空は高くなり、風も秋色を感じさせる。けれど、暑さだけは夏の名残を残していた。
美樹に会いたくて、祐貴は先日美樹と会ったカフェの前で待っていた。駅の方から俯き加減に歩いてくる美樹を見つけると足早に近づく。顔を上げ祐貴を認めた 美樹は軽く微笑んだ。その表情に驚きは感じなかったから、予想はしていたのだろうと、祐貴は思った。
カフェへ入った途端に、空気が変わる。人工的な空気は不快さと心地よさを混ぜ合わせていた。
「ここでいい?」
後ろにいる美樹へ祐貴は声をかけた。
「どこでもいいよ」
言いながら美樹はそれでも、窓の外が見える方へ座った。美樹が何も言わなくても気持ちが手に取るように分かる。切なくなってくる気持ちを押し殺すように祐 貴は美樹に向 かい合うかたちで腰を下ろした。
直ぐにオーダーを取りに来た店員へ、先日と同じものを注文する。
「先週は可南子さんで、今週は祐貴。じゃあ来週は俊介が来るのかな」
美樹が笑いながら言う。顔は笑っているのに、瞳は悲しげだった。大きな瞳から涙がこぼれてきそうな気さえした。
「ごめん」
ついと言葉がでた。表向きは迷惑をかけてしまったことへの謝罪。けれど、祐貴の心の中はそれだけではすまなかった。
謝ることでも、謝ってどうなることでもないことは分かっている。なのに、罪悪感を感じている。
「可南子が会いに来たよね」
祐貴は言葉を続けた。祐貴が美樹に対してどう思っているか、それを話しに来たわけではない。今日美樹に会いに来た用件は可南子のことだ。
たとえ、祐貴が美樹には関わらないでくれと可南子に言ったところで、可南子が祐貴の言うことを聞くとは思えなかった。だから、もし、可南子が美樹に会いに 行こうとするなら、祐貴は止めるつもりでいた。
曜日も時間もわかっている。だから止めることはできると思っていたのに、時間を構わずかかってきた電話に止められたのは祐貴の方だった。
「別に。そんな謝られることなんて無いよ。ちょっとびっくりしたけど」
美樹の声も表情も穏やかで、迷惑だと思っているようには見えなかった。

先週、祐貴が急いで電話を終え駆けつけたとき、カフェに美樹の姿はなく、可南子がぼんやりと座っていた。祐貴に気づいたらしい可南子は席をたって店を出て きた。
『デートでもする?』
そう言いながら、可南子の足は会社へ向かっていた。
『何を聞いた?』
祐貴は可南子に歩調を合わせて聞いた。それに、可南子は思わせぶりな顔をして首を振るだけだった。何も答えてはくれなかった。それが却って怖かった。美樹 といったいどんな話をしたのか、この一週間祐貴は不安を抱えていた。
当の可南子は以前と何も変わらない様子で、それが更に不安を煽る。

「可南子は何か言っていた?」
直接用件を口にした。世間話でもする仲ではない。できるなら、顔をあわせたくはない。それは自分だけでなく、美樹も同じだろうと祐貴は思う。
美樹は不満げに口を尖らせると、ふっと息を漏らした。
「祐貴を諦めさせてやって……そう言ったよ。彼女」
美樹は言いながら視線を落とした。
「待っていられなかったのなら、ちゃんと責任を取ってって。最初、この人は何を言ってるんだろうって思った」
他人事のように穏やかな声で続ける。
「それは――――」
説明しようとした祐貴に美樹はかぶりを振って止めた。
「祐貴を返してって言われて、なんとなく分かった。この人は祐貴のこと好きなんだって、でも祐貴はうんって言わなくて、私を昔の恋人かなんかと勘違いした んだろうなって」
「ごめん」
祐貴は思わず声を出した。はっきり事実を告げれば、そんな誤解は起こらない。
「私に何を望んでるの? 可南子さんにそう聞いてみたの」
「それで?」
先を促す。
「今、付き合ってる人がいるんでしょう? って聞かれたから、いないって答えた。好きな人ならいるけどって」
美樹は淡々と応える。けれど、その声と気持ちは違うのだろうと思うと正面を向かうことが辛くて、祐貴は美樹から視線をそらせた。そこへ後ろから「失礼しま す」という声が聞こえた。
テーブルの上に注文したアイスココアと紅茶が置かれる。カップはカチャと小さな音をたてた。琥珀色の液体が小さな波を浮かべる。そして、それは小さな渦に なった。
「大学の時に付き合ってた人がいるのだけど、別れた今でも忘れられないって答えた。そうしたら、彼女言葉に困ったみたい」
美樹が俯きかげんに小さく笑った。

