保科の唇を貪りながら、新田は保科のネクタイを外し、シャツの釦を外していった。アンダーシャツの下から手を差し入れると、保科が喉を鳴らす。唇と離す と、声にならない息をもらした。

身体を持ち上げてアンダーシャツごと上着を脱がせると、脱がせたものをベッドの脇に落とした。
触れてみれば、学生時代目にした時より、痩せたようだった。こいつは年を取っても体型が変わらなくていいなと思っていたが、それは体質の所為ではなかった のかもしれない。
保科は一度浮かせた手を躊躇うようにベッドへ落とした。
「享」
半分は空気に消されてしまいそうな、細い声で呼ぶ。
「俺も、お前が好きだったんだ」
今夜だけ、今だけは自分の気持ちに素直になろうと新田は思った。
ずっと好きだった、欲しかった。それが今手に入る。他のことは考えたくなかった。
一夜だけ。
一度だけ。
初めて男同士であることが幸いだと思った。


新田はゆっくりと保科の肌に手を滑らせた。熱を持った肌は、しっとりとしていて手に馴染んでくる。
保科が新田のシャツの釦に触れてくる。そしてゆっくりとひとつづつ釦を外していく。
新田は自分でネクタイを外すと、釦を外されたシャツを上着ごと脱いで横へ放り、アンダーシャツも引き抜いて放った。そのまま、保科の身体に覆い被さり、前 髪をすくい上げると、保科が目を細める。 唇へ軽くキスを落とした後、首筋に唇を押し当てた。
唇から保科の息づかいが伝わってくる。酒のせいらしく身体が熱くて、あまり無理をさせてもいけないかもしれないと思った。
けれど、今夜しかチャンスはない。一度逃してしまえば、踏み出す勇気はもう出ないだろう。今夜一夜だけ、保科を自分のものにできる。そう思うと、新田は何 かに急かされような気がした。
ベルトを外すと、下着ごと保科のズボンを抜いた。脱ぎやすいように、保科も身体を合わせてくる。自分もベルトを抜き、ズボンを引き抜く。
あまり体重をかけないように、身体を擦り合わせた。
緩く立ち上がっているところが擦れあう。その優しい刺激が気持ちよかった。
保科の息があがっていく。それに比例するように、お互いのものも硬くなっていく。息づかいだけで感じちゃうなんて有りかよなんて思ってみても、確実に身体 の奥の熱が膨れ上がっていく。
優しく保科のものを包み込むと、
「んぅ……」
もれた声とともに身体がぴくりと跳ねるように反応し、透明の液が手に零れた。
男同士でする時はどうするんだっけ、と新田は頭の中を探った。そんな事は起こらないだろうと思いながらも、入ってくる情報には敏感になっていた。
保科を横から抱き込むようにして股間に手を差し入れた。窄まりを撫でると、保科が身体を硬くした。足を少し広げるようにすると、促されるまま足を少し開 いたが、顔は背けるように横を向く。
誘ってきたのはそっちだろ、と新田は少し文句も言いたくなった。
抵抗はしないまでも、積極的には見えない。躊躇っているようにも見えて、アルコールにまかせての冗談だったのかともふと思った。
けれど、もうやめることはできなかった。ずっと押さえつけていた気持ちは堰を切ったようにあふれ出し、頭には保科のことしか無かった。


