祐貴がインターホンを押そうとしたら、ドアが突然開いた。
あまりのタイミングのよさに驚いていたら、手を掴まれ引きずり込まれて、俊介に抱きしめられた。
「俊、介……くるし、いよ」
持ってきたものを潰されないように、咄嗟に手を身体から離したら、無理な体勢になって、そのうえ強く抱きしめられたから、祐貴は身動きがとれなくなってし
まった。
「お前が悪いんだ。メールの一本もなくて俺がどれだけ……」
俊介が少し腕を緩めてくれたものの、無理な体勢は変わらなくて、身体の辛さは変わらなかった。けれど、それよりも胸の痛さを、祐貴は感じた。
俊介に『アパートに行く』とメールを送ったのは三十分前、何かつくりに行くと約束していたから、それから駅前のスーパーで買い物をしてきた。
チェッ
クアウトぎりぎりまで可南子とホテルにいて、家に一度帰ってシャワーを浴びて着替えた。直接来ることは、やっぱり躊躇われて、話し合いがついたとメールを
送ったら俊介にすぐに来いと言われそうな気がしたから、駅につくまでメールを送ることをやめた。それは、たぶん正解だったのだろう、と祐貴は思う。
「石鹸の匂いがする」
祐貴を抱き込みながら、首筋に顔を埋めた俊介が呟いた。そして、腕を解く。身体は急に自由になった。
「うん。家をでる時、シャワー浴びてきたから」
「一度家に帰ったのか? まっすぐ来ればよかったのに」
俊介が怪訝そうな顔をした。
「また、この間みたいに待ったなしに、なるかもしれない、と思ったから」
「いいじゃないか、別に何でもなかっただろ」
今度は不服そうに口にした。
「でも、僕は心配だから……大切な人だから俊介は」
言いながら部屋へ上がると、祐貴は二つ持っていた袋のうちひとつをテーブルの上に置き、もうひとつの袋を持って部屋の隅にある冷蔵庫の前へ行った。ドアを
開けると、中には広
いスペースが広がっていた。ビールが大きな顔をして一段占領しているだけだ。祐貴は買ってきたものを冷蔵庫の中へ入れていった。
「それで、話はついたのか?」
背後から俊介が声をかけてくる。
「うん。分かってくれたと思うよ」
祐貴は冷蔵庫のドアを閉め、レジ袋を小さくたたんだ。
「納得したのか? あいつが」
「きっとね。もう邪魔しないって言ってたよ」
「あっさり?」
「あっさり、でもないけど」
「何か、交換条件でもあったんじゃないの?」
「……そうだね。でも、その条件は呑んだから」
「どんな条件だよ」
「大丈夫だよ。俊介に迷惑かけることはないから」
「そんなこと言ってるんじゃないよ」
俊介の手が祐貴の手首を掴んだ。そのまま、俊介に引っ張られて、祐貴はベッドに押し倒された。
「ほら、やっぱり、待ったなしじゃないか」
笑った祐貴に、俊介は訝しげに目を細めた。
「俺には言えないこと?」
うかがうように俊介は祐貴を見下ろす。
「俊介だけじゃない、誰にも言わないよ」
「祐貴」
「ごめんね、俊介。いつも不安にさせてしまう。でも、やっぱり言えない。付き合っていたこともある相手だから……俊介だって、美樹さんとのことを色々訊か
れても答えたくはないよね。それと同じだよ。それに、俊介が気にすることじゃないよ」
可南子との約束を俊介には言いたくなかった。
俊介になら、自分のことは全てさらけ出しても良いと祐貴は思う。けれど、二人の約束は二人のものであって、自分ひとりのものではない。もう別れた人であっ
ても、軽々しく他人に話すことは躊躇われた。
俊介は口を開きかけて、でも声を出さずに動きを止めると、一文字に引き結んだ。そして、身体を祐貴の上に落としてきた。体重がそのまま、祐貴の身体の上に
俊介が重なる。
重さを感じながら、祐貴にはそれが心地よく感じた。
腕を俊介の背中に回して、上へ滑らせると頭を抱きこんだ。
「お前は俺だけのもの?」
くぐもった声で俊介が訊く。
「うん」
「もう、誰も邪魔しない?」
「ん――――それは分からないよ。俊介もてるだろ。噂は聞くよ」
「俺のことはいいんだよ。お前は? もう、どこにもいかない?」
「……うん。どこにもいかないよ。傍においてくれる?」
一番安心する人のもとに――――全て預けられる人は一人しかいない。
