祐貴がいなくなってからの四ヶ月はあっという間だった。
以前から出張にでると一週間は帰ってこないから、昼どきに会わなくてもあまり違和感は無かった。
朝も帰りも、今日はいないくらいに感じていた。
ただ、足が地についていないような気がしていた。
どこかふわふわしているようで俊介は自分の体が頼りなかった。
人の声は何かフィルターを通しているようで、自分だけ別世界にいるようだった。
窓から見える空が紫色だった。
窓に近づくと、西の空は茜色に染まっていた。
「大輔は?」
俊介は美樹がいるキッチンに向かって聞いた。
家の中が静かだった。
「もうそろそろ帰ってくるんじゃない?」
暢気な声を出す。
また窓に目をやると、ふと視界に入った公園のベンチに座っている子供がいた。
――史也?
そんなはずはないと思う。
早々に引っ越して、それから連絡もない。
「ちょっと、散歩でもしてくるよ」
なぜか、そんな気になった。史也なのか確かめたかった。
「そうね。外の空気いっぱい吸ってくるといいわ」
手を止めた美樹が声をかけてきた。
ここ最近は会社と家の往復だけで、他に何かをしようという気にはなれずにいた。テレビをつけていても、声も映像もすり抜けていくように何も残りはしなかっ
た。
「ああ」
セミの鳴き声が一段落して、夕方は涼しい風が吹く季節になっていた。
とぼとぼと歩きながら、確かめてどうするつもりだと自問自答した。
遠目で見れば同じ年恰好の子の区別はつきにくい。
幼稚園の運動会でさえ、自分の子供が分からなかったりする。
何もがっかりするためにやってくることもないだろうと思いながらも、足は公園に向いていた。
公園にはさっき見たときと変わらず、史也や大輔と同じ歳くらいの子がうつむくように座っていた。
違う? 否。
「史也」
俊介は公園の入り口から思わず声に出して呼んでしまった。
史也は不意に顔をあげ、少し驚いた顔をしてベンチから降りた。
なんでいるのだろうと思った。
もしかして、戻ってきた?
そんな疑問を持ちながら、俊介はベンチに近づいた。
「こんにちは」
史也がばつが悪そうにちょこんと頭を下げる。
「どうした? 一人?」
あたりを見回すと、少し離れた滑り台で遊ぶ子供が二、三人はいるが、大人は見えない。
「うん。一人」
史也は俊介を見て答えると、視線を逸らした。
「どうした?」
史也の視線を追っても何もなかった。
「お父さん……」
ぼそっと史也が呟く。
「父さん? 父さんがいるのか?」
俊介が二度三度当たりを見回しても、それらしい影さえ見えない。
「うん。僕、お父さんに会いにきたんだ。もしかしたら、ここに来たら会えるかもしれないって思って」
史也の視線は変わらずに一点を見る。
「あ、でもね。寂しくて会いに来たんじゃないよ。僕たち元気だよって知らせに来たんだ」
史也の瞳がきらきら光る。
何かが史也の目には映っているのだろうと思っても、俊介には推測しかできなかった。
――祐貴がいる?
