アレシオは知れば知るほど、絶望感が増していった。
シリスを助け出してから半年が経っていた。書庫の本も資料も関わりがありそうなものはすべて読み尽くした。
ヒューが言っていた通り、神官としての修養を積み、人と交わった者の末路は悲惨なもので、たったひとつの可能性さえも見つけられずにいた。
シリスも――――シリスが自分を持て余しているのが傍から見ていて分かる。
ただ救われるのは、シリスが心を休められる場所を見つけたことだった。それは危険と隣り合わせで、あまり歓迎できないことでもあったけれど、シリスの心が 壊れてしまうよりはずっといい。ずっと抱いていられればいいのだろう。けれど、そんなことは許されないし、問題も解決できない。

アレシオが部屋へ戻ったとき、シリスが部屋にいないことが多くなった。シリスの行く場所はひとつしか考えられなくて、必ずシリスはそこにいた。
ぼんやり水面を眺めていたり。
戯れるように、水を手で触れていたり。
時には寝ているときもあった。
危険だと分かっていても、やめさせることはできなかった。
シリスは大丈夫だと言ったけれど、いつ見つかってしまうか分からない。その時どうすればいいのか。
自分も追い詰められていくことをアレシオは感じていた。


アレシオはクレアの部屋を訪ねた。
「珍しいこともあるものですね」
クレアは皮肉交じりに笑みを浮かべた。
クレアの部屋にはアリアもいた。クレアが目配せをすると、アリアは軽く頭を下げ使用人用の扉から部屋を出て行く。
席を勧められアレシオが腰を下ろすと、クレアは向かいに座った。
決心をして来たはずなのに、アレシオはなかなか言葉を出せなかった。
しばらくして戻ったきたアリアは、テーブルにお茶の支度をすると、またすぐに部屋を出て行った。
一口カップに口をつけて、
「どんな御用でしょうか」
クレアが言った。
「あなたの役目を果たして欲しくて」
クレアの目を見ていられなくて、アレシオは顔を伏せた。
いくら決められているとはいえ、夫婦として一生を過ごしていくのなら、その間に愛情があるべきだと思う。自分の両親を見ても、激しいものは感じなくても、 二人に繋がりがあることは感じていた。
自分は両親のようにはなれないとずっと心の奥底で思っていた。いつか来るその時は遠く感じていて、現実のものとは思えずにいた。
けれど、そのことが、自分の前に立ちはだかる。
国のしくみを自分一人のわがままで変えることはできない。

「そんな、お言葉しかいただけないのですか? 」
クレアの声が悲しげに聞こえた。けれど、自分には愛を語ることなどできない。何か答えなければいけないだろうと思っても、口にだすべき言葉が見つからな かった。
居たたまれない気持ちだけがわきあがってくる。
できるのならば、今すぐシリスと共に逃げ出したい。二人でいられるのならば、どこでもいいとさえ思う。けれど、そんなことをしたらただでさえ豊かでないこ の国はどうなるのか。
全幅の信頼をおく王の命に従うことで国の秩序が保たれている。
神の意志によって定められた二人、それが国王になり王妃になる。神の声を聞く神官が国の筋道を決める。長い月日の実績があるからこそ、国は安定している。
それを、自分がどんな権限をもって断ち切れるのか。

「何を言っても無駄なのでしょうね。あなたが私を見てくれることはない」
アレシオの背筋に冷たいものが這い上がってくる。答える言葉をアレシオはもたなかった。
「分かりました。あなたの子を産みます。それは、あなたのためじゃない。私の果たすべき役目ですから……ただ、ひとつお願いを聞いていただけますか? 」
クレアの言葉にアレシオははっとして顔をあげた。
「お願い? 」
それがどんなものであるか、アレシオには想像することもできなかった。クレアのことをアレシオは何も知らない。好きな食べ物、好きな色、好きな場所、好き な……。
「私があなた以外の方を愛するのを許していただきたいのです」
「それは――――」
言葉がでなかった。愛するとはどういうことなのか。そんな人がいることは思いあたらなかった。自分がクレアを愛することはできない、だからといって、クレ アが他の 人を愛することを許せるかと言えば違う。
気持ちだけの問題ならば、それは許すも許さないもない。現に、自分はクレアではなくシリスを愛している。ただ、クレアの産む子は国王としての相続権をもと ことになる。血にそれほど固執するわけではないが、今まで守られてきたものだ。
「あなたは他の方を愛しているのに、私には許してくださらないのですか? 」
「けれど、クレア――――」
確かにそうだ。けれど。
「何を心配されているのでしょうか。私が愛しているのはアリアです。お許しいただけませんか? 」
――――え?
アレシオの体が固まった。
「そんな驚いた顔をなさらなくても……あなたも同性の方をお好きではないですか」
「あ……」
「お許しいただけますよね? 」
クレアが首を傾げる。
「僕はあなたを批判することはできません」
それが、アレシオが出せる答えだった。
許す許さないで気持ちが変えられるものならば、どれほど楽だろう。たとえ、許されないと分かっていても、心は求めてしまう。
「アリアは、僕を許してくれるでしょうか」
愛する人の体を奪ってしまうことになる。もし、自分がアリアの立場であったなら、きっと冷静ではいられない。
「アリアは私の役目をよく分かっていますから」
事も無げにクレアが言う。
クレアの言葉にアレシオは胸が痛くなった。苦しい気持ちを抱えているのは、自分だけではない。それは、きっといままでも。長い歴史の中でも繰り返されてき たことなのだろうと思った。
社会のしくみの中で、自分は歯車のひとつでしかない。


クレアの部屋を出たその足で、アレシオは王の部屋へ向かった。
クレアとの誓いの義をできるだけ早く行いたい。そう申し入れたアレシオに王は二つ返事で了承した。
派手な式典は行わず、内輪だけのものにして欲しいと言ったアレシオの希望にも王は快諾してくれた。
ただ。
「新しい神官はどうするつもりでいる? 」
王からの問いかけは、いつか言われると思っていた言葉だった。
「今はそんな気持ちにはなれません。しばらく考えさせてください」
しばらくどころか、新しい神官を指名する気などアレシオにはまったくなかった。けれど、それは口に出すことではない。
大きなため息をひとつ王は零した。
「まあいい。式は一ヶ月後に行おう。それでよいか? 」
「分かりました」
王の言葉に、アレシオは深く頭を下げた。
一ヶ月、それが長いのか短いのかは分からなかった。


思う一ヶ月は長くても、当日を迎えれば短かったように思えた。
シリスには何ひとつ告げず、アレシオはその日を迎えた。
「今日は少し遅くなるから」
そう言ったアレシオにシリスはただ微笑むだけだった。
もう少し待って――――アレシオは心の中でシリスに話し掛けながら、軽く唇に触れた。珍しくシリスもキスを返してくれた。
「お待ちしています」
いつものように、シリスは微笑みながら見送ってくれた。


自分は贅沢だとアレシオは思う。
「目を閉じて、あなたはあなたの好きな人を思い浮かべていて」
アレシオが言うと、
「当たり前だわ」
とクレアが答えた。
ベッドの上で交わした言葉はそれだけだった。
義務だよ、そう思いながらも、落ちていく自分がいた。

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