扉がノックされる音がした。
「アレシオさま、クレアです」
扉の向こうから聞こえた声に、アレシオは目を見開いた。とっさにシリスへ目配せすると、シリスはゆっくりベッドまで行き天蓋の布を引いてベッドの中へ姿を 消した。
夕食の後、窓辺のソファでもたれあいながら、話をしていた。
星がきれいだとか風が気持ちいいとか、そんな、後で何を話していたか忘れてしまうようなことでも、楽しくて、気持ちは落ち着いた。ただ、夜が更けていくこ と を感じていくだけのつもりだったのに、来客はあまりに突然だった。

シリスが隠れたことを確認すると、アレシオは扉まで向かい、少しだけ開けた。
「何か、御用ですか? 」
扉の前に佇むクレアに声をかけた。
クレアにお付きのものはなく、一人だった。
「少し、お話をしたいの。よろしいかしら」
アレシオに訊ねるようであっても、クレアの手は扉にかけられていて、開こうとする。
無碍に断ることはできないと思った。断る理由が思いつかない。疑問を抱かせて、変な詮索はされたくない。
「何もおかまいできないのですが」
「かまわないわ」
はっきりした言葉にクレアの意志を感じて、アレシオは体を引いた。
生まれたときから本人の意志など関係なく許婚として決められていた。初めて会った記憶があるのは、シリスに会ったときと同じ七歳の誕生パーティの席だっ た。
正直、あまり気にしていなかった。王位を継ぐということも知識では理解していても実感はなく、妻になり王妃になる人だと言われても実感はなかった。
週に一度のお茶会と公式の行事しか会うことはなかった。自ら進んで会うことはしなかった。
そういえばと、しばらくお茶会には顔を出していなかったことをアレシオは思い出した。

クレアは部屋へ入ると、中央に置いてあるテーブルまで進んだ。それを、アレシオはただ眺めていた。
話があると言われても、気は進まない。
クレアが振り向いて怪訝そうな顔をするから、アレシオはテーブルまで行き、クレアのために椅子を引いた。クレアはラフで裾に広がりのないドレスを着てい た。薄い栗色の髪を無造作に後ろで束ねている。あまり着飾ることはしない、それでも美しいとは思った。けれどそれは、自分が惹かれる美しさではない。
クレアが椅子に腰を下ろしたのを確かめて、アレシオも向かいの席へ腰を下ろした。
「すみません。色々気になることがあって、お茶席に出ることができませんでした」
不本意なのは自分だけではない。クレアも生まれたときからすべてを決められて自由は無かった。そのことを思いやることを忘れていた。
「シリスがいなくても、あなたは私のことを見てはくださらないのですね」
唐突に核心に触れると、クレアの瞳はまっすぐにアレシオを見つめていた。
「そんなことは……」
アレシオは、思わず目を逸らしていた。はっきりと触れられたくないところを指されて言葉はでなかった。
「いえ、いなくなって尚、ですね。前にお会いしたのはいつだか覚えていらっしゃいますか? 」
「それは……」
問い掛けられてでてこなかった。日付や曜日さえ最近は頭にない。
「ずっとお聞きしたかったのです。私のことをどうお考えですか? 」
ゆっくりとした話し方は穏やかに聞こえても、内容は厳しいものだった。婉曲な言い回しなどできないほどに、自分はクレアを追い詰めていたのかもしれないと 思った。今、女が一人で男の部屋を訪問するような時間でもない。
「……美しい、聡明の方だと思っております。僕にはもったいない方だと……」
事実、クレアに忠誠を誓い思いを寄せるものもいるらしい。立場上、クレアの周りに男はいない。たとえ、王宮の中とはいえ、一人で訊ねてくることは考えられ ないことでもあった。
「嘘!」
「いえ!」
嘘ではない。ただ、自分はクレアよりもシリスに惹かれてしまった。それだけのことだ。シリスに出会わなければ、クレアに惹かれていただろう。実際、誰 よりもクレアを美しいとは思う。女性の中では。
「では、なぜ、会いに来てくださらないのですか? 」
クレアが眉をひそめた。いつも見せる気高い表情がくもり悲しげに見えた。
「ごめんなさい。色々調べたいことがあって、今は時間がとれないのです」
それも事実だ。いくら本をめくっても、資料を紐解いても、アレシオの欲しい情報はなかった。見つけてしまうのは、落胆するものばかりだった。それで も、探さなければいけない、シリスのために。