窄まりを解すように撫でると、時折、保科の身体が跳ねて小さな声を漏らす。
けれど、受け入れるための場所ではないから自然と開いてはくれない。
――――このままじゃダメなんだよな、何か潤滑油になるもの。
そう思っても、何も準備してきている訳じゃない。バスルームに何かあるだろうか、と新田は身体を浮かした。
「上着のポケット、に」
息をつきながら掠れた声で保科が言った。
冗談なわけじゃなかったのかと、新田はほっとした。
やめられはしない。今は後のことは考えられない。けれど、保科との関係を壊したいわけではなかった。
新田は床へ手を伸ばして保科の上着を持ち上げると、上着のポケットへ手を入れ手に当たったチューブを取り出した。
「これで、いいのか?」
そう訊くと、ちらっとこちらを見た保科が頷いた。
キャップを開けると、指に取って窄まりに塗りつけた。そのまま馴染むようにさすると、
潤いをもったそこは柔らかくなっていく。
「保科」
「……うん」
「なんで、お前結婚したんだよ」
ずっと新田が心の隅で思っていたことだった。
保科が結婚しなければ、きっと自分は結婚なんて考えなかっただろう。上辺にはおめでとうなんて言っていながら、その実すごく落ち込んだ。人間どうにもなん ない程落ち込むと却って陽気になるものだと初めて知った。あの頃の記憶はあまり無い。人間は辛いことは忘れるようにできているのだというのは本当かもしれ ない。
なぜ、結婚なんてせずにうち明けてくれなかったのかと思う。自分でさえできなかった事だから、そんな事を言う事はできないが、なぜ、結婚したのだろう。 仲間うちでは早い結婚だった。急ぐ事は無かったはずだ。今はその事実を恨めしく思う。
「……子供が、できたから」
答えた保科の言葉に、新田は思わず手が止まってしまった。
「そんな話聞いてないぞ」
保科の結婚話は急だとは思った。はっきりと付き合っているとも聞いてはいなかった。
ちゃんと付き合ってなくても、やる事はやってたって事で。保科がそういうやつだったというのは、正直意外だった。
「ごめん、すぐに流れてしまった事もあって……言えなかった」
「なんだよ、それ」
何も知らなかった事が新田は悔しかった。ただの一言さえ相談もしてくれなかった。
今まで保科の事は全て分かっているつもりでいた。良いところも悪いところも全て。でも、結局知っている事なんてほんの一片だったのかもしれないと思う。知 り合って十年経つのに、たったひとつの事実がその十年間を崩していく。
保科は顔を伏せたまま、何も答えてはくれなかった。

なぜ、澤を抱いたのだろう――。
単なる欲望のはけ口として求めることはしないやつだと思う。
結婚前にそういう事実があったことはおいておいても。
「お前、澤を抱いたんだ」
頭での呟きが声に出てしまった。当たり前の事だ、夫婦なんだから。けれど、子供という一言で現実を突きつけられた気がした。見ないようにしていた、考えな いようにしていた。現実として認めてしまったら、でてくるのは嫉妬心だけだ。だから、目を背けていたことだった。
「……一度だけ」
「え?」
「一度だけ抱いた」
「だって、お前――――」
結婚したんだから抱くのは当たり前で、一回だけのはずがない。
「この三年一度も無いよ――――僕は女の人を愛せないから」
は?――――保科の言っている意味が分からなかった。
女を愛せない?この三年一度も抱いてない?
何も言えず、新田は保科を見た。
「ごめん。驚いたよね。僕はゲイなんだ、たぶん――――本当に好きだと思ったのは享だけで、忘れられなくて、結局僕は祥子を傷つける事しかできなかった」
「……お前、何言ってんの?辻褄合ってないじゃないか。女を愛せないんだろ?なんで澤を抱けたんだよ。なんで子供ができるんだよ。自分で言ってる事分かっ てるか? 」
しばらくの沈黙の後、保科が小さく息を吐いた。
「全部、嘘だよ……」
「祐紀っ」
思わず昔呼んでいた名前を叫んでしまった。ここしばらく呼んでいなかった名前がでてしまった事に新田自身が驚いた。
「ごめん。僕はどうかしてたんだ。こんな事――――」
保科は新田から離れるように身体を捩った。
ふっと手から保科の体温が離れて、新田は慌てて腕を伸ばし後ろを向いたままの保科を抱き込んだ。身体が触れ合い、また体温を感じられた事に安堵した。
腕を解いて逃れようとする保科の身体を新田は強く抱きしめた。
「祐紀」
何も言葉が浮かばなくて、でも、離れていって欲しくはなくて名前を呼んだ。
保科の手から力が抜けていくのが分かった。顔を枕に埋めるように、横を向く。
そのまま保科は抵抗はせず腕の中に抱かれていた。
新田の高ぶっていたものは、萎えてしまっていた。こいつの事を何も知っていなかったのだと思うと、新田は 自分に落胆した。
ゆっくりと息を吐いて、呼吸を整えた。
とりあえず、混乱した頭の中を落ち着けたかった。
保科は嘘なんて言うやつじゃない。嘘だと言った事が嘘だろう。
急に感じた結婚も、納得がいく。
けれど――――。
そっと回した手で保科のものを触れた。まだ堅さが残るそれは新田が触れると小さく震え、弾かれたように保科の身体が身じろぎ、吐息を漏らす。
「もう、止めよう――――僕は享に振られるつもりだったんだ。受け入れて貰えるなんて思っていなくて、軽蔑されて放り出されても良いと思った。冗談で済ま されたら、それでも良いと思った。たとえ、気持ちを受け入れて貰えなくても――――享は優しいから―――― 一度だけ抱いて欲しいって言ったら、聞いてく れるかもしれない、とは思った。でも、それ以上なんて望んで無かったんだ」
保科が投げやりに言う。
「祐紀?」
それが本心だったのかと驚いた。
「好きだ、なんて言ってくれるなんて思わなかった。そんな言葉を聞いてしまったら、それで、抱かれてしまったら、きっと諦める事なんてできなくて、もっと 望んでしまう。だから――――」
保科が声を詰まらせる。
「いいよ、望んで」
新田はそう答える事しかできなかった。
触れている身体を離したくなかった。離したら絶対後悔すると思った。
驚いたように、保科が振り向く。開きかけた唇を塞ぐと、手を下腹部へ滑らせ、股間の奥の窄まりへ指を少しだけ差し入れた。ジェルで濡れていたそこは抵抗な く受け入れる。保科の身体がぴくっと跳ねたのを抑えるように抱き留めると、窄まりに差し入れた指を少しづつ入れては引いた。
初めはぴたりと指を締めつけていたそこは次第に緩み柔らかくなっていく。
感触を確かめるように肌に唇を落としながら、新田はゆっくりとそこを解していった。
時折、顔を見上げると保科の潤んだ瞳が不安を抱えるように揺れる。それが却って欲し いと思う気持ちを煽る。
今を逃したら、きっとこいつは自分のものにはならない。
それを諦められるほど、いいやつじゃなかった。
保科は真面目だったけれど、自分は違った。
昔から、ごく普通に女とは付き合ってきた。流れのまま抱いた事を覚えている程律儀では無い。
それが、当たり前だと思っていた。欲望を晴らすためだけで、身体への執着を感じたことは無かった。当然のように長く続いた例しはなかった。
「入れるよ」
その言葉に保科は答えはなかった。ただ、シーツを掴むように握られた手を新田は肯定と解釈した。
少しづつ保科の中に自分を埋め込んでいく。もう、後戻りはできないかもしれない。そんな恐れを感じながらも、保科を手に入れたいという気持ちには敵わな かった。
疼くのは下半身だけでは無かった。今まで押し殺していた胸の疼きも加わって、膨らむ熱に保科しか感じられなかった。荒い息と肌が擦れあう音と温まったジェ ルが鳴らす音の中で、新田はただ愉悦の中に落ちていった。

