雲ひとつ無く晴れ渡っていた空が突然暗くなり、大きな雨粒が落ちてきたのは正午を少し回った頃だった。 空は暗く、部屋の中まで雨音が響いていた。
向かい合うハービィの声はアレシオの耳を通り過ぎていった。アレシオの頭の中はシリスのことしかなかった。今朝、今日は晴れるとシリスは言っていた。
何でも良かった。ただシリスの声が聞きたくて、出てきた言葉だった。それが、こんな不安な気持ちにさせる原因になるとは思っていなかった。
今まで、シリスの予想する天候は外れたことがないと聞いていた。
教育係であるヒューが教えることはもうないと言っていた。これほど早い時期に神官として認められたのはシリスの力を誰もが認めていたからだ。父の神官であ るパリスさえシリスには目をかけていた。意見を聞くことも多々あったと聞く。
ただの一度、それも急激に変わった天気を予想するのは難しかったのかもしれない。それだけで、シリスの力を疑ってはいけないと思う。
けれど、アレシオは何か嫌なものを感じていた。
「……シオさま?」
掛けられた声にハービィを見ると、ハービィは呆れ顔で腕を組んでいた。
「お約束を忘れたのですか?」
ため息まじりに非難するような声を出す。
「忘れていないよ。だから、こうして大人しく座っているでしょう」
アレシオはハービィに抗議した。
いつもなら、ハービィの言葉を先取りし、もうカリキュラムは終えている時間だ。
「聞いていただけないのなら同じことです。昨日の今日ですよ。もう少し誠意を見せては下さいませんか?」
ハービィがため息まじりにぼやく。
「ねえ、ハービィ。パリスは今日の天気をどう予測していた? 」
アレシオはどうしてもこの雨が気になった。
「昨日から雨だと予想していらっしゃいましたよ。朝空を見たときは、本当に雨が降るのだろうかという気もありましたが、言われる通り、昼過ぎには雨が落ち てきて。信じてはおりましたが」
「そう……」
アレシオの胸の中で言い知れぬ不安が形になっていく。
「以前から大きく外されることはありませんでしたが、シリスさまの意見を聞くようになって、更に正確になったと聞いております」
「シリスが? 」
外したことはないとアレシオは聞いていた。
「黒髪に精霊が宿っているのではないかと言う者もおります。そのシリスさまを神官にお迎えしたのですから、アレシオさまも心していただかねば」
――――心して……
「うん。そう思っているよ」
シリスはきっと大きな力に、支えに、なってくれる。だから自分もシリスにふさわしい王にならなければいけない。
ただ、今はシリスに早く会いたいと思った。不安な気持ちを和らげて欲しい。けれどハービィの講義の後、謁見が入っていて、約束した夜にならなければ会えな い。きっとシリスに会えば、いつもの穏やかな笑顔を見れば、不安は消えていくだろう。きっとシリスは納得がいく答えをだしてくれるはずだと思う。なのに、 今すぐその思いが叶わないことに、アレシオはじりじりとした焦りを胸の中で感じていた。