俊介は身体を転がすようにして上下逆になると、抱きしめてきた。頭を、背中を、痛いほど強く抱きこむ。
身体に回される腕の強さで祐貴は俊介の不安を感じた。
俊介が不安になることなんてない、そう言葉で言っても、その不安は消えないだろう。好きだと何回言っても、きっと無くなりはしない。
それほど、不安定なところに自分達はいる。
「いつでも来ていいよ。お前の場所は取っとくから」
「うん」
いつでも欲しい言葉を俊介はくれる。
「ねえ、昼ごはん買ってきたんだけど」
昼までは作る時間がないと思ったから、弁当を買ってきた。
「食欲なんて、ないよ」
腕を祐貴の背中に回したまま、俊介は呟くように言った。
俊介に動く気配がなかったから、そのまま祐貴は俊介に抱かれていた。それが心地よくもあった。それだけではなくて、待たせたことは分かっていたから、俊介
が望むまま、今日は何でも受け入れようと思っていた。俊介が望むなら何でも。
そう思っていたのに、聞こえてきた寝息に、祐貴は気が抜けた。
腕を背中に回したまま、祐貴の身体全部を受け止めたまま、俊介の心臓は規則正しく鼓動している。
重いだろ? そう思ったのに、祐貴は身体を動かすことを躊躇した。存在を確かに感じられて、その重さが心地よいときもある。
でも。
「僕も寝ていい?」
寝顔に訊いた。返事をしてくれるわけはなくて、でも否定はされなかったから、祐貴がそっと俊介の腕を解くと脇へ下りた。
自分が上になって寝てしまうことは躊躇われた。意識が無くなった身体は更に重くなるはずだ。
俊介も寝ていなかったんだな、と思うと切なくなる。
「ごめんね」
俊介を不安にさせてしまう自分がもどかしい。
「愛してる」
聞いていないのは分かっていて、口にした。向かいあってその言葉を口にしたら、途端に自分の気持ちが軽くなってしまいそうな気がする。自分の気持ちはそん
な簡単な言葉だけじゃ表せない。だけど、他にどんな言葉を付ければ良い? それは、まだ見つからない。
気持ちよさそうに寝ている俊介を起こさないように、祐貴は横からそっと抱きしめた。
――――愛してる
心の中で呟く。俊介だけだよ。そう付け加えた。
「あれ?」
そう呟いた俊介の言葉で、祐貴は意識が戻った。不思議そうな顔をして俊介は祐貴を見た。
「俺、寝てた?」
不服そうな俊介の顔が可笑しくて、祐貴は笑いながら頷いた。
「ぐっすりだったよ」
幸せそうな顔をして寝ていた。だから、ずっと見ていたかった気もしたけれど、傍で一緒に寝ることを選んだ。
「起こしてくれればいいのに」
「いいじゃないか。これからはずっと一緒なんだから」
「でも、確実に時間は進んでいくだろ」
まだまだ遠い未来。けれど、確実に二人をわかつ時間はくる。
「寝ることも大事だよ」
「お前がいないときに寝るさ」
俊介が頬に唇で触れる。いない時寝ていなかったのは自分のくせに、そんな軽口は心の中で呟く。
「ご飯食べよう。お腹すいたよ」
俊介を促すように、祐貴はベッドを降りた。寝ることも、食べることも生きていくためには大事なことだ。
「そうだな」
反対するかと思ったのに、俊介は素直に従った。ベッドから降りると、近付いてきて頭を抱きこんでくる。
俊介が傍にいて、その気配を感じる。そんな小さなことを、幸せ、だと祐貴は思った。
可南子と美樹の顔が頭を過ぎっていく。
思いは必ず向かい合うとは限らなくて、重ならないこともある。
けれど、きっと可南子や美樹にも思いが重なる相手が現れる。そんな相手がきっと同じ時間の流れの中にいる。
そして、いつかめぐり合える。きっと、いつか。――――そう信じたい、と祐貴は思った。
「今日は寝かせないからな」
「望むところだよ」
俊介の挑発に祐貴は笑顔を返した。
自分が思いを返す相手は、一人だけだと決めた。
目の前にいる、この人だけ。
「そんなわけないでしょ」
突然、可南子の声が部屋に響いた。
ふと祐貴が可南子の方を見ると、同期の鹿島と一年先輩の島谷が可南子と向かい合っていた。祐貴が振り向いたのを見ると、鹿島が可南子に人差し指を立てる。
――――静かにしろってこと?
