのまま闇に葬ってしまったほうが幸せな気がする。
史也の告白を聞くまで、自分はノーマルだったと思う。普通に雑誌のグラビアモデルを見ながら仲間と騒いでいたし、可愛いと思う女の子もいた。すべてがあの 瞬間から変わった。
始めは好奇心だったと思う。つい史也に目がいってしまった。見ているうちに目が離せなくなった。
きれいな瞳がくるくる動く。人当たりがよくて、いつも笑っていて、鈍くさそうに見えるのに足が速かったり、がり勉タイプじゃないのに成績が良かったり。模 擬 テストでは学年で十番以内で結果が張り出されていた。目立つタイプではなかったから、知らなかったことが多かった。意外に思うことで余計にのめりこんでし まった。

「まあ、いいや。何か聞きたいことがあるんだってことは当たりみたいだから、それも――――」
史也は途中で言葉を切った。
「ちょっと待てよ」
もしかしてはめられたのか?
反応を見られたとしか思えなかった。
「違った? 」
史也が顔を傾げるように見てきて、一哉は違うとは言えなかった。
「言いたいことがあったらはっきり言っていいよ。変態とか気持ち悪いとかは想定内だし、一哉は僕の指向を知っていて普通に付き合ってくれて感謝してる。な んかさ、辛 いとき、一哉がいてくれて、すごく救われた」
史也の言葉は意外だった。
「俺、何もしてないよ」
「それが嬉しかったんだ。気にしてくれているのが分かったし」
史也が即答する。
それは少し違う――――そう言おうとして一哉はやめた。気にしていたのは確かだ。

「尾崎のどこが好きだった? 」
なんとなく自然に言葉がでていた。
「背が高くて、顔もよくて、成績もよくて、クラス委員で生徒会の役員で……ずっと憧れてた」
「……そうなんだ」
あまりに当たり前の意見で一哉は正直気が抜けた。男同士だからといって、理由が突飛とは限らないよな。そんな考えが頭を過ぎる。
そして、そのどれもが自分には当てはまらないことが分かった。顔や成績はもとより、百七十を少し越える身長は史也とそう対して変わらない。
――――ここでやめておくのが吉だな
そう思い一哉は空を見上げた。
またたく星がひとつ、ふたつ、うっすらと雲も見えた。

「それが、聞きたかったこと? 」
「ああ」
一哉は即答した。
「そっか……」
史也が不満げに言う。
「星見ないの? 」
話題を変えようと一哉は思った。史也が見たがっていた星だ。
「なんかがっかりした……」
史也の声に元気が無かった。
「なんだよ、それ」
さっきまで喜んでいたはずだ。
「何か分からないことって、分かるまでが楽しかったりするよね。期待はずれだと、それだけ落胆が大きい」
「期待はずれだったのか? 」
一哉は腰をあげた。まだ望遠鏡を覗いてはいない。どれほどの星が見えるのかは分からない。
覗いた望遠鏡はその先に同じ空とは思えない数え切れないほどの星を光らせていた。
「星のことじゃない」
背後から声が聞こえた。
「じゃあ、何」
一哉が後ろを振り返ると、史也が一哉を見ていた。目があって一哉はどきっとした。
「聞かない方がいいよ」
史也がふて腐れたように言う。
「何だよ」
聞くなと言われれば余計聞きたくなるのが人情ってもんだ。
「一哉も、少しは男同士のあれこれに興味あんのかなって思っていたのに、違ったって分かってがっかりした」
史也が反り返るようにシートにあお向けに倒れる。
「そうだよな……」
続けて小さく呟いた。
――――興味はあるさ
一哉が正直に言えるのは心の中だけだった。
けれど。
「なあ」
一哉は史也に声をかけた。
他には誰もいない校舎の屋上、こんなチャンスは二度とあるか分からない。
興味があるって言ったら、史也はどうするのだろう。まるで興味が無いことが不満のようだった。
鼓動を速める心臓をなだめながら、少し勇気をだしてみようか。
一哉はそんな気になった。

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