◇◆◇

ドアを開けると、三和土には靴が二つ並んでいた。
「おかえり」
広めのダイニングに置いているソファの脇から保科が顔を出す。
「ああ、雄太は?」
「もう、寝たよ。食事は?」
保科は答えながら、今まで作業していただろうノートパソコンの蓋を閉めた。
「済ませてきた――――気にしないで、続けろよ」
新田はネクタイを外しながら答えた。
「うん、いいんだ。どうしても、バグがひとつ取れなくて。こういう時は気分転換した方がいいんだよ」
お茶でも入れるね、と続けながら保科は腰をあげた。
新田は立ち上がった保科をそのまま抱きこむように、ソファに腰を落とした。
「気分転換ならこっちの方がいいだろ」
あごを捉えると唇をふさぐ。
一度だけ――――初めはそのつもりだったのに、一度では終わらなかった。離婚した友達を慰めるという言い訳を毎週のように使った。溺れていったのは自分 だった。帰るところがあることさえ、疎ましく思えてきていたことは保科には気づかれていたのだろう。
けじめをつけなければいけないと決心したのは、保科が会社をやめ、自分の前から姿を消そうとした時だった。
すべてを捨てても、保科を欲しいと思った。
「悪いな、いつも」
後ろから抱き込みながら、新田は保科の耳元で囁いた。
「そんなことないよ。好きでやっているんだから」
保科が小さくかぶりを振る。保科が新しい仕事として在宅でできるものを選んだのは雄太のことを考えてのことだと思えた。
新田が離婚した時、子供である雄太は新田の元に残された。
やっと、ハイハイができるようになったばかりの子供を残されて、新田は正直どうしたらよいのか分からなかった。やっと見つけた保育所も定時で退社しなけれ ば迎えに行く時間に間に合わない。いつもいつも仕事が定時に終わるわけもなく、かといって要求された慰謝料と生活のためには仕事をやめる訳にもいかない。
そんな時に、保科が雄太の面倒を見ると言ってくれた。
同じマンションの同じ階に住み、新田が帰宅するまで保科が雄太の世話をする。そんな生活を始めて三年が過ぎた。
保科にすべておぶさっていた。保科がいなければ、生活が成り立たないほどに。それが分かっていながら、抱きしめることしかできない自分が不甲斐ないと新田 は思う。
「俺は、お前に何をしてやれるんだろ」
つい出てきてしまう言葉だ。そのくせ、離れることなど考えられない。
「してくれてるよ。十分だよ。僕はすごく幸せだよ。それより――――」
保科が言葉を途中で止めた。その先は聞かなくても分かっている。保科は何より、雄太のことを気にかけてくれる。
「大丈夫だよ。雄太は俺の子だから」
たとえ、この先何があろうと正面から受け止めてやろうと思っている。すべての責任が自分にあることは分かっているから。
保科がくすっと笑った。
「何だよ」
「ほんと、亨にそっくりだよね。三歳のころの亨ってこうだったのかなあって思うと、すごく得した気分になる。僕の知らなかった亨を見せてくれるみたいで ――――」
いくら息子でもあまり似ているという話は聞きたくない。その先を聞きたくなくて、唇をふさいだ。軽くあわせただけで、すぐに離す。
「ベッドへ行こう」
もう一度軽く唇を合わせると、新田は立ち上がり保科の手を引いた。
「先に行ってて」
保科が目線で示す。
「ああ」
保科に促されるまま、新田は先に奥の部屋へ行った。
きっと保科は別の部屋で寝ている雄太の様子を見てから来るのだろうと思った。いつもの事だ。自分たちの関係を雄太に知られてしまうことを、保科はたぶん一 番恐れている。
家を別にしているのもその為だ。友人という態度を外では決して崩さない。
だからなのだろうか。ベッドの中ではひどく色っぽい顔を見せる。
「あ、あ……」
呟くように保科が甘い声をもらす。
絡みついてくる内壁と潤んだ瞳には、抵抗することなどできない。
正直な身体はすぐに駆け上がっていこうとする。それでも、先に保科の方が落ちてしまうこと に救われる。
一度だけ、だったはずなのに――――。

