絶対――――そうシリスは言ったのに、アレシオに届いたのは相反する知らせだった。
父である王の部屋へ呼ばれ、王を囲むようにヒューとハービィが立っていて、アレシオが王に跪くと口を開いたのはヒューだった。
「シリスは修養に行きましたのでしばらく会うことはできません。アレシオさまにくれぐれもご自愛くださいとのことでした」
――え?
そんな話は欠片もアレシオは聞いてはいなかった。
何か一言あってもいいはずだった。
「どこへ? 」
なぜ何も言わずに? ―――― 疑問しかできてこない。
「聖なる森へ」
ヒューが答える。
それは、この島で一番高い山の裾野に広がる王宮の奥にあり自然のまま残された森だった。
「どうして? 」
「体を清めるために、です」
「清める? 」
「あなたの気を消し去るためですよ、アレシオさま。お心当たりがおありでしょう? 」
ヒューが意味ありげな顔をした。
「どういうこと? 僕には分からないよ」
何が起こっているのか分からない。
外した天気も、会いたくないという理由も、なぜ突然姿を消すように行ってしまったのかも。
ヒューはおおげさにため息をついた。
「シリスと交わりましたね。それで、シリスは先を読む力を失ってしまいました」
――――え?
アレシオはしばらく声を出せなかった。
「……なぜ? なんで、そんなこと……交わることで神官の力は強くなると書いてあったよ」
何度も確かめた。それは確かだ。
「どこに書いてあったのですか? 」
今までは何も言わなかったハービィが厳しい視線を向けてくる。
「王神書に……」
その本をシリスはそう言っていた。
「それを、どこで? 」
ハービィが眉をひそめた。
「シリスの庵まで行く木立の中にある小屋の中で……偶然見つけたんだ。書庫みたいだった」
天井まである書棚に本が隙間なく並んでいた。
ハービィは大きく息をついた。
「だから、交わることの意味を訊いてきたのですね」
本を見つけてすぐの時だった。あの頃、アレシオは分からないことはすぐにハービィに訊いていた。
「意味を知りたかったんだ」
神官の力を強めることができるということはシリスの力になることができる。そう思った。
「まだ早いとは思いましたが、あなたが交わるべき人はクレアさまであり、夜伽の相手が欲しいのならばそれなりの人を用意しますからお申し付けくださいと申 し上げたはずです」
「そんなんじゃないっ!」
手で拳を握りアレシオは叫んだ。
シリスを夜伽の相手だと思ったわけじゃない。シリスを欲しいと思った。けれど、それだけじゃない。シリスの力になれるとそう信じていた。
「では、王としての義務感で抱いたとおっしゃるのですか? 何も感じなかったと、ほんの欠片も欲望もなかったと」
ハービィに問い詰められて、アレシオは答えることができなかった。
シリスの力になれる――――それは都合の良い理由だ。それは自分がよく分かっていた。
義務感?
そんなものは無かった。
何も感じなかった? 
今まで感じたことのない快感をシリスはもたらしてくれた。
ほんの欠片の欲望?
欠片どころか、欲しくて欲しくてシリスのすべてを自分のものにしたかった。
「とにかく」
ヒューが声を出した。
「失ってしまった力を取り戻さなければ、シリスは神官としてその命を果たすことはできません。その力を取り戻すために、シリスは森へ行きました。あなたを 忘れて、清浄な感覚を取り戻すためです。そのことに異議がありますか? 」
――――忘れて?
「……あるよ。シリスは僕の神官だよ。なんで僕に何も言わずにそんな命令がだせるの? おかしいよ。僕はシリスを呼び戻しに――――」
「シリスが望んだことだとしてもですか? 」
――――望んだ?
「それでも、僕はシリスが行く前にその話を聞く権利があったはずだ。それをしていないんだから、こんなのは無効だよ」
聖なる森。そこはほとんど人の手が入っていない。迂闊に入り込めば獣の餌食になってしまう。自然の気を一番感じられるところとして神官の修養の場のひとつ になっ ていることは知っていたけれど、そこで修養したという神官をアレシオは知らなかった。
早くシリスを連れ戻しに行かないといけない、獣にいつ襲われてしまうかも分からない。
「王が下した決定をあなたが覆すというのですか? 」
「それは……」
王には誰も逆らうことはできない。それはひとつのルールであり、守られてこそ秩序をもたらす。それは次に王になることが決められているアレシオであっても 同じことだった。
「あなたの神官であるシリスですが、望んだことを王が承認した。そこにあなたが入る隙はありません」
「でも、ヒュー。シリスは僕の神官なんだ。シリスのことは僕が考えて僕が決定を下すよ」
「その結果、シリスは力を失ったのです」
ヒューの言葉に、アレシオは反論ができなかった。
しばらく沈黙が流れた。どうしたらシリスを助けだせるのだろう、その言葉がアレシオの頭では回っていた。
「でも……でも、聖なる森は危険なところだと聞くよ。獣にいつ襲われるかもしれない」
いつシリスが発ったのかは分からない。けれど、一分でも一秒でも早い方がいいことは確かだ。策を考えている時間も実行する時間もない。
「獣は神官としての力があるものを襲いません」
「そんなの分からないじゃないかっ」
誰がそんなことを言い切れるのか。試したものがいるとも思えなかった。
「あなたが読んだといわれている古文書に書かれていることです。本に書かれていることならば信じられる。そうですね? 」
ヒューの言葉にアレシオは息を呑んだ。
「それとも、ご自分の都合の良いことだけ信じる、とおっしゃるつもりですか? 」
ヒューが続けた。
何かを言葉にし、真実を知る度にアレシオの望みは失われていくようだった。唇を噛み、それでもシリスを助けられる方法はないかとアレシオは思った。
「でも、交わったことでシリスの力が失われたとしたら、事実として本の記述はあっていないことになるよ」
それはアレシオにとって、自分のしたことを否定する言葉だった。けれど、今はなによりシリスを助けることが先だった。
「シリスは力自体を失ったわけではありません」
――――え?