「それだけよ」
祐貴に向かって美樹は視線を上げる。
答える言葉が見つからなくて、祐貴はカップを手に取ると一口飲みこんだ。可南子のことを聞きにきたのに、祐貴の頭の中は違うことを考えていた。
「知らなかった。大学時代に付き合っていた人がいたんだ」
美樹に、というより祐貴は独り言のように呟いた。その人のことが忘れられないというのなら、美樹は俊介を忘れたことになる。毎週ここに来ているのも俊介は 関係ないことになる。ただ、たまたま美樹の通い始めた教室が俊介の職場に近かったにすぎない。祐貴の心の中で何かが解き放たれたように、ふっと軽くなるの を感じた。
「馬鹿よね。自分で振っておいて忘れられないなんて」
美樹が自嘲気味に呟いた。
「え?」
意外な言葉に祐貴があげた視線は美樹の視線とぶつかった。小さく美樹がかぶりを振る。
「だって、嫌な男なのよ。私を抱きながら、他の人を思ってるようなやつなんだから」
――――え?
美樹はため息をひとつこぼすと、グラスに手を添え、アイスココアをストローでかき混ぜ始めた。
「代わりでいいよって言ったのは自分なのに、どんどん辛くなってきて、今日は、明日は、きっと私の方を向いてくれる。そう思いながら月日は流れて、なの に、相手の気持ちは変わらないって、馬鹿にしてるわよね」
「それは――――」
俊介のこと?
祐貴は質問の最後まで言葉にできなかった。軽くなったはずの胸の奥にふっと何かが舞い上がる。
「もう、明日なんてこないような気がして、罵って罵ってもう会わないって言ったくせに、今でも何か言ってきてくれるんじゃないかと思って、携帯も変えられ ないでいるなんて大馬鹿よね。向こうは新しい恋人もいて、毎日幸せそうなのに」
祐貴は開きかけた口を閉じた。言葉が無かった。

「幸せ、でしょ?」
うかがうように美樹が祐貴の顔をのぞきこむ。
美樹の質問に答えることはできなくて、祐貴はまた顔を背けた。
「俊介に、怒られちゃうかな」
美樹が軽い調子で言う。
「そんなこと――――」
「こんな話聞いたら、昔の祐貴だったら、次の日には俊介に別れるって言ってるよね、きっと」
そうかもしれない、そう思ったら祐貴は答えられなかった。
「少しは変わった? 四年間俊介を待たせた成果はあった? 」
美樹の言葉が胸に刺さった。祐貴がゆっくりと視線を戻すと、美樹の大きな瞳が滲んで見えた。
「ごめん、譲れない」
もう昔の自分とは違う。
美樹は小さく笑うと、「ごめん、もう時間だから」と呟いた。
席をたつと美樹は伝票に手をかけた。
「あ、僕が払うよ」
祐貴が伝票に手を伸ばそうとする前に、美樹は伝票をテーブルから取り上げる。
「俊介には内緒にしてね」
まるで、口止め料だと言いたげに美樹は言った。
店から出ると、祐貴を振り返ることなく美樹は青に変わった信号を渡っていく。

私を抱きながら、そう言った美樹の言葉が祐貴の頭の中で回っていた。美樹が嘘を言うと祐貴には思えなかった。
――――僕だけじゃない、俊介も……
俊介を責める気は祐貴には起こらなかった。そんな資格もない。
けれど、胸に燻るものが小さな黒い霧になって渦を巻いていた。それが何に対してなのか、何に拘っているのか祐貴は自分でも分からなかった。

