次の日、日付が変わっても智史は帰ってこなかった。
明け方、カタッと小さな音が聞こえて目を覚ますと、クローゼットの前にいる智史が目に入り、少しだけ身体を起こして雅紀は智史の方を向いた。
「お帰りなさい」
寝ていると思ったのだろう。背中を向けていた智史は驚いたように、身体をぴくっと振るわせ、振り返った。
「起こしたか、悪かったな」
「ううん。良かった。昨日、帰ってこなかったから、ちょっと心配してた」
遅くなる時は常に連絡してくれていたとは言え、大の男が一晩空けたくらいで、大騒ぎしても恥ずかしいだけかと、何度か松田の携帯へ連絡しようとしたのを止 めた。元気な姿を見れば、連絡しなくて、良かったと思う。
智史は手に持っていたスーツをクローゼットに戻すと、雅紀の横へ腰かけた。
手を伸ばし、雅紀の身体を抱きしめる。応えるように、雅紀も智史の首へ腕を回すと石鹸の香りが鼻を掠めた。
「ごめん、雅紀。もう、お前を抱けなくなった」
耳元で囁かれて、雅紀は昨日智史が帰らなかった理由が分かった。
「――――ううん。良かったね」
胸に額をくっつけて、雅紀は呟いた。智史の腕が一瞬緩んだと思ったら、きつく抱きしめられた。

もう、この腕の中にいてはいけないのだと、離れるように雅紀は両手で智史の胸を押した。
「じゃあ、僕は早くここを出ていった方が良いね」
智史が槙を受け入れたのなら、雅紀の存在自体必要ないものになってしまう。
解いた腕を智史は、もう一度絡めてきた。

「今出ていく事はない。お前がここを出ていくのは、一人前のデザイナーになった時か――――あいつのところへ行く時だ」
「でも、槙さんに悪いよ」
身体の関係があったと分かっていて、一緒に住む事を許せるものなのだろうか。
「槙は――――全てを知って、理解してくれた」
「嘘だよ。それは、槙さんが自分の気持ちを抑えているだけだよ」
「だから、と言って、俺はお前に出ていけと言う事はできないし、槙はそれを分かってる」
「でもっ」
智史の指が雅紀の唇を止めるように押さえる。
「それ以上言うと、唇を塞がなきゃいけなくなる。そう、させたい? 」
頭を振ると、雅紀は視線を伏せた。智史のキスは好きだけれど、もう望んではいけないものだ。

「なら、この話はもう終わりだ。もし、どうしても、ここにいるのが嫌なら、いい場所を探すから少し待ってくれ」
思いがけない言葉に、顔をあげて智史を見た。
「そこまで、迷惑をかけられないよ。自分で捜すよ」
ふっと軽く笑うと、智史は意味ありげな視線を向けてくる。
「お前に任せたら、どんなものを捜してくるか、わからないからな。――――お前が住んでいたアパートを見た時、正直俺はショックだったよ。俺はお前がかわ いい。幸せになって欲しいと思う。もう、抱いてやる事はできないけれど、抱きしめてやる事はできる。意味、わかるか? 」
きゅっと抱きしめられて、雅紀は「うん」と頷いた。
抱き込まれた腕から智史の暖かさが伝わってくる。
「勝手にでて行ったりするなよ」
耳元で囁かれて「うん」と答えた。
もうこの人に抱かれる事はない、と思うと心を寂しさが掠めていく。
やりたい事はある。包んでくれる腕もある。それ以上望むのは我が儘だ、と雅紀は自分に言い聞かせた。
 

*****

ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
智史は窓辺に立ちながら答えた。受付から来客の連絡がきていた。本当に通していいのかと確認された時には、苦笑した。
ドアを開けて入ってきた姿に、なるほどと思う。ライダースーツで会社訪問は頂けない。受付の子にソファへ通されて、何度か会った時とは違い幾分緊張してい るような顔がうかがえた。

「こんなに早く返事が貰えるとは思わなかった。っていうか、本気で考えてくれるとは思わなかったよ」
話がある、と言って呼びつけたのをビジネスの話だと思ったらしい。
「そちらは、今検討中だ。こちらも、色々調べさせてもらいたい」
ちらっと顔をうかがうと、怪訝そうな表情を見せる。
「じゃあ、なんだよ」
表情が攻撃的になる。わかりやすいやつだ。
また、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
声をかけると、先ほどと同じ子がお茶を持ってきた。テーブルにお茶を置くと、頭を下げて部屋を出ていく。
智史は彼女がドアを閉めた事を確認すると、ポケットから一つだけ鍵がついたキーチェンを出し、真哉の前に置いた。そのまま、真哉の向かいに座る。

「なんだよ、これ? 」
「要らないのか。お前はのどから手が出るほど欲しいんじゃないか、と思っていたが」
どうしても、こいつの前では意地悪をしたくなる。花嫁の父みたいな気持ちだろうか、と智史は思わず自嘲した。
真哉は真意が分からないとばかりに、さらに、顔を歪めてキーチェンと智史の顔を交互に見る。 それは、手を出していいのだろうか、とうかがっているように見えた。
「何も他意はない。今日、俺は家には戻らない。後はお前次第だ」
「どういう事だよ。あんたは俺と雅紀を離したいんじゃないのか」
かみつくように真哉が言う。完全に敵だと思っているのだろう。
「雅紀がお前と別れたいと言うから協力しただけだ」
真哉の表情がゆるみ、唇を噛みしめた。
「――――なんで雅紀がそんな事言うか本当の理由知ってるなら、教えてくれよ」
「さあ、私は知らない。だいたい、私が雅紀と知り合ったのは、あいつが家を出てからだ」
「なんでなんだろう。突然なんだ、ほんと突然――――」
言いながら、真哉は頭を抱える。
「雅紀を本気で欲しいと思うなら、少し手荒い事をしなければいけないかもしれない」
「どういう事だよ」
真哉が顔をあげ、智史を見た。縋るような瞳に、応えてやる事はできない、と智史は思う。ここで、甘やかしては、今は上手くいったところで、続くとは思えな い。
「それ位、自分で考えろ」
言葉が詰まったように、真哉は唇を噛んだ。しばらく、智史を睨んだ後に口を開く。
「――――あんたは、なんで、突然、俺の肩を持つような事するわけ? 」

お前なんか信じられない、とでも言いたげな表情に、智史は大きく息を吐いた。
「雅紀はかわいい。ただ、あいつに幸せになって欲しいだけだ。どんな理由があろうと、雅紀を見捨てたりしないと言うなら、その鍵を貸してやる。少しでも、 迷いがあるなら、そのまま帰れ。そして、もう二度と回りをうろつくな」
真哉は智史を睨んでいた視線をキーチェンへ移す。一度手を握り込み、開いたその手でキーチェンを拾い上げた。
「分かった。約束するよ」
真哉はキーチェンを握るとそのまま席を立つ。
「お前を信じてるよ」
智史がかけた声には答えず、真哉は部屋を出て行った。  

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