しばらく、飛鳥が渡辺を宥めているらしい声が聞こえていた。
『こんなことで挫けてどうすんの』とか
『大丈夫。祐は絶対綾(渡辺)のことが好きになるから』
なんて冗談じゃないぞ、なことも言っていた。
それを一緒に翔太も聞いていた。
「好きになるの?」
翔太が真面目な顔で聞いてくる。
「そんなわけないよ」
そう答えて、その答えもどうかと思ったが、祐は今は確実にその気はない。
「そうだよね」
と、分かったような答えを翔太がする。引っかかりを感じながら、祐は翔太にその先を突っ込むことはできなかった。
翔太に好きな人はいるのか聞かれたら答える言葉がない。
お前だよ――そうあっさり言えるなら悩むこともないけれど、そして、図書室に二人きりというまさに、今告白しないでいつ告白するんだというシチュエーショ
ンでありながら、とてもその気にはなれない。
自分がついていてやらなきゃ、こいつはどうなっちゃうのだろうと思う。
それは、自惚れかもしれないし、願いかもしれない。告白して思いが叶う可能性はとても小さなものだ。当たり前だ。男同士なんて、身近に聞いたことがない。
もし、その願いが叶えばいいけれど、拒絶させたらどうすればいいのだろうと思う。
親友というのとは少し違う関係かもしれないが、今、一番近い位置にいる。この関係を続けていけるとは思えない。
しばらくして、ふと気がつくと廊下が静かだった。耳を澄ましてみても、物音一つ聞こえない。
祐はそっとドアを開け、廊下を覗いてみたが人影は見えなかった。ドアを開けたまま壁に沿って静かに歩き階段を覗いてみても、人影はおろか物音一つ聞こえな
かった。
少し意外だったけれど、飛鳥達は諦めて帰ったらしい。
図書室へ一度戻り、
「帰るぞ」
そう翔太に声をかけると、翔太はむずかしい顔で頷いた。
飛鳥から焼きそばパンをもらったらしい翔太は泣きそうな顔で空腹を訴えることもなく、まっすぐ家に帰った。
ただ、いつもの分かれ道で、翔太は何か言いたげに立ち止まった。しばらく翔太の言葉を待っていたけれど、翔太は口を小さく開いたかと思ったら結び直し、視
線を伏せる。
「どうした?」
このまま別れたら、きっと気になると思う。
「飛鳥ちゃんは……」
翔太が言いかけて言葉を切った。
「何?」
催促すると、翔太は少し躊躇った表情をして、
「誰が好きなのかな」
ぼそっと言う。
「そんなこと……知るかよ」
翔太の意外な問いかけに祐は少し動揺していた。翔太が誰かに対して関心を示すようなことを今まで聞いたことがなかった。
「……そうだよね」
――え?
どっかで聞いたぞと思うような答えが翔太から返ってきた。
「気になるのか?」
そう聞きながら、気になるのは自分の方だと思った。
しばらく待っても答えはなくて、それはもしかしたらイエスの返事なのか、と思った。
けれど。
「なんでもない」
翔太はにこっと笑って、踵を返すと小走りに路地に入っていった。いつもどおり、そこに目印でもあるのかと思うほど同じ場所で振り返ってくる。
祐はいつものように手を振り返して見送って、けれど、気持ちはいつもと違い胸の中で黒い影がくすぶっていた。
翔太は女の子達にかわいいとからかわれていることは多かった。それは恋愛感情というより弟みたいな存在に見えて、気にはならなかった。身体も一回り小さい
から余計そう見えるのだと思う。
ただ、最近よく食べるようになって、身体も大きくなってきているように感じた。それと同時に気持ちにも変化があったとしてもそれは不思議じゃない。
翔太の姿が見えなくなって、祐は足を前に出した。
――まさか、ね
なんでもないと言った翔太の言葉を祐は信じたかった。
気が付かなければ実害はないのだから放っておいても構わない。けれど、一度気になりだすとつい気になってしまう。
視線を感じるというのはあまり気持ちよいものじゃない。
それも恨みがましいものなら、特に。
授業が終わって教師が教室を出ていくとすぐ、
「はあ……」
祐はひとつ大きなため息をつくと席を立ち、斜め後ろに見える飛鳥の席まで行くと横に立った。
頬杖をついたまま、飛鳥が見上げてくる。
恨みがましそうな目つきは朝から変わらない。
「何か、言いたいことがあるのか?」
祐は飛鳥を見下ろした。
口を少し尖らせて、飛鳥の目つきが厳しくなる。無言の抵抗というやつらしい。言いたいことがあるとすれば、昨日の渡辺の一件だろうと予想はついた。
せっかく口利きをしたのにそれが用をなせなくて面目がつぶれたと怒っているのなら、そんなことを勝手に請け負った飛鳥が悪いのだから逆恨みでしかないだろ
うと思う。
「言いたいことがあるなら聞くから、そんな目で見るのはやめてくれよ」
他のやつならそこまで気にならないのかもしれないが、いかんせん付き合いは長く良いところも悪いところもお互い嫌というぐらい見ている仲だから、無視する
のも
なんだか居心地が悪い。
いい機会だから、縁結びみたいなことはやめてくれと言っておいた方が後々面倒なことがないかもしれない。
折角こっちが折れているのに、飛鳥はぷいとそっぽを向いた。
そのまま、あさっての方向を見ていてくれるならそれはそれで良いけれど、きっとそうはならないだろうと思った。
「きっちりつけておきたい話があるから、放課後どこかへ行くなよ」
言い放つと祐は飛鳥から離れた。どうせ、返事はもらえないだろうと思った。席へ戻ってからちらっと飛鳥を見ると、飛鳥は怪訝そうな表情をしていた。不意に
視線を感じて顔
を向けると、翔太が心配そうな顔をしていた。
そのまま祐は窓際の翔太の席まで行った。
「放課後、飛鳥と話があるから」
そう告げると、翔太の不安そうな顔がレベルアップして不安になる。
「一緒に来るか?」
祐は思わず聞いていた。
「いいの?」
翔太が少し戸惑うような顔をする。
「いいよ」
そう祐が言うと、少しほっとした顔をして翔太が頷く。
別に聞かれて困る話でもないと祐は思っていた。