きっとそれは自分の話なんだと祐貴は思った。
祐貴は席を立つと、可南子へ近付き後ろへ立った。
「どうかした?」
祐貴には噂話に上る覚えは無かった。
鹿島と島谷は気まずそうに、視線を合わせた。
「祐貴がゲイだって、そう言うのよ」
可南子が不服そうに言う。
「ええっ」
その言葉に思わず祐貴は笑ってしまった。それをばらすと言ったのは可南子だ。
「違うのか?」
鹿島が怪訝そうな顔をする。
「だから、そんなわけないって言ったじゃない」
否定した可南子の表情は真剣だった。それは、祐貴にとって少し意外で、少し嬉しいことだった。
「なんで、そんな話になってんの?」
祐貴は鹿島と島谷を交互に見た。
迂闊なことは言えない。出所はどこなのだろう、と祐貴は思った。社内では可南子以外に知ったやつはいないはずだ。
「システムの吉沢と仲いいだろ、お前」
島谷が祐貴をうかがうように言う。
相手は間違っていない。
「あ、うん」
「あいつ、全然女に興味ないみたいでさ。言い寄る女は結構いるのに、まったく相手にしないらしい」
「そうなんだ」
思わず笑ってしまった。俊介は女の話は一切しない。それでも、噂で何回か聞いたことはあった。人づてに俊介の話を聞くことは、嬉しかった。それは、必ず自
分の期待を裏切らないものだったから。
「それも、今度は情報の喜田さんまで、っていうから。絶対おかしいよっていう話になって」
島谷が声を少し小さくする。
喜
田といえば、社内に知らない人はいないだろうと思える人だった。情報を社内に回す仕事だから露出も多くて、自分の部署より他部門にいる時間の方が長い。社
内を走り回っていると言っても過言ではないかもしれない。知名度があって、おまけに美人で聡明だから、新入社員は一度は憧れるだろうともっぱらの評判だっ
た。
男から声をかけられることは多かったのだろう、と思う。どこの誰は振られたとそんな話も聞く。短大出で二年先輩だから、歳は祐貴達と同じだった。
「もしかしたら、って名前があがったのがお前だったんだよ、祐貴」
島谷の言葉をとったように、鹿島が言った。
「お前だって、周りに女気ないじゃん。同期で飲みに行っても、すぐ帰っちゃうし、それも吉沢と」
「ああ、そうだね」
鹿島が続けた言葉を祐貴は否定しなかった。事実だ。大勢で飲む楽しみもあるけれど、そんなときも目は俊介を追っていた。同期で飲みに行くと、部署ごとに固
まる傾向があるから、俊介が近くにいるのに遠く感じることが切なかった。
「そうだねって、お前……実際どうなわけ?」
鹿島が祐貴の顔色をうかがう。知られてしまったのなら、いっそ直に聞いてしまえ、ということなのか。
「実際って……俊介、いいやつだよ」
「だからさー」
鹿島と島谷が揃って、じれったそうな顔をした。
「俊介が彼氏になってくれるなら嬉しいけど。俊介の元の彼女を知ってる立場としたら、僕なんて相手にしてくれないって思うよ」
笑いながら祐貴は答えた。
少しずるいかな、と答えながら祐貴は思った。でも、嘘は言ってない。美樹に敵うとは今でも思っていない。
「え、あいつ、いたの?彼女」
鹿島と島谷は二人揃って意外そうな顔をした。
「すごく、きれいな人」
可南子が補足する。
「橋本、見たことあるのか」
興味津々といった風に島谷が可南子へ質問を向けた。鹿島と島谷の興味は美樹にいったようだった。男同士をネタにするより、男女の方が信憑性もあるのだろ
う。
他人に知られたらどうしよう、そう怖がっていたことが嘘のように感じた。
可南子が味方になってくれたことは大きい。けれど、笑いながら答えられた自分にも驚いた。
案ずるより生むが易し、ということわざもあるけれど、それを信じられないときもある。マイノリティに属する関係は、敏感になりがちで、守りたいと思えば思
