暖かいベッドと温かい食事とあたたかいぬくもりがあった。
これ以上何を望むのだろう。
そう思うのに、シリスの心は晴れなかった。それは、身を隠さないといけないという状況だけでなく。
王宮へ戻って数日、アレシオはずっとシリスに付いていた。シリスの衰弱していた体がだいぶ戻ると、今度は食事の時を除いて夜遅くまで部屋には戻らなかっ
た。その
分を埋めるかのよ
うに、夜中はずっとシリスの体を抱いていた。
シリスはアレシオが時間があれば書庫へこもって失った力を取り戻す方法を探していることを知っていた。
アレシオしか感じない。そう思っていた力は、王宮へ
戻って少し経つと変わっていることにシリスは気がついた。
アレシオ以外の人の気も感じる。マー
シャの温かい気、
ヒューの冷静な気、ハービィの厳しい気、パドラの穏やかな気。自分に近づいてくる人がどんな感情を持っているかも感じることができた。
けれど、それは自分に求められている力ではないとシリスは思った。心を覗いていることになってしまう。それを望まれるとも思えない。ただ、身を隠さなけれ
ばいけないことを考えれば、人の気を感じることは
意味があった。
日が落ちてから、人の気をぬうようにシリスは王宮の庭へでるようになった。広い池のほとりで、心を澄ませる。風の声を聞くこともできない、空を読むことも
できないの
に、水や緑や空に囲まれていると心が落ち着いた。
「風の匂いがする」
ベッドの上で絡み合いながらアレシオが肩口に顔を埋め、匂いをかぐ仕草をした。
「池のほとりに少しおりました」
アレシオに嘘をつくことはできなかった。
途端に、アレシオは顔を歪めた。
「だめだよ。誰かに見つかったら」
非難する声をだす。
「……でも、ずっと部屋にいるのも辛いよね」
視線を伏せ、悲しげに続けた。
「大丈夫です。人の気配が分かります。誰もいないと分かったときにしか、外にでることはしません」
アレシオにこれ以上の心配はかけたくなかった。だから、シリスは自分の秘密を少し明かした。
「分かるの? 人の気配が? 僕だけじゃなく? 」
アレシオがはっとしたように訊く。
「はい。人の気配だけですが」
気だけじゃない。そのことを話すことは躊躇われた。
「それって、力が戻ってきたってこと? 」
アレシオの瞳に声に期待を感じた。
「残念ながら……」
期待をもたせることはできない。これは、以前もっていた力とは違うものだ。
「あ、でも、いいことだよね」
アレシオが頬を摺り寄せてくる。
自分に対して何ら暗いところを持たないアレシオの気は、胸を痛くさえした。心配をかけるばかりで、何も役にたてない。けれど、自分はこの人にとって必要な
存在
だということも分かるから、シリスはここにいる自分を肯定できた。
ただ、一度知ってしまった快楽は体を解き放ってはくれなかった。
「眠れないの? 」
囁く声がある。
「いえ」
そう答えてシリスは寝たふりをした。体の奥が熱くて眠りに落ちることを邪魔する。抑えこもうとしても、抑えきれない欲望が顔を出してくる。
アレシオの寝息が聞こえてきて、シリスはそっとベッドから抜け出した。もう一時も傍にいられないと思った。夜中に王宮の庭を歩くのは警備兵ぐらいだ。だか
ら、と油断していたら、ほんの近くで人の気を感じて、あわてて木陰に隠れた。やりすごすと、池のほとりまで急いだ。水を見てほっとする。けれど、それがな
ぜかは分からなかった。
池のほとりにある岩に腰掛けて、深い息を何度も吐く。体に溜まっている熱を吐き出そうとした。
「シリス? 」
背後からかけられた声に驚いて振り向くと、月明かりの中でアレシオが立っていた。
追いかけてきたらしいアレシオの気を感じないほどに自分は追い詰められて
いたのだとその時シリスは悟った。
