「祐太郎?」
立ち尽くす圭に、達也は声をかけた。
「僕は圭だよ」
携帯をみつめたまま圭が答える。
「じゃあ、なんで、祐太郎の携帯を持ってるんだ」
達也の胸にあふれてくるものがあった。ずっと会いたかったのだと、目の前にして思う。
「これは、僕の、携帯だよ……」
圭の声が掠れてくる。
「慎が祐太郎の携帯だと教えてくれた番号だよ」
「……知ってる。兄さんが、初めて僕に電話してきて、あなたに教えたことを話してくれたから」
圭の言葉に、祐太郎と圭の二人が重なる。
「祐太郎……」
「僕は圭だよ。そんな名前で呼ばないでよ。僕は祐太郎が大嫌いだっ!」
圭が顔をゆがめ、吐き捨てるように言った。
「なんで、そんなこと言うんだよ……どうして名前が違うのかは知らない。だけど、お前は祐太郎なんだろ?」
それはついさっき圭が認めたことだ。
「祐太郎は……子供でわがままで自分勝手で、大好きだった人を困らせてばかりいて、なのに、その人はいつも優しくて、それが嬉しくて……誰にも渡したくな くて、酷いことしたのに……それでもやっぱり優しくて……」
圭の手は携帯を握り締めて、小さく震えていた。
何か声をかけたいと思うのに、達也は言葉がでてこなかった。
「少しは大人になったつもりだったのに、しようとしたことは同じだった」
呟くように圭が言う。
ベッドに押し倒されたはしたけれど、やめてくれと言ったらやめてくれた。
「でも……お前はやめてくれただろ」
圭が何度もかぶりを振った。
「あなたを誰にも渡したくなくて、自分のものにしてしまいたい気持ちは同じだった。近くに居られればいい。何か困ることがあったら助けることができたらい い、そう思っていたはずなのに、そんなの、自分に対する言い訳だった」
「祐太郎……」
「お願いだから……もうその名前では呼ばないで。僕はあなたの前に現れる資格なんかないって分かってるよ。だけど、会えるかどうか分からなかったけれど、 ひと目だけでもいいと思って会社へ見学に行ったとき、気づかなかったみたいだったから、もう忘れているかなって、違う人間として近くにいることはできるか なって、そう思ったから、僕は……」
圭が崩れるように膝を落とし、携帯を握り締め、肩を震わせていた。手を差し伸べたいと思うのに、達也は重く感じる体を動かせなかった。どう言葉をかけてい いのかも分からない。下手な慰めは圭自身を傷つけるだけのような気がした。追って行ったと慎一郎は言っていた。それから、四年間の間圭は何を思っていたの だろう。もしかすると、大学の構内で会っていたかもしれない。
沈黙が空気を張り詰めさせる。

