クレアが身ごもったと聞いたとき、アレシオはすべてが終わったと思った。
王位を継げる資格をもつためには、同じ日に誕生したものがいなければならない。それはその気になれば、操作できるものだ。十分に育っている胎児ならば、外
へ出しても生きていける。胎児のうちに性別も調べることもできる。
シリスの命をかけるようなことなど、二度としたくなかった。
バートンはシリスから片時も目を離すなと言った。言葉どおり、アレシオはずっとシリスの傍についていた。
ふと夜中に目を覚ましたとき、シリスが体を丸めて震えているときもあった。
昼間、突然、しがみついてきて、体を堅くすることもあった。
落ち着かないように、部屋の中を歩きまわることもあった。
そんなシリスに、目を離すことはできなかった。
「アレシオさま」
シリスが何か言いたげな視線を向ける。
「何? 」
問い掛けるとシリスは口を噤む。
「もう、何も心配することはないよ」
それで会話は終わってしまう。
何度も同じことを繰り返していた。
バートンのおかげで、誰にも邪魔されずにいられた。
部屋には食事と身の回りの世話をするために、マーシャが来るくらいだった。
子供が生まれたことを見届けたら、シリスと共に、どこへ行こうか。そう考えながら、答えはひとつしかでなかった。
穏やかな季節は巡り、クレアは元気な男の子を産んだ。同じ日に生まれた性別を別とする者も見つかったと聞いた。
すべて、聞いたことだった。
「行こう、シリス」
アレシオはシリスの手を取った。自分の役目は終わった。もう自由だ。
シリスはどこへとも何をしにとも聞かなかった。
シリスの大好きな池のほとり、そこは大きな満月が水面に浮かんでいた。いつもの岩陰に隠れて並んで座った。これが最期のときだと思うのに、怖いとは思わな
かっ
た。
「ねえ、シリス。この池は落ちるともうあがってこないんだよ。池の底には魔物が住んでいるとか、宮殿があって贅沢な暮らしができるから誰も帰ってこないと
か、どこか違う世界に続いているとか、色々言われている。戻ってこられないから調査することもできないんだって」
アレシオは笑ったのに、シリスは笑わなかった。悲しそうな顔をしてアレシオを見つめていた。
「だから、二人で見に行こう」
笑いかけたアレシオに、やっぱりシリスは悲しそうな顔をした。
そんな御伽噺のようなことはないのだろうと思う。けれど、二人で別の世界へ行ければいいとアレシオは思った。
「僕と一緒じゃいや? 」
問い掛けると、シリスはやっと少し笑ってかぶりを振った。
心残りがないわけじゃない。けれど、シリスに対して責任を取らなければいけないとアレシオは思っていた。シリスを壊してしまったのは自分。身を引こうとし
たシリスを無理矢理引き止めたのも自分。それも二度も。
まだシリスの手首には傷が残っていて、その傷を見るたびに胸が痛くなる。
シリスの顎に手をかけると、上を向かせて唇を塞いだ。これが、最期のキス。離したくなかったけれど、すぐに離して抱きしめた。名残はつきなくて、本当は二
人で生きていければいい。だけど、その方法を知らない。
ポケットに入れていたケースから錠剤をひとつ取り出すと、アレシオはシリスの口に含ませようとした。
「飲んで」
バートンにシリスが眠れないと言ってもらっておいたものだった。どうしたらシリスが眠りに落ちるのかは知っているから、使う必要はなかった。このときのた
めにもらっておいたものだ。
シリスをもう苦しませたくなかった。もう十分苦しんだはずだから。
シリスは嫌がるように顔を背けた。
「やっぱり、いけません。こんなこと」
背けた顔をゆがめる。
「そしてまた、僕を置いていってしまおうとするの? 」
アレシオが問いかけると、シリスが更に顔をゆがめて肩を落とす。
「もうそんなことは嫌なんだ」
すべての罪をシリスに負わせてのうのうと生きていくなんてことはできない。
アレシオはシリスの顎を掴まえて上を向かせると、無理矢理口をあけさせて錠剤を含ませた。頭を振り口へ手を持っていこうとするシリスの手を掴む。
「シリスお願いだよ」
アレシオが呟くと、シリスの潤んだ瞳は小さく揺れた。アレシオはシリスを抱きしめると岩に
もたれた。
シリスが眠りに落ちたら、抱きしめて水の中へ入ろうと思っていた。もう決して離さない。
「アレシオさま……」
シリスが上着を掴む。
「何? 」
「アレシオさま」
顔を歪め、悲しげな声をだす。
「ごめんね、シリス。僕が全部悪いんだ。辛い思いばかりさせて、ごめん」
謝って済むことではないと分かっている。けれど、謝ることしかできない。
「アレシオさま……」
「許してくれる? 」
力が戻る方法を見つけると言ったのに、結局見つけることはできなかった。
シリスはゆっくりかぶりを振った。
「だめ? 」
恨んでくれと言ったのは自分。でも、それは本意じゃない。自分勝手であっても、せめて今は許すと言って欲しかった。
「そうではありません。私が……許していただかなくてはいけないのは私の方です。私の力が到らないばかりに、アレシオさまに迷惑ばかりかけて……」
シリスが肩口にすがるようにする。
「ううん。シリス、もうゆっくり休んでいいよ」
自分も、もう疲れたと思う。もう何も考えたくなかった。
愛しい人を抱きしめてゆっくりと水面を動く月を見ながら、アレシオはシリスが眠りにつくその時を待っていた。
突然、はっとしたようにシリスが顔をあげた。
「何誰かがきた? 」
アレシオが小声で聞くと、頭を振る。
もう月はだいぶ傾いていた。興奮しているのか、薬はあまり効かないようで、ぐったりしているようでも眠りに落ちるまではいかなかった。
朝になってしまったら、マーシャが部屋に来てばれてしまう。それまでには、ことを終わらせたいとアレシオは思っていた。一枚のメモを部屋に置いてきてい
た。そこ
には、自分のことは自分でけじめをつけると書いた。何をしようとしているのかマーシャにも分かるだろう。マーシャが見過ごしてくれるとは思えなかった。誰
かが探しに来る前に、すべてを終わらせなければいけない。人前にシリスを晒したくない。けれど、シリスを苦しませると分かっていることをできない。あせる
気持ちを無視して時間は進んでいく。
せわしい鳥の囀りが聞こえてきて、空が紫色になっていく。時間はあとわずかしかなかった。
不意に、シリスが顔をあげ首に腕を回すと、唇を塞いできた。二、三啄ばむように触れ、ゆっくりと離れていった後、突然立ち上がった。
――――え?
油断していたアレシオに制止することはできなかった。
「誰だ!」
誰かの声がして、思わずアレシオはシリスを隠すように立ち上がった。シリスを守れるのは自分しかいない。
「アレシオさま」
警備の兵が声をあげる。
「怪しいものではない」
アレシオは後ろ手でシリスに座るように押さえつけようとしたけれど、シリスはアレシオの手から逃げるようとする。あくまでも自分の姿を晒そうとしているよ
うだった。アレシオは髪の色がばれていないことを祈った。まだ薄
暗い。はっきり見えているわけじゃない。
「こちらにおいででしたか」
木立の中から、歩いてくる人影が見えた。
「ハービィ」
険しい顔をして、ハービィは警備兵の前に立った。