「私はいつまで待てばいいのでしょう」
クレアの言葉にアレシオは顔を伏せた。
「……慣例によれば、18の時に契りを交わし、次の年に式を行うと聞いています」
決められているのならば、いつ行おうとあまり意味はない気はしていた。国のしくみを変えなければ、変えることはできない。ただ、そんなことを聞きたいわけ ではないことはアレシオにも分かっていた。
「そんなことではありません。あなたはいつになれば、私を見てくださるのですか? 」
クレアの問いかけにアレシオは答える言葉がなかった。
何も音をたてるものがない空間では空気が音をたてる。その音は痛いほどアレシオの耳に響いた。
その場かぎりの答えをすればいいのかもしれない。けれど、それをシリスも聞いている。不用意な言葉ではシリスを傷つけてしまう。そして、それを知ってしま え ばきっとクレアも傷つくだろう。

「……誠実な方だと、思えばいいのでしょうか」
しばらくの沈黙の後、零した言葉とともにクレアが小さくため息をついた。
「先のことは分かりません……」
アレシオに答えられるのはこれくらいだった。先は分からない、何もかも。
「分かりました」
クレアが席を立った。
「……部屋まで送って行きます」
席を立ったアレシオにクレアは口元を緩めた。
「いいえ、それにはおよびません。アリアを外に待たせています」
クレアは自分の使いのものの名前を出した。
部屋を出ると、確かにアリアは扉の向こうに膝をつき控えていた。
「では」
クレアが頭を下げる。
「この次の会には、出させていただきます」
それはせめてもの自分の努めだとアレシオは思った。
「お待ちしております」
軽く微笑んで、クレアが体を翻す。その後ろにアリアが従うようにつき、アレシオに向かって深く頭を下げた。
アレシオはしばらく二人を見送っていた。
時間は歩みを止めない。クレアを妻とする日は必ずやってくる。

「シリス、もういいよ」
扉を閉めると、アレシオはシリスへ声をかけた。
すぐに顔を見せると思ったシリスは、返事もしなければ、姿を見せることもなかった。
「寝ちゃった? 」
アレシオが天蓋から下ろされた布を引くと、シリスは体を丸めて震えていた。
「シリス!」
声をかけながらシリスの体をひっくり返すと、シリスは切なそうな顔をして、顔を背けた。
「シリス? 」
体をゆすると、シリスが顔を歪め頭を振る。
アレシオはベッドにのりシリスの上に覆い被さるようにすると、ぎゅっと体を抱きしめた。
「大丈夫だよ」
耳元で囁く。
時々、酷く精神的に不安定になるらしい。人が近づくことを嫌がるようになった。それは、人の気を感じるようになったと言っていたことに関係するのかもしれ ない。部屋に尋ねてくる人は大体決まっている。けれど、廊下を通るものは制限され るとは言っても、排除することはできない。警備の人間の見回りもある。けれど、これほどひどく、表に出すことはなかった。クレアの訪問はシリスにとって少 なからず ショックだったかもしれない。
ただでさえ、自分の身はこの世には存在しないものとされ、先のことは定まらない。もし、見つかればどうなるのか分からない。不安にならない方が嘘だと思 う。

「大丈夫だよ、シリス」
頬を撫でると、唇を塞いだ。手は体の輪郭をなぞるように下ろし下腹部を探る。
シリスを安心させる一番手っ取り早い手段だった。
始め繋がることを拒んでいるかのように思えた体は、今ではすぐに開くようになった。ローションをたっぷりつけ、抽送を繰り返す。
「あっ……、んっ」
甘い息と声を出し、ベッドの上でシリスの体は柔らかく揺らめいた。最後は悲しそうな顔をして、体を仰け反らせる。
熱を放つと、シリスは穏やかな顔に戻った。安心したように眠りに落ちるシリスをアレシオは抱きしめていた。

――――ごめん
シリスを抱きしめながらアレシオは心の中で呟いた。
あの時、シリスを連れ戻しに行ったことが正しいのかどうかは分からなかった。自分の立場を考えれば、抑えなければいけない気持ちだったかもしれない。
「でも、好きなんだ」
頬に唇で触れながら、呟く。
失いたくはなかった。けれど、力が戻らなければ先はないだろう。だから願うしかない。思うしかない。

――――明日はきっと何かをみつける



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