コンロでお湯を沸かし、紅茶の葉をティポットに入れながら、雅紀は背中で不揃いな足音を聞いていた。足音が止まった途端、沈黙が流れる。
「お久しぶりです」
突然聞こえた声に、身体がぴくっと反応した。まさか、と思って振り返ると、思い描いた人物が、智史の前に立っている。
「なんで、お前が? 」
智史が怪訝そうな声をだす。
「それは、もうお話しているはずですが」
「槙を助けたのか? お前が? 」
「偶然、現場を通ったものでね」
智史が大きく息を吐いたのがキッチンにいても聞こえた。
「立ち話もなんですから」
松田が座る事を進めた。
「お前は知っていたのか? 」
「先ほど、お会いするまで分かりませんでした。名前を仰らなかったものですから」
松田の答えに、智史はソファに座り込んだ。後に習うように槙や松田も腰かける。そのとき、真哉が一瞬雅紀を見た。カウンター越しに、真哉がはっきりとこち
らへ顔を向けたのが雅紀には分かった。何か言われるのだろうか、と身構えたが、真哉はそのまま腰を落とした。不安を感じながらも、何も言われなかった事に
安堵して、今までの作業を続ける為に、雅紀は台に向かった。
「とりあえず、礼を言うよ。ありがとう」
礼というより、喧嘩をふっかけているような声音で智史は言った。
「それで、警察には連絡したのか? 」
智史が硬い声で続ける。
「していません。事情が事情ですので、槙がいいと言っています」
「なんだ、事情っていうのは? 」
「それは――――」
「此処では言えないのか」
声から智史のいらいらが伝わってくる。
「いいよ。俺は聞かないから」
真哉の声が聞こえた。
雅紀は紅茶を注ぎながら、緊張から手がカタカタ震えていた。最後に真哉と会ったのは、半年以上前の事だ。何故、今更現れるのだろう。もう 自分は真哉から愛想をつかされているはずだ。
雅紀はふいに背後に人の気配を感じた。
腕を身体の前に回され、驚いて落としそうになったティポットをきゅっと握りしめた。ほっと息をつき、ティポットをゆっくりと下に置いた。
心
臓がばくばくしていた。
「会いたかった、雅紀。一瞬でもお前を疑ってごめん」
耳元で囁く声に身体の力が抜けそうになる。
「なんで? 」
出した声は掠れていた。なぜ、今頃、なんの為に。何をしにここへ? 言葉が頭に溢れてまとまらない。
「絶対お前を迎えに来るから。それだけ、お前に伝えたかった」
真哉の言葉に返事どころか、声さえだせなかった。
「いいのよ。松田さん」
槙さんの声が聞こえた。雅紀は持っていかれそうになる力を持ちこたえるために、槙の声に神経を集中した。
「あなたを諦めようと思って、お酒を飲んで自分から誘って、なのに、ホテルに連れ込まれそうになったら、怖くなって拒んだ。それだけなんだから。襲われた
なんて、大げさなのよ」
真哉は雅紀の首筋にキスを落とすと、雅紀から離れた。台の上に手を付きながら、雅紀は気を抜けば落ちてしまいそうになる身体を支えた。身体の
奥からぞわぞわと這い上がってくるものがある。
お茶を出さないと、と思いながらも身体に力が入らない。今、手に何かを持ったらそのまま落としてしまいそうだった。
「お話は済みました? 」
しばらくの沈黙の後、真哉の声がした。
「それで、用件はなんだ」
智史は気持ちを抑えたような声で応える。
「俺、ネットビジネス始めたんですよ。まずは、小物の商売しているんですけど、お宅の商品を扱わせてもらえないか、と思って」
「莫迦な」
智史が吐き捨てた。
「いいですよ。それならそれで。親がかりじゃなきゃ何にもできないってあんたは俺に言ったけど、俺は、自分の力で絶対あんたを越えてやるから。今日はその
事を言いに来たんだ。絶対、雅紀は返してもらう」
「――――まさか、槙の事もお前が仕組んだのか? 」
智史の言葉に真哉は鼻で笑った。
「まさか。雅紀に会えないかと店を張ってたら、雅紀と槙さんが一緒にでてくるのが見えて、何か良いツテになるかもしれないと、槙さんを張ってただけです
よ。
そんな卑怯なマネはしませんよ。そんな事をしたら、雅紀に相手にされなくなるから」
真哉の言葉を聞きながら、雅紀は背中に視線を感じた。
「じゃ、俺の言いたい事はそれだけなんで。あ、名刺だけ置いておきますね。その気になったら、連絡下さい。ビジネスなんで、私情は抜き
でね」
足音とともに、「下まで送ります」という槙の声が聞こえた。
しばらくして聞こえたドアの閉まる音に、雅紀は硬くなっていた身体の緊張が解けた。