「じゃあ」
ひとつの光が見えた気がした。
「神官は幼い頃より神経を研ぎ澄ます訓練をしています。ですから、普通の人よりはるかに与えられる刺激に敏感になっているのです。交わることにより、体は 新たな愉悦を体に感じます。それにより、今まで眠っていた神経を呼び覚ますことができます。それは神官の力を強くすることでもあります。けれど、体も精神 も未熟な場合はその愉悦に体が縛られてしまうこともあります。体がそれ以外のものを受け付けなくなるのです。シリスの場合がそうです。シリスは言っていま した。アレシオさま、あなたのことしか感じることができないと」
アレシオは胸が痛くなった。すべての原因は自分にある。
「じゃあ、どうすればいい? どうすればシリスの力は戻る? 僕ができることならなんでもするよ。だから、だから、シリスを……」
今すぐ危険な森から救い出したい。シリスが無事でいられるのなら、何でも、どんな罰でも受ける。本気でそう思った。
「何か誤解をされていませんか? 」
「え? 」
「シリスは自分の力を取り戻すために聖なる森へ入ったのです。そう最初に申し上げたはずです」
「でも、聖なる森は」
命の危険さえ感じる。
「それほど重大なことなのです。あなたの気を絶ち、尚、体の中に残るあなたから受けたものをすべてを消さなければ、シリスは力を取り戻すことはできませ ん。清浄な空気を体にうけ、清めるしか方法はありません」
――消し清める?
「どれくらい? どれくらいかかるものなの? 」
「分かりません。できるものかどうかも分かりません」
「なら! 分からないのなら、そんな危険なことはやめだよ」
そんな危険な場所にシリスを置いておきたくはない。
「万に一つの可能性があるのなら、とシリスは言っていました。神官の修養を積み、その上で交わりをもったものの過去の事例は悲惨なものばかりです。麻薬の ように愉悦に体を 蝕まれ精神崩壊まできたしたもの、自己矛盾に苦しみ自ら命を絶ったもの、相手に依存するあまり殺されたもの、……ですから、シリスには交わりは行うもので はないと教えてきました。シリスはその禁を破ったことを自覚しています。シリスはもうあなたに会うことはできないことも覚悟していました」
アレシオは背筋がぞっとした。
「何言ってるの、ヒュー。それはどういうこと? 」
想像さえしたくないことがアレシオの頭の中で回っていた。
「神官はシリスでなくても勤めることができます」
「王に神官は一人のはずだよ。僕はシリスしか考えられない。それはもう何度も言ったことだよ」
何度も何度も願って、やっと叶ったことだ。ずっと欲しいと思っていたシリスを腕に抱いたのはついこの間のことだった。
「神官が命を落としたならば、新たな神官を命じることができます」
――ばかな!
それは絶対にあっては欲しくないことだった。アレシオは何度もかぶりを振った。
「あなたは、次に王となるものとして神官を指名する義務があります。それは義務です」
「シリスは戻ってくるよ……」
それ以外を考えたくはない。
「ひとつだけ言っておきます」
ヒューは言葉を区切った。
「国のためだけじゃない。あなたの気を消せないままシリスが戻れば、苦しむのはシリスです。あなたのためにとずっと修養を重ねてきたシリスにとって、きっ と今あなたが思う以上の苦しみをシリスは味わっています。力が戻れば何よりそれが一番よいことには違いありません。けれど、最期まであなたのためにと、あ なたを傷つ けることなく自らの道を選んだことを誉めて見守ってあげていただけませんか? あなたの気持ちはきっとシリスに届きます。あなたのその一言でシリスは安ら かに眠ることができます」
ヒューの言葉はシリスがもう戻らないことを暗示していた。
「アレシオ」
今まで沈黙を守っていた王が口を開いた。
「もういいだろう。シリスが望んでいるのは、何よりお前が王として皆に慕われることだ。そのためにシリスが決心したことをお前が無意味なものにしないこと だけを私は望んでいる。シリスはお前に出会えて幸せだったと言っていた。お前が認めてやることがシリスが一番喜ぶことだと私も思う」
「私もそう思います」
ハービィが王の言葉を受けるように言った。
「あなたへの教育を任されている者として、王神書に書かれていることをお教えしなかったのは、まだ機が熟していないと考えていたからです。まさか、アレシ オさまの目に触れているとは思いませんでした。そこまで考えがいたらなかったことに反省はつきません。けれど、もし、あなたがまだ私の言葉を聞き入れてく れるならば、シリスを誉めてやってください。今のシリスには一番の救いになるはずです」
「シリスは……」
戻ってくる――――そう言いたかったのに、アレシオは声にだせなかった。
「……今、どこに?」
いつ発ったのだろう。何も知らず、見送ることもできなかった。
「森の入り口までシリスを送っていったパリスがさきほど帰ってきました。シリスは一度深く頭を下げて、森の中へ入っていったそうです」
ヒューの答えに深く頭をさげるシリスの姿が浮かんでアレシオは胸が潰れそうになった。立っていられなくて、体は膝から崩れ落ちた。

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