神王の契りが行われる日の朝から、いや前の夜から、いや、もう少し前からだったかもしれない。アレシオはとにかく 落ち着かなかった。ハービィに言わせたら、落ち着かないのは生ま れ たときからだと言われるかもしれない。
でも、アレシオの中では違っている。
以前から落ち着きがなかったわけじゃない。大人しく話を聞くことは苦手だったかもしれない。くどくどとした説明が嫌いだった。少し聞けば先が読めた。結論 が分かっているものに、その結論がでてくるまで大人しくしていることがじれったかった。
けれど、この頃は何をしていても、足が地についていないようで、気持ちもなんかふわふわして、自分で自分を捕まえていられない。

理由は分かっている。
やっと、シリスを自分の神官としてたてることを認められたからだ。
一週間に一度、ほんの少しの時間しか会うことは許されなかった。シリスと会う時間を作る代わりに神官の居住区である庵に近づくことは禁じられた。ただ見て い るだけより、話をできること、触れられることを選んだ。自分を見て微笑んでくれる、それだけで幸せな気持ちになれた。
神官として認められれば、いつでも会うことができる。傍にずっといてもらうことができる。それをずっとアレシオは望んでいた。神官はシリスしか考えられな いから、許される十五歳になった時にと散々王に願い出た。それは拒まれ、それから一年経ち、自分としては十分過ぎるほど待ったと思う。
その代わり、また少し自由を失った。
今まではその日のカリキュラムを終えれば、その後は時間を自由に使えた。シリスと出会ってからはシリスをずっと見ていた。シリスに会うことができなくな り、もてあました時間で王宮を出て遊びに行くことも あった。馬で野や山をかけ、夏は海で泳いだ。
それはできなくなった。
神官をたてるのならば、王になるものの自覚を持ち、その有り様も国民から尊ばれるものでなければいけないと言い渡された。
具体的には、カリキュラムが増やされ、王と共に謁見に出、閣議にもオブザーバーとして参加する。
ほとんど自由といえる時間はなくなる。
それでも、と望んだ。思うだけで苦しくなる人にいつも手の届くところに居て欲しいと思った。
その願いがやっと叶う。
神王の契りが終われば、シリスは自分の神官となる。そう思うと、浮き足立つ自分を抑えられなかった。自分の血から作った石をはめたピアスを耳に差したとき から、シリスは自分のものになる。
そして、自分の手でそのピアスをシリスにつけることができた。


遅い――――そう思って、ドアをまで行き思いなおしてまたテーブルまで戻る。アレシオはもう何度も同じことを繰り返していた。
式のときに、今晩部屋へ来るように伝えた。それは伝わっているはずだ。声をかけたとき、シリスの体がぴくりと震えていた。
今日の予定は式だけのはずだ。
誕生日の祝いも兼ねた会食が終わって、来賓の挨拶を聞いて、会場を引けてから三時間以上が経っていた。一度庵へ戻ったとしても、一時間もあれば来れるはず だ。何か準備があるのかもしれない。それにしても、時間が掛かりすぎだと思う。
ヒューに何か言われているのだろうか。誰かに足止めをされているのだろうか。それも自分に呼ばれていると言えば留められはしないはずだ。
どこかで――――また、以前のように動けなくなっていたりはしないのだろうか。不安が胸に起こる。
行き違いになったら、そう思って何度も思いとどまっていたけれど、我慢できなくなって、アレシオはドアを開けた。
ドアの前に立っていたのは、ずっと待ち焦がれていたその人だった。



アレシオは紅茶を入れたカップをテーブルのシリスの前に置いた。かちゃっとカップと皿がこすれあう音がした。
普段自分でお茶を入れることはない。けれど、今日は自分はもう休むから下がってよいことを侍女らに告げていた。
「初めて入れたものだから、味はわからないけれど」
アレシオはシリスに向かって言った。
正直に言えば初めてじゃない。他人に出すために入れたのは初めてだけれど。
シリスは軽く頭を下げると、さらりと落ちる髪をかきあげて、それからカップを手に取った。手の動きひとつとっても優雅に感じた。きれいに切りそろえられた 黒髪は艶やかでとても高貴なものに思えた。
「おいしい……」
呟くようにシリスが言った言葉にアレシオは安堵した。
左耳に深い緑色をした石が光っている。それは自分の神官たる証だった。

「今日は疲れた? 」
アレシオはシリスの隣に腰を下ろすと、声をかけた。
「いいえ、それほどでは」
濁りがなく透き通っているような声が答える。
「今晩は……その、一緒にいられる? 」
放すつもりは無かったけれど、一応訊ねた。王と神官の繋がりは強くなければいけないと言われる。けれどその関係は一方的なものだ。神官には受けるか否かの 選択の余地はない。ことにシリスは自分から神官を志願したわけじゃない。たとえば、アレシオが別の者を指名すれば、シリスは外へ、自由な世界へ出ることも できた。
「アレシオさまがお望みならば」
穏やかな声と表情からは本音が読み取れない。
どんなに好意を示しても、シリスは変わらなかった。怒りっぽい神官とか笑い上戸な神官とかを聞いたことはない。職業柄感情をあまり表には出さないだろう と想像はできる。父である現王の神官パドラもいつも穏やかな顔をしていた。
「僕が望めば、何でも応えてくれるの? 」
指し示すものはひとつだった。
シリスは一度目を閉じて、ゆっくり深呼吸をすると、アレシオに視線を合わせてきた。
「はい。何でも」
見つめてくるブラウンの瞳は透き通っていた。
アレシオは立ち上がると、シリスを抱き込んだ。
「じゃあ、僕のものになって」
シリスの耳元で囁いた。
さらりとした髪が手から零れて逃げていきそうに思えた。
「僕だけのものに」
髪の中に手を差し入れて、背中へ腕を回した。
「望むままに……私はずっとアレシオさまをお慕いしておりました」
胸を熱くする声が風になって流れてくる。アレシオがずっと望んでいた言葉は、心の奥へすとんと落ちていった。

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