うほど壁は高くなる。
それを、今、すっと越えられた気がした。すごく自然に。
「彼氏になってくれるんだって?」
昼食時、にやにやした顔をしながら祐貴に近付いてきた俊介が開口一番にそう言った。
「僕でよければ」
「大歓迎だよ」
俊介が更に笑う。
新しい情報を仕入れたと、鹿島と島谷が誰かへ話しただろうことは想像できた。けれど、その日の内に俊介のところまで行くとは思わなかった。
「じゃあ、誓いにキスでも……」
そう言って顔を近づけてきた俊介が、本当にキスしてきそうで、祐貴は俊介の顔を手で押し戻した。
昼食時の込み合った食堂で、キスなんてのは、ノーマルだってまずいだろう。
「俊介、悪乗りしすぎ」
「ちぇ」
不満げに口を尖らせるのに、顔は嬉しくてたまらないように見えた。
「何か、あった?」
祐貴は俊介に問いかけた。
どんな嬉しいことがあったのかと、不安にさえ思えた。
答えはなく、更に俊介は顔をほころばせた。
「顔、崩れてるよ」
誉めたわけじゃないのに、嬉しそうな顔は変わない。
こんなに嬉しそうな俊介の顔見たことあったけ、と祐貴は思った。思い出すのは切なそうな顔ばかりだ。今まで不安ばかりを押し付けてきた。
「お前が俺の彼氏になってくれるって言うから、嬉しくって、嬉しくって」
それか、と思うと祐貴は複雑な気持ちだった。
しかも、嬉しいというより、傍目から見れば、よっほど可笑しいことがあった、としか見えない。それが計算なのか本心なのかわからないけれど、祐貴には俊介
が本当に喜んでいるように見えた。
「俺、その話聞いたとき嬉しくってさ。しばらく笑いが止まんなかったよ」
俊介が続けた。
「それは、嬉しいって言うんじゃなくて、可笑しいって言うんじゃないの?」
ちょっと喜びすぎ、だと思う。
「いいじゃん。どっちでも。公認だぜ、俺たち」
いや、ちょっと違うだろ。そう思いながらも祐貴は口にはしなかった。俊介も、分かってるだろうと思う。
「あいつ、いいとこあるじゃん」
俊介が呟くように続けた。
「そうだろ」
可南子を俊介が認めてくれたことが、祐貴は嬉しかった。
途端に、張り付いていたような笑顔が消えて、真剣な顔になった俊介が睨んでくる。
「でも、お前はやらない」
「うん」
笑顔の裏にでも、不安は隠されていて、その不安を拭いさることなんて、きっとできないのだろう。それは、たとえ、世界に二人だけになっても。
とらえどころの無い、カタチがなくて、自分でもどうにもできないものが相手だから、不安はいつも付きまとう。
自分がずっと好きでいたい、と思っていても、ある日突然、その気持ちがなくなっているかもしれない。
突然の出会いも、誰にも予想できない。
「今週は何食べたい?」
祐貴は俊介に問いかけた。
一緒に暮らすことはできなくても、週末は一緒に過ごしたい。次の約束をしておきたい。
「カキフライ……かな。もういい時期だろ」
「分かった」
カタチのないものから、カタチを作る。カキフライもひとつのカタチ。それに、きっと俊介は笑顔を返してくれる。それもカタチ。
来週も、その先も。
目に見えるカタチは心の中に積もっていって、思いを変わらないものにしてくれるだろう。
だから、今も俊介へ笑顔を向ける。
――――大好きだよ
気持ちを添えて。
ボーイズラブ的ハッピィエンドを強く望まれる方へは
Fin.
ということで、一応エンドマークをつけさせていただきます。
いままでお付き合いいただきましてありがとうございました。
この先は昼メロ的展開へ。
昼メロとは言っても、実際の昼メロほど不幸満載なわけではありません。
男女の身体の絡みはすっ飛ばし。でも、苦手な方もいるかとこういう形にしました。
幸せのカタチも色々ある、ということで、この先も読んでいただけると嬉しいです。