「父さんが見えるのか?」
俊介が聞くと、史也は「うん」と頷いた。
「ずっと、病院にいたときからずっと、お父さんは僕の傍にいてくれた。なんで、父さんが二人なんだろうって思ったけど、そんなこと聞けなくて……」
史也が口を噤む。
「ずっと、いてくれたのか?」
「うん。ずっと」
「でも、いなくなっちゃったのか?」
傍にいてくれるというなら、会いにくる必要はないはずだ。
「僕が……いいよって言ったから」
史也が顔を伏せる。
「おばあちゃんのおうちに引っ越してから、お父さんすごく寂しそうだったから、僕、いいよって言ったんだ。お母さんは僕が守るから、お父さんは行きたいと
ころに行っていいよって。それから、しばらくしてお父さんの姿が見えなくなったから――」
史也は顔を伏せたまま唇を引き結んだ。
しばらくして、史也は顔を上げると。
「ホントだよ。僕大丈夫だよ。お母さんも元気だよ」
呟くように言う。
けれど、視線が向けられているのは俊介ではなかった。
俊介は思わず史也の頭を撫でていた。
「なんで、父ちゃんが、ここにいると思ったんだ?」
しゃがんで史也の目線にたって、俊介は史也の顔を覗き込んだ。
闇雲に探していたとは思えない。ベンチに座っていた史也は何かを待っているようだった。
「お父さんの好きな場所がここだと思ったから……いつもいつも、散歩に行くっていうお父さんはここに来ていつも同じベンチに座るんだ」
「お前がさっき座っていたとこか?」
「うん」
「いつも?」
「うん」
史也がうなづく。
「暗くなって、月が出てから」
史也が続けた言葉に、俊介は胸が痛くなった。
それじゃあ分かるわけがない。
公園の電灯は中央にあって、ベンチまでは届かない。
「大輔パパは、これからどこかへ行くの?」
史也が不安そうな顔をした。
「お前はこれからどうするの?」
一人で来たと言っていた。
「……おうちへ帰る。遅くなるとお母さん心配するし……」
「ここに来るって言ってきたのか?」
「ううん」
史也はかぶりを振った。
「一人で帰れるのか? 家に連絡しようか?」
変わっていなければ、可南子の携帯番号が分かる。
「ううん、大丈夫。お母さんには知られたくない……」
段々小さくなる声は最後はよく聞き取れなかった。
「じゃあ、駅まで一緒に行こうか」
何ももっていなかった。財布はおろか携帯も。
「いいの?」
「駅に行く用事があるんだ」
今、できた用事だった。
このまま史也を一人では帰せないと俊介は思った。
「史也、戻ってこいよ」
駅への道すがら、俊介は史也に声をかけた。
「でも、お母さんが……」
史也が困ったように言う。
「お前のかあちゃん説得してみようか」
すごく手ごわい相手だけれど、このまま見過ごすことはできない。
史也に少し考えているような沈黙があった。
「ううん。僕が言う。お話してみる」
史也が見上げてくる。
「そっか。でも、分かってくれなかったら、いつでも言いに来いよ。俺はいつでもお前に味方だから、な」
頭を撫でると、史也が小さくうなづく。
「何でも困ったら、言いに来いよ」
祐貴の代わりにはなれないかもしれないけれど、少しでも助けることができえばいいと思う。
駅に着くと切符を買うところを見てやって、ホームが間違っていないか確かめた。
電車に乗ってしまえば一本でいけることが幸いといえば幸いだった。
史也は改札に入ると一度振り向いて、小さく頭を下げるとすぐ背中を見せて走るように階段を下りていった。
姿が見えなくなっても、しばらく俊介は史也が消えていった先を見つめていた。
電車のアナウンスがあり、ホームから上がってくる人の波と同時に聞こえた発車ベルを聞き、電車が動き始める音とそれが段々遠くなって聞こえなくなるまで、
俊介は同じ場所に立っていた。
――絶対戻ってこいよ
心の中で呟き、きっと成長したら祐貴にそっくりだろうと思う姿を思い浮かべた。
子供の足にあわせて駅まで行って、またとぼとぼと歩いていたら、太陽は完全に沈んで空は暗く、電灯の明かりがつき始めた。
まっすぐ家に帰る気になれなくて、俊介は史也と会った公園にふらっと入った。
通りから三番目にある一番奥のベンチ。
それが史也の座っていたところだった。
公園の前にある棟が切れて、奥の棟が見える。それは、自分の家がある棟だった。
ベンチに腰を下ろすと、俊介は深くため息をついた。
「祐貴……お前はいるの?」
史也の話は半信半疑だった。そんなことがあるのかと思う。
なのに、肩にふっと温かいものを感じた。
もう見ることも声を聞くこともできない。
でも。
「ここに来たら、お前と話ができる?」
答えてくれなくてもいい。ただ、聞いていてくれればいい。
それだけでも、何もつながりがないよりずっといい。
隣で祐貴がうなづいた気がした。
「祐貴」
空には月があがっていた。
「今日は満月だな」
空にぽっかりとあがった丸いオレンジ色の月が俊介には滲んで見えた。
Fin