寝物語に保科が澤のことを話してくれた。一度だけ、と澤が言ったのだと。
その時、自分が抱えている気持ちが澤のそれと重なったと保科は言った。抱けたのはその時だけだったと。
一度だけでいい、好きな人に抱かれたい。叶わない想いならば、それ以上は望まない。
一度だけ――――それは甘い誘惑の言葉だ。
熱を放った後、まどろみかけたときに、腕の中から保科が抜けていこうとした。新田は外されかけた腕に力を入れて抱き込んだ。
「帰らないと」
保科は言いながら、新田が回した腕に手をかける。
「もう少し……俺も一緒に起きるから」
本音を言えばこのまま眠ってしまいたい。腕に保科を抱えたまま――――。それを保科は許してはくれない。
もう少しといった、そのあやふやな時間の長さは保科に任せる。次に抜けていこうとしたら、腕は解いてやる。それは暗黙の了解だ。
そのまま寝入ってしまえばいいのに、と思うのに測っていたかのように保科は腕を抜けていく。
ベッドの脇で身支度する保科を横目で見ながら、新田はバスローブをはおり、ベッドの縁に腰掛けた。
「じゃあ、また、明日」
保科はテーブルの上に置いていたパソコンを抱えると、振り返る。
「無理するなよ。時間がないなら、ちゃんと言えよ」
「分かってるよ。大丈夫」
そう言いながら、保科は笑顔を見せる。
こんな生活が満足なわけはないのに。愚痴も言わなければ、弱音も吐かない。これから家に帰って仕事をするのかもしれない。ちゃんと寝ているのだろうかと気 になりながらも、思うことしかできない。訊いたところで、ちゃんと寝てるよとか大丈夫だよという言葉しか返ってこないことは分かっていた。
自分が誘ったのだという罪悪感を、たぶんあいつはずっと持ち続けているだろう。それをどうしてやることもできない。
保科が家を出ていった後で、新田は雄太の部屋を覗いた。
顔を覗き込むと、雄太は安らかな顔で寝ていた。前髪を払うと、ん、と雄太は小さな声をもらす。
「とう、ちゃん?」
雄太が目をこすりながら言う。
「ごめん。起こしちゃったか」
子供の扱いはどうも苦手だ。
「ゆうにいは?」
雄太は周りを見回すようにした。
「帰ったよ」
残念だけど――それはこころの中で呟いておく。
「明日、また向かえにきてくれる?」
「ああ、そう言っていた」
それでなくちゃ、困る。
「よかった」
雄太は本当に安心したように目を閉じた。自分だけでなく、こいつにとっても保科は必要なのだと思うと切なく感じて雄太の頭をくしゃっとなでた。
「ずっといっしょにいられたらいいのに――――」
眠り落ちる寸前なのだろう、雄太の言葉はそのまま寝息になっていく。
「いつか、な」
いつかそんな日がくればいい。新田は今はそう願うしかできなかった。

Fin

番外編 雄太の反乱


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