突然、トントンと、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
圭は顔を伏せたまま、床に膝をついていた。達也は部屋の外にいるだろう相手に答えていいのかどうか迷っていた。
「達也?達也、いるんだろ?」
寛樹の声が聞こえた。
ふっと圭が顔を上げる。苦しげに歪んだ表情をした圭の瞳は潤んでいた。その瞳から達也は目を離せず、少し見詰め合っていた。寛樹の用件は分かっている。い い加減早くはっきりさせて帰っ てこいということだろう。
「返事がないなら、入るぞ」
「寛樹、まっ――――」
達也が立ち上がったとき、ドアは開いて、寛樹が姿を見せた。達也と目が合うと、寛樹は呆れた顔をした。
「待ってるやつのことも忘れないで欲しいんだけどな」
寛樹は体を滑り込ませると、後ろ手でドアを閉めた。
「当たりみたいだな。どんなトリックを使ったのかは知らないけど」
寛樹は達也と圭を交互に見やった。
「そんな風に言うなよ」
達也は寛樹と圭の間に立った。
「で、どうすんの?」
寛樹が達也に向かって問い掛ける。
「そんなに直ぐに決められるわけないだろ」
「じゃあ、また言うのか? もう少し待ってくれって」
「それは――――」
達也は言葉を返せなくて、視線を伏せた。それが解決にはならないと分かっても、すぐに決められることばかりじゃない。考える時間も必要だと、寛樹も分かっ ているはずだ。けれど、自分は今まで無駄な時間を使い過ぎた。それは、自分でも分かっていた。
「ちょうどいいじゃないか。当事者が三人揃ってるんだ。ここで決めればいいだろ」
寛樹はその場で腰を下ろした。
ドアのすぐ手前。それは、お前がはっきりするまでここからは誰も出さないと言われているような気がした。明日、会社は休みだ。それこそ、一晩かけてもかま わないと思っているのだろう。
「待ってくれよ、寛樹。圭は関係ないだろ。俺たちの問題なんだから」
「俺は、そいつがどう思っているのか聞きたいな」
寛樹が圭へ視線を向ける。
「それと、俺たちは関係ないだろ」
圭がどう思っているかは別にして、自分たちのことは決めることだと思う。乗り換えようと思ってはっきりさせたかった訳じゃない。
「関係あるだろ。俺が我慢しなきゃいけない原因を作ったのはこいつなんだろ?」
「寛樹、俺の部屋へ行こう」
達也は寛樹の前に立つと腕を持って立ち上がらせようとした。その先、寛樹が何を言おうとするか分かるような気がして、圭には聞かせたくなかった。
「本人にも教えてやった方がいいんじゃないの?」
「そんな必要ないよ」
「それは、お前が決めることじゃないだろ。な?」
寛樹が圭へ視線を向ける。
「いいんだ、圭。お前は気にすることじゃない」
「何? 僕が原因って?」
圭がきょとんとした顔をしていた。
「ほら、あいつは知りたがってるだろ?」
「いいんだよ。圭には俺から話すよ」
「俺に話したのと同じ理由を、か?」
「もう、いいだろ。戻ろう」
達也は寛樹の背中を押した。
「村瀬さん、何? 僕が原因って」
「違うんだ、圭。聞かなくていい」
「こいつさ」
「やめろよ、寛樹」
寛樹の口を手を塞いだ。それは簡単に解かれて、もう一方の手も捕まえられた。
「初めての時」
「やめろよっ!」
体を捻っても、自由にはならなかった。
「すっげえ」
「圭、違……」
寛樹に両手を束ねられると、もう一方の手で口を塞がれた。
「すっげえ酷い目にあわされたから、入れられるのは嫌だってさ。お前、それでもいいの?」
――――違うっ!
そう叫びたいのに声は出せなくて、寛樹がその気になれば、自分は抵抗なんてできないのだと達也は知った。

「違うんだ、圭! 寛樹の言うことは気にしなくていいっ」
寛樹の手をはがすようにして達也は叫んだ。
絶対に圭は傷つく。そう思ったのに、圭は、きょとんとした顔をしていて、感情を顔からは読み取れなかった。
「村瀬さん。小柴さんと僕が付き合うなんて有りえないから、そんな心配はいりません」
圭が淡々と寛樹に答える。
「……そう、か……それならいいんだけど」
寛樹の方が少し戸惑ったようだった。
「小柴さん、僕はもう子供じゃない。だから、そんなに心配してくれなくて大丈夫だよ。もう、あなたを困らせることはしないから、だから、もう、昔の僕のこ とは全部忘れて下さい。お願いします」
立ち上がった圭が頭を下げる。
「圭、悪いのは俺だよ」
謝るのは自分の方だと達也は思った。あの時も、今の寛樹のように祐太郎を制止すればよかった。
圭がかぶりを振る。
「小柴さんには、感謝してる。だから、もう、僕には構わないで」
「だってよ」
寛樹が言葉を挟む。
「あ、でも」
このままで良いはずはなかった。
「もう、聞きたいことは聞いたんだろ。部屋へ戻ろうぜ」
寛樹がドアを開けた。
「小柴さん、頂いたケーキは、後でいただきます。ありがとうございました」
「あ、うん」
もう、部屋の外へ出るしかなかった。ここで何かを言えば廊下へ筒抜けだ。
「あ、圭」
部屋を出て振り向いた達也に、ふっと笑うと圭はドアを閉めた。それは、もうこれ以上踏み込んで欲しくないという拒絶に思えた。
目の前のドアは二度と開けられないのだと思った。