「どうしたの? 人の気が分かると言っていたのに、大丈夫だと言っていたのに、全然大丈夫じゃないじゃないか。もう少しで――――」
アレシオが悲痛な声をだす。それに、シリスは答えることができなかった。
顔を伏せたシリスに、アレシオが近づく。
「シリス」
呼ばれても、シリスは返事を返せずにいた。
池の表面を揺らせる涼やかな風が二人の間に流れていった。
「何か言ってよ。そうじゃなきゃ分からないよ」
伸ばされた腕が体を包み込む。堪えきれずに、シリスは涙を零した。一緒に嗚咽もでてくる。自分が情けなかった。
「シリス。ごめん。責めてるわけじゃないいんだ。だけど」
アレシオの手が背中を優しく撫でる。
「言ってよ。僕でできることなら何でもする。シリスに辛い気持ちを味あわせているのはわかってるつもりだよ。それも、全部自分のわがままだってことも。だ
けど、僕にはシリスが必要なんだ」
心の中を溶かすように、あたたかい気が体を包む。奥底に押し込んでいた気持ちがふわっと浮いてくる。
「欲しいのです……」
言葉は自然にでていた。
「え? 」
アレシオが首を傾げた。
「あなたが欲しくて、体が熱くて――――」
それ以上は言葉にできなくて、シリスはアレシオの胸に額を寄せた。
抑えようとしても抑えきれない熱が体の奥に溜まっていく。自分で自分を慰めるなんてことは、何の役にもたたなかった。一瞬、弾けたように思える熱はすぐ
に、戻ってきた。そして、また悩ませる。息を殺すように、耐えているのも、もう限界だった。
頭上から小さなため息が聞こえた。
「なんだ……」
力が抜けたような声でアレシオは呟いた。
「部屋へ帰ろう」
背に回した腕でシリスに立つように促す。
「でも」
シリスはアレシオを制した。
一度犯してしまった過ちをまた繰り返してしまうことへの躊躇いはあった。
「僕も欲しい、シリス。我慢すればシリスが元へ戻るなら我慢するよ、どんなに辛くても。でも、残っている資料を見るかぎりそんなことはないみたいだ。それ
でも、僕が我慢していたのは、シリスの嫌がることはしたくなかったからだよ。そんな言葉を聞いてしまったら、もう我慢なんてできない」
行こう――――そう言って背中を押したアレシオにシリスは逆らえなかった。
アレシオの唇が肌を這う。それはすべて喜びになった。
「ん――――……」
手で胸の突起を転がされて熱い吐息が漏れる。溜まっていた熱が体を駆け巡る。
「どこまでも一緒に行こう」
肌を啄ばむアレシオが囁く。
「どこまでも……」
本当にそうなれたら、どんなにいいだろうとシリスは思った。
死は怖くない。怖いのはアレシオと離れることだった。あのときさえ、死を予感したときさえ、心の中に残るのはアレシオのことだった。
指で体の中を掻き回されて、不快にさえ感じていた熱が癒されていく。
「欲しい、アレシオさま……」
シリスは自分から体を開いた。体を満たすものが、愉悦に導いてくれるものが欲しい。それをもらえるならば、どんな罰が下されてもいいと今は思う。
「好きだよ」
心地よい囁きを聞きながら体を揺らされて、このまま消えてしまってもいいとシリスは思った。愛しい人と繋がったまま、永遠があるのならその中を漂っていた
い。
高まる熱が弾けて、余韻の後、体は安らぎを取り戻していた。
「シリス」
アレシオが額にキスを落とす。
「表情が優しくなったね」
アレシオが口元を緩めて髪を優しく撫でてくれる。
シリスの意識は眠りの中へ落ちていきそうだった。
「アレシオさま……」
腕をアレシオの体に回して、重たいまぶたは我慢できずに閉じてくる。
好き――――そう言ったつもりだったけれど、声がでていたかは分からなかった。
どこまでも。落ちていく意識の中でシリスはそう続けた。