謁見の途中、ほんの少しの休憩の時に、アレシオは一枚のメモを侍女から渡された。誰からだろうとメモを開いて、アレシオは呆然とした。
シリスからのメモは今日の約束は守れないと書いてあった。
――――なぜ?
早く会いたいと思う気持ちに逆らうようなメモの内容に、アレシオの不安は大きくなっていった。
なぜ? その疑問しか浮かばない。
休憩が終わり、王の隣に並び話を聞いていても、それは形だけで、目の前で口を動かす人の声は右から左へ素通りしていった。
居ても立ってもいられなかった。
謁見が終わると、アレシオは王に呼ばれた声を無視して広間を出た。
――――なぜ?
疑問しか浮かばない。
予想が外れた天気と約束を守れないと書いてあったメモが無関係だとは思えなかった。
もし、そのことを気にしているのならば、気にすることはないと伝えたい。何があってもシリスに対する気持ちは変わらないと伝えたい。
王宮の廊下を走り抜け、アレシオは木立の中をシリスがいる庵まで走った。西へだいぶ傾いた太陽が照らす木立は影を落とし足元は暗かったそれでも一分でも一 秒でも早くシリスに会いたかった。いつもの穏やかな笑顔を見て安心した かった。
庵の入り口で足を止めると、アレシオの息は声が出せないくらい荒かった。あせる気持ちは少し息を整えると足を前に出す。門を入りシリスの庵へ行こうとして アレシオは足が止まった。いつもは開い ているシリスの庵の扉が 閉まっていた。
空気の流れを読むために、夜寝るとき以外は天気の悪いときでも開けているという木の扉が堅く閉ざされている。
他の庵ではいつものように扉を開け、神官としての修養を積もうとするものが静かに座している。
この場を乱してはいけないことは知っていた。だから、シリスを見るために以前は庵の外にある木に登っていた。
けれど、今シリスに会うためには閉ざされた扉を叩かなければいけない。
アレシオはゆっくり息を吐くと、シリスの庵へ近づいた。
シリスの庵の前に立ったとき、
「アレシオさま」
背後から声をかけられた。
「ヒュー」
振り向くと、シリスの教育係であるヒューが立っていた。
「謁見はもう済んだのですか? 」
ヒューの問いかけにアレシオは頷いた。
「では、こちらへ」
ヒューがアレシオを促す。
アレシオはシリスの庵に一度視線を向け、変わらない扉を確かめるとヒューの後ろについて歩いた。

庵の門を出て少し歩くとヒューは立ち止まり振り返った。同じ距離を保ったままアレシオも立ち止まった。
「シリスに会いたいんだ」
先に声を出したのはアレシオだった。すぐにでも、庵も扉を叩きシリスの声を聞きたいとアレシオは思っていた。
「少し時間をいただけませんか? 」
「なぜ? 」
神官として召抱えたのだから、誰にも遠慮はしなくてよいはずだった。
「シリスは少し神経質になっているようです。しっかりしているとは言ってもまだ子供です。自分の責任の重さを今までより、より重く感じてしまっているので しょう」
「大丈夫だよ。僕が……僕がシリスは守る」
誰よりも大切で、誰よりも傍にいて欲しい人だった。
ヒューは小さく息を吐いた。
「あなたもまだ子供です。シリスを受け止めることは無理です。やはりまだ早かったのかもしれません」
「そんなことないよ!」
アレシオは脇に落としていた手をぎゅっと握りしめた。
自分を子供だと認めたくはない。何があってもシリスを守っていくと思うのは本心だった。早くと望んだのは自分だ。望んだ以上果たさなければいけない 責任は分かっているつもりだった。
「シリスが会いたくないと言っているのです。誰にも会いたくないと。怯えたような顔をして」
「怯えてる? 」
シリスがマイナスの感情を表に出した顔をアレシオは知らない。
「自分の感情を、特にマイナスのものは表には出さないように教えています。シリスもその教えをずっと今まで守ってきました。幼い頃から、ずっとです。その シリスが自分から何かを 願うことは初めてのことです。だから、どうかお聞き届け下さい」
「でも……」
アレシオは引きたくはなかった。ただひと目顔を見て、一言声を聞くだけでもいい。今胸の中にある不安を少しでも軽くして欲しい。
「あなたが子供でないというなら、我慢することも大切なことです。……二日後にある春祭りの日取りを決めるために行われる式には出席させます。神官として 任命された以上、それはりっぱな仕事ですから。ですから、どうかそれまでシリスを私にお預けください」
ヒューがアレシオに頭を下げた。
「二日後? 」
「はい」
頭を下げたまま、ヒューが答える。
子供でないと言うなら――――そう言ったヒューの言葉がアレシオの頭の中を過ぎっていった。
「分かったよ……じゃあ、僕からの伝言は伝えてくれる? 」
会えないのなら、せめて言葉だけでも伝えたい。
「分かりました」
「何があっても僕の気持ちは変わらないと、そうシリスに伝えて」
「承知しました」
ヒューが更に深く頭を下げる。
アレシオは一度シリスの庵の方へ振り返った。
――――僕は待っているから
アレシオは風に伝えて欲しいと願いをかけて、心の中で呟いた。
「では、ヒュー、シリスのことを……よろしくお願いします」
シリスのためにもわがままばかり言っている子供であってはいけない。
「分かりました」
応えるヒューの言葉を聞いて、アレシオは振り切るようにシリスの庵とは反対の方向へ足を向けた。

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