目覚まし時計が鳴っていた。カーテンから光も零れていた。今日が休みでないことは分かっていた。
「ん……」
隣で寝ている寛樹が寝返りをうつ。ふっと何かに気づいたように、体を起こし、あげた手で目覚まし時計のアラームを止める。時計はぶちっと何かが切れるよ
うな音をさせて鳴り止んだ。
「達也」
今さっき、目覚ましを止めた手が体をゆする。
「ん」
「朝だぞ」
「ん」
そんなことは分かっていた。もう、かれこれ一時間位前から目は覚めていた。
「起きなくていいのか?」
上半身を起こした寛樹が見下ろす。
「ん」
起きなきゃいけないのは分かっていた。
「これは、俺の目覚ましだぞ」
「ん」
そんなことも分かっている。達也は自分の部屋で寝るときは一応目覚まし時計をセットするけれど、大概の場合、時計が鳴るよりも自分が起きる方が早かった。
寛樹の部屋で寝ることはあまり無かったけれど、目覚まし時計がなくても起きたし、寛樹にとっては目が覚めたらいなかったというパターンだったはずだ。
「ってことはいつもならそろそろお前が出ていく時間ってことだぞ」
「ん」
「どうした?」
寛樹が頭を撫でるように触れる。
「会社、休もうかな」
達也は呟いた。
体が重い。頭が重い。熱があるとか、どこかが痛いとか、そんな症状があるわけではないけれど、気が重かった。
「あいつのこと、気にしてるのか? 」
「いや……」
寝返りをうって、寛樹に背中を向けた。
いい加減二人とも大人だ。職場でプライベートを持ち出すつもりはない。だいたい、入社当時はともかく、今は話をする必要もあまりない。職場は同じでも、実
験室
は違う。実験室にこもってしまえば、姿さえ見ない。昨日はそうだった。
「じゃあ、どうしたんだよ」
声で心配してくれているのがわかる。
「ちょっと、体が重くて……」
「昨日やりすぎ……なんてことはないだろ?」
「ん、関係ないよ。ちょっと疲れたなって思うだけだよ」
起き上がる気になれなかった。
「だめだよ。達也起きろよ。さぼり癖がつくぞ」
寛樹が腕を持って引き上げようとする。
「ん」
達也は重い体を起こすと、壁に背を預けた。
「二日行けば休みで、来週行けば夏休みだ」
「ん、そうだね」
夏休みまで一週間ちょっとだ。寛樹は夏休みに、と言った。一週間という時間が遠く感じた。
「ほら、早く食堂行かないと、朝飯食えなくなるぞ」
寛樹が腕を引っ張る。
達也は重い腰をあげた。
「ん、寛樹は先に行っててよ。俺は部屋へ戻って着替えてから行くから」
寛樹を残したまま、達也は部屋を出た。寛樹の部屋は達也の部屋の上の階だった。それもあって、達也の部屋を使うことが多い。昨日は寛樹の部屋がいいと達也
が言った。下に圭がいる、そう思っただけで、胸がつぶれそうになった。
部屋へ戻ると達也はベッドの上に転がった。
昨日の朝と何も変わらない。そう思うのに、体は思うように動かない。昨日はもう寮を出ていた。昨日だって、そんなに晴れやかな気分だったわけじゃない。
「疲れた……」
ぼそっと口にした。
でも、何に疲れているのか分からなかった。
廊下を通る足音の中で、ひときわ大きいものがあると思ったら、それは自分の部屋の前で止まった。ドアを叩く音がして、それに答えなかったのに、ドアは開け
られた。
「達也!」
そうかな、と思ったやつの声が聞こえて、やっぱりと思った。来ないのならと放っておいてくれはしないだろうな、という気はした。
「大丈夫。電話はするよ」
呼ぶ声に背中を向けたまま答えた。
無断欠勤をする気はない。どうせ消化しきれない有給だったりする。疲れたと思うときに、使ってもばちは当たらないだろう。
近づいてきた足音に、体の向き変えられて、起こされた。
「行くんだよ」
どこへ?
そう頭の中で呟いて、そんなのは、冗談にもならない問いだと分かっていた。放っておいてくれよ、そう思うのに言葉にはできなかった。
圭と祐太郎が重なったあの時から、心配してくれているのは分かっていた。
ベッドの上に体を起こして、それでも動く気になれなくて、座り込んでいると、背中を向けた寛樹はクローゼットを開けて、洋服をベッドへ放り投げてくる。
「分かったよ……」
ため息とともに小さく達也は呟いた。
「十分で支度しろよ。また来るから」
寛樹はそれだけ言うと、返事も聞かずに部屋を出ていった。
「そんなに心配することないのに……大丈夫だよ」
不満が口から出る。
それでも、着ていたTシャツを脱いで、寛樹が放っていったものに腕を通した。
十分きっかりで部屋に現れた寛樹に引きずられるように連れていかれた。表向き並んで歩いている。けれど、達也にしてみれば見えない紐をくくりつけられて
引っ張られているように思えた。
それが好意からのものだと分かっているから、反抗もできない。
会社に向かう途中、コンビニの前で寛樹に少し待っていろと言われた。言葉どおり、五分も経たないうちに出てきた寛樹は小さなレジ袋を持っていた。
「会社で食えよ」
レジ袋を達也に押し付けてくる。袋の中をのぞくと熱いものが胸からこみ上げてきて、達也は唇を噛んだ。
鮭といくらのおにぎりはあいつが好きなものだった。
「そんなに感激するようなモンじゃないだろ?」
寛樹が戸惑ったような声をだす。
「好きなんだ、とても……」
会わなくて、ずっと心の中に住みつづけていた。
「分かってるよ。お前に選ばせると、こればっかだもんな」
寛樹が肩を軽くぽんぽんと叩く。行こうぜ、という合図だとは分かった。だから、達也は足を前に出した。
あいつが好きなものは自分の中でも特別なものになった。
表情が豊かで、何を考えているかすぐに分かった。だから、最初から何も構える必要は無くて、心の中にすっと入ってきた。ストレートな好意も嫌ではなくて、
かえって嬉しかった。
可愛くて、可愛くて、可愛くて。慎一郎の家へ遊びに行った帰りは、連れて帰りたいと思うほど可愛かった。だから、何かにつけて、よく遊びに行った。慎一郎
も一緒に、夏はプールや海へ行ったし、映画やゲームセンターにも行った。
もう可愛いと言えるような歳は過ぎて、でも、愛しいと思う気持ちは変わることは無かった。
「好きでなくなることはあるのかな……」
ぽっかり空いた穴は埋まる日は来るのだろうか。
「さあな、食べ過ぎると飽きるってこともあるだろうし、どんどん新しいのがでるからな。最近のじゃ、豚の角煮のやつがお勧めだぞ」
達也は思わず笑いがでた。
「じゃあ、今度買ってみようかな」
「ああ、そうしろよ」
つられたように寛樹も笑う。
一人じゃない。寛樹が傍にいてくれる。そう思うと、少しだけ心が軽くなった。
「ありがとう」
素直に感謝したのに、寛樹に頭を軽く小突かれた。
寛樹が傍にいてくれれば、圭のことは少しづつでも忘れていけるだろう。そう達也は思った。