アレシオはもう一度森へ行き、後始末をして急いで戻った。
シリスは動けないだろうとは思っていた。けれど、そのまま息が止まっていたらと思うと落ち着かない。早く帰ってシリスの顔が見たかった。痛々しいほどに痩
せてしまって見ていたら心が痛むばかりだけれど、守れるのは自分しかいなかった。
シリスの身代わりを置いてくることは思っていたより大仕事で、それでも、シリスと居たいと思うならば、やらねばいけないことだった。
部屋に戻って、ベッドを覗いて、シリスがいることを確認すると、アレシオはシャワー室へ飛び込んだ。泥や血がこびりつき、生ものが腐ったような異臭さえ感
じる。シャワー栓をひねりお湯を出すと、全身に浴びて、何回も何回も体を洗った。
罪を重ねても、どんな罰を受けたとしても、シリスを守る。そう決心したのは、草の上に横たわるシリスの姿を見たときだった。
シリスがいなくなってから、片時も忘れはしなかった。けれど、自分の立場を考えれば道を外すことが許されるはずはない。そう思うと何もできずにいた。
けれど、雨音を聞いて、いてもたってもいられなくなった。空から落ちてくる冷たい雨はシリスの体を打ち付けているはずだった。シリスは何も悪くない。悪い
のは自分なのに、すべての罪をシリスに押し付けてのうのうと生きている自分が許せなかった。頭が痛いとハービィに言い、足は森へ向かっていた。
汚れは湯に流されても罪は消えない。それは分かっていた。
今、シリスが傍にいる。それだけで、何でもできる気がした。いや、しなきゃいけなかった。
体を拭くと、まっすぐシリスが寝ているベッドへ向かった。ゆっくりとシリスが目を開けるのを見て胸を撫で下ろした。
「アレシオさま……」
シリスが小さな、不安そうな声をだす。
「何も言わないで、もう心配することは何もないから」
アレシオはシリスの頬を撫でた。しっとりと艶があった肌はかさついていた。アレシオは自分の体をベッドへ滑り込ませるとシリスを抱きしめた。布団の中で暖
められていたはずなのに、シリスの体は冷たかった。
「大丈夫だよ、シリス」
アレシオはぎゅっとシリスを抱き込んだ。自分の体温をすべて取られてもいいと思った。すべてをあげるから、ただ生きていて欲しいと思った。
こつこつと扉の叩かれる音に、アレシオははっと起き上がった。部屋の中は明るく、太陽が昇ってからだいぶ時間が経っていることを示していた。シリスを抱き
ながら、うつらうつらと夜を過ごした。触れるシリスの肌が暖かくなっていること
に、安堵のため息を零し、アレシオはベッドを抜けると天蓋の布を閉めた。
「アレシオさま、お食事をお持ちしました」
扉の向こうから侍女のマーシャの声がした。
母より少し若いとはいえ、アレシオからすればマーシャは母のような存在だった。幼い頃から身の回りの世話をしてくれたのはマーシャだった。
「入って」
ひとつの決心を持って、アレシオはマーシャを招き入れた。
「体の具合が悪いとのことでしたので、こちらへお持ちしたのですが、皆様とご一緒に食事をされますか? 」
扉を開けたマーシャはワゴンを引いていた。
「ありがとう。部屋にするよ。まだ体がだるいんだ」
それはなまじ嘘ではなかった。
「分かりました」
マーシャはワゴンをテーブルの横へつけると、上にかけられていたシートを取ろうとした。
「待って、マーシャ。お願いがあるんだ」
頼むことができるのはマーシャしかいなかった。
アレシオはマーシャに近づくと耳元で囁いた。
しばらくの間部屋で食事をすること、柔らかい消化のよいものをもう一人分作って欲しいこと。
「それは? 」
怪訝そうな顔をしたマーシャにアレシオは口元で人差し指を立てた。シリスに余計な心配をかけたくはなかった。
「何か言われたら僕の命令だと言って。僕が全部責任を取るから」
アレシオが小声で言うと、マーシャは眉根を寄せ視線を伏せた。
「マーシャ……」
お願いだよ、そう言おうとして、アレシオはやめた。自分が責任をとる。そんなことを言っても、マーシャに累がかからないとは言い切れない。自分はすべてを
取り仕切れる立場にはない。
「どなたかがいらっしゃる、ということですか? 」
マーシャが不審そうな声をだす。その問いにアレシオは答えられなかった。
「不審な者をアレシオさまのお近くに置くということは、認められることではありません」
続けたマーシャの言葉は当然だと思う。
「不審な者なんかじゃない……」
それは大切な人だ。
「わたくしの知る方ですか? 」
マーシャの問いかけを逃れることはできないとアレシオは思った。
「誰にも言わないと約束してくれる? 」
守るとは言っても自分ひとりでは何もできない。自分も周囲から守られている。
「わたくしが納得できる方でしたら」
マーシャの言葉に、アレシオはごくりと喉を鳴らした。
「シリス、だよ」
アレシオは顔を伏せると小さな声で答えた。
「……シリスさまは――――」
マーシャは言いかけた言葉を噤んだ。
「今、どこに? 」
そして、声を落として訊く。
言ってしまった以上、無視することはできなくて、アレシオは視線でベッドを示した。すると、マーシャはすぐベッドの方へ身を翻した。
止めることはできなくて、言い訳をすることができるはずもなく、アレシオはただ立ち尽くしていた。天蓋の布を少しあけ中をちらっと見ただけでマーシャはア
レシオの方へ戻ってきた。
「お言いつけのものすぐにご用意します」
アレシオに向かって言うと、マーシャは部屋を出て行こうとした。
「待って、マーシャ――――」
もしも誰かにこのことを告げられたら困る。秘密を守る最善の方法は口に出さないことだ。それができないのならば、せめて最小限に抑えなければいけない。
「理由がおありのようですので、他言は致しません」
扉に手をかけていたマーシャは軽くアレシオに頭を下げると部屋を出て行った。
パタンと小さな扉の音がして、ふっとアレシオは力が抜けた。意識はしていなかったけれど、肩に力が入っていたらしい。部屋を出ていったマーシャの背中が残
像のように瞳に残っていた。一人で背負い込むつもりでいたのに、味方ができたようで嬉しかった。
「ありがとう、マーシャ」
アレシオは口の中で呟いた。