「やっぱりここだったのね」
かけられた声に祐貴が視線をあげると、可南子が目の前に立っていた。
「岬さんが探していたわよ」
「あ、」
祐貴が席を立とうとすると、可南子はかぶりを振った。
「明日でいいって。それより」
言いながら、可南子は椅子を引いて座った。さっきまで美樹が座っていたところに。
「なんて顔してんの?」
可南子が眉根を寄せる。
「え?」
自分の顔を見ることはできない。けれど、美樹のことを思うと胸が潰されそうになる。何も彼女に非はなくて、そして、彼女がどれほど俊介のことを思っている か分かるから。そんな気持ちを抑えることはできなくて、情けない顔をしているのだろう、とは思った。
「彼女には他に好きな人がいるんだよ」
「分かってるよ」
自分が好きな人と同じだ。
「そんなに、好きだったの?」
祐貴は可南子の視線を避けるように顔を伏せた。
「じゃあ、なんで、離れたの? 四年も離れていたら気持ちが変わるなんて考えられたことじゃない」
「分かってる」
可南子の言葉は美樹に対するものなのに、祐貴の頭の中では俊介に対するものとして変えられた。
気持ちが変わるかもしれない。それは分かっていて、それでも、あの時は受け入れることはできなかった。
「祐貴は馬鹿だよ」
「分かってる」
全部分かってる。でも、自分は自分でしかないから、そんなに器用ではないから、それが遠回りであったとしても、他人から見れば馬鹿だと思われることでも、 自分が納得することしかできない。
「でも、良かった」
可南子が小さくため息をついた。
「良かった?」
可南子の言葉の意味が祐貴には分からなかった。可南子に視線を向けると、可南子がふっと笑う。
「彼女には敵わないって思ったから。彼女が他の人を好きになってくれて良かった」
声には安堵の色があった。
「可南子……」
「まあ、祐貴にとっては悪いことなんだろうけど。潔く諦めて私にしとけば?」
「そんなわけにはいかないよ」
好きなのは美樹じゃない。
「じゃあ、大人しく待つしかないのか。祐貴が彼女を忘れるまで」
「だめだよ、そんなの」
祐貴は言いながらかぶりを振った。待ってもらって変わる気持ちではない。
「私の勝手でしょう。邪魔しようって言うんじゃないんだから」
「でも、それじゃ――――」
「来週からの出張」
祐貴の言葉を可南子が遮る。
「え?」
「岬さんの代わりに後学のために行きたいって言ったら、却下されちゃった」
「当たり前だよ」
四 月から二ヶ月に一度ほど祐貴は海外での会議のために出張するようになった。その時のメンバーは二人だったり三人だったり。一緒に行く予定だった岬がトラブ ル で行けなくなって、来週からの出張は祐貴一人で行くことになっていた。サンフランシスコへは二度目になる。一人では不安だと言っても、会社としては若い男 女を二 人だけで海外出張に出すことはできないだろう。
「祐貴と二人で婚前旅行って思ったのに」
「そんなことできるわけないよ」
「でも、一週間もいないんでしょ。淋しいな」
淋 しいな――――同じ言葉を言った俊介の声が祐貴の頭に響く。仕事だから仕方がない。それは分かっていても、海外だから尚更だろう。危険地域には行かないと は言っても、何 かあるか分からない。日本のように平和なところは他には無いといっても良いだろう。何回か海外へ行って祐貴はそう思った。
「お土産は指輪がいいな」
可南子が目の前で手を広げる。
「そんなチョコがあったらね」
無いことを知っているから、祐貴はそう答えた。可南子の言葉を正面から受けたくはなかった。
「それでもいいよ。約束ね」
「あるわけないよ」
約束という言葉を重く感じて、軽口では答えられなくなった。約束するほどのことじゃない。
「あったらでいいよ」
今度は軽い調子で言う。
「探す時間なんてないし」
約束という言葉は取り消したかった。
「探さなくていいよ。私はいつまでも、待ってるから」
そう言うと可南子は席を立った。
「可南子?」
「先に帰ってるね」
用は終わったとばかりに、手をひらひら振ると、可南子は店を出て行った。
待ってるから――――その言葉に祐貴はまた重さを感じた。


back | top | next

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!