「怒ってるか?」
部屋へ戻る途中で、寛樹が立ち止まる。
「いや、自分が撒いた種だから」
自分が寛樹に言った言葉だった。
「でも、ある意味お前の選択は正しかったと思うぜ」
「え?」
「もし、本当のことを最初に聞いていたら」
一旦寛樹は言葉を止め、顔を寄せてくる。
そして。
きっと忘れさせてやるって力ずくでもやってたよ――――そう耳元で囁いた。
「仮定なんて、意味ないよ」
「そうか?」
今だから言える。もう過ぎ去ったことをやり直すことはできない。



空は濃い青の中にふわふわとした白い塊を浮かべていた。
太陽に近いうえに、空調の機械が吐き出す熱風の音がする。むっとした空気が下に漂っていて体にまとわりつき這い上がってくる、立ってるだけで、背筋や額に 汗が流れる。
「夏休みどうすんの?」
肌を這う唇が動く。
「何も、考えてない」
何も考えられなかった。
「じゃあ、旅行でも行かないか? 」
「旅行? 」
「ああ、そうしたら、少し気分も変わるだろ?」
「さあ……どうだろ……それにしても、ここは暑すぎるよ。少し涼しくなるまでここはやめた方がいいよ」
「じゃあ、どこでやるんだ? 」
「何も、会社でやらなくても……」
「俺は、お前の慰め方をこれしか知らないよ」
「あ……っ」
寛樹が胸の突起を口に含んだ。すでに硬くなっているそこは少しの刺激でも感じてしまう。
「だろ?」
寛樹が顔を覗きこむ。
「俺は慰められる必要なんて……んっ」
軽く噛まれて、体が強張る。
「嘘をつくなよ。顔に全部書いてある」
そんなことあるわけないだろ。そう思いながら、達也は空を仰いだ。

圭が祐太郎だと分かった。その日から達也は圭とまともな会話をしていない。
寛樹の言葉の誤解を解きたくて、達也は何度も圭の部屋を訪ねたのに応答は無かった。寮で会っても、会社で会っても、職場以外では圭は誰かと一緒で、言葉を 交 わしてもあいさつ程度だった。まさか、職場でプライベートな話もできなくて、もやもやが胸に溜まっていた。
普段と同じでいるつもりでも寛樹には分かってしまうのだろう、そう達也は思った。
圭に避けられているのだと思う。そのことも胸を重くする。

「いい加減に、あいつは諦めて俺のものになっちゃえば?」
肩口を強く吸われた。
「や、っ……跡が……ひろ――――」
寛樹の体を離そうと押したら、反対に抱きしめられて、唇を塞がれた。
「んんっ……」
逃げようと顔を捩っても、すぐに追いつかれてしまう。寛樹にされるまま流されてしまえば、楽なのは分かっていた。けれど、自分の中の何かがそれを拒む。
頭の端で、ドアが閉まる金属音が響いた。
抱きしめられていた体がふっと緩む。寛樹は達也から体を離すと、体を捻ってドアの方へ視線を向けた。達也はシャツのボタンを急いでしめると、裾をズボンの 中へ押し込んだ。
「圭だ」
寛樹が呟く。
その声に達也は飛び出していた。
気づいたらしい圭が振り向く。周りには誰もいなかった。
「圭」
何も考えていなかったのに、呼んでいた。誤解を解きたかった。お前は何も悪くないと圭に言ってやりたかった。
驚いたような顔をして立ち止まっていた圭に達也は駆け寄った。もう、こんなチャンスはないかもしれないと思った。
「圭、話があるんだ」
これだけは聞いて欲しいと思った。
ふっと圭が笑った。
「こんなところに居たんですね」
圭が達也を見て、視線を横へ移す。圭の視線を追うと、その先には寛樹がいた。
「俺は、先に戻るよ」
寛樹は片手をあげ、そのまま鉄のドアを開けると、その中に消えた。


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