ノックの音がした。
続いてドアが開くと、侍女が顔を出す。
「用意はできましたか? 」
穏やかな笑顔をたたえながら侍女が声をかけてくる。
「はい」
シリスは軽く頭を下げ、侍女へ返事を返した。

十六歳の誕生日、この日に神王の契りをかわすと決められたのは三ヶ月前だった。その日からシリスは準備をすすめてきた。
神官として認められるのは十五歳を過ぎてからと決められている。体も精神も幼いために生涯神官として勤められるかどうか見極めることができないからという のが理由だった。それでも、まだ育ちきっていない体は未知数が多く、成熟する二十歳を過ぎてから行われるのが常ではあった。
それでもと望んだのはアレシオだった。
シリスはアレシオの好意を感じていた。そして自分もアレシオに好意を抱いていた。子供のころ毎日欠かさず、木の上から見下ろす視線を温かく感じていた。触 れた手も唇 も温かかった。異例だと言われながら会う時間ができ、会うごとに好意は膨らんでいった。
生まれたときから、この方の神官としてお勤めするのだと教えられ、その人を知り更にその思いを固くした。この人のお役に立つために、今まで生きてきた時間 を全て使ってきた。
その夢とまで思ったことが今日叶う。

シリスは身につけている服に手で触れた。
艶やかなアイボリー色の裾の長い衣装はアレシオが贈ってくれたものだった。最高級の布地を使っていると聞いた。硬いように見えて触ると柔ら かく、肌につけるとすぐに馴染んだ。
あの方が用意してくれたものだと思うと、それだけで胸が熱くなった。今までは週に一回会うことが許されただけだった。これからは違う。誰に断ることもなく 会うことができるようになる。
現国王が在命の今、自分の力を使うことはあまりないけれど、アレシオが国王となった時力になれるように、さらに自分の力を磨かなければいけないとシリスは 思っていた。

「では、参りましょうか。皆様はもうお席についていらっしゃいます」
侍女がドアを更に開け促す。
「はい」
シリスは返事をすると、侍女の前に進んだ。


大広間のドアが開かれると、シリスは喉をごくりと鳴らした。
赤いカーペットが引かれ両脇を兵士と臣下が隙間無く並ぶ。その先に数段の階段があり上の玉座には王と王妃の姿が見えた。そして、王の斜め前に、春の日差し のような暖かい笑顔があった。
一歩一歩、ゆっくりシリスは玉座へ向かった。そして、階段の手前で膝をつくと、頭をたれた。
「シリス、その方の話はヒューからよく聞いている。昨年の大漁はそなたが助言したものと聞くし、その前の年は嵐を予測したそうだな」
王の言葉にシリスは更に頭をたれた。背中を覆うまで伸びた黒髪がさらりと前に落ちる。
「ありがとうございます。アレシオさまのために更に精進したいと思っております」
そのために、自分は生きているといって過言ではない。
「それは頼もしい。頼んだぞ」
「はい」
シリスは一度顔をあげ、もう一度深く頭を下げた。そして目を閉じるとゆっくり息を整えた。
「では、アレシオ」
「はい」
王の呼びかけに、愛しい人の声が聞こえた。
近づいてくる足音とともに、心臓がどきどきと弾みだす。心を悟られてはいけない。冷静でいなくてはいけない。シリスはそう頭の中で繰り返した。
「シリス、顔をあげて」
囁くような声に、はっとしてシリスは顔をあげた。
目の前にはアレシオの顔があった。
「痛いかもしれないけど、我慢してね」
心配そうな瞳が見つめていて、シリスは思わずかぶりを振った。
「大丈夫です。アレシオさま」
神官に選ぶ権利はない。選ばれたことを拒む権利もない。
アレシオの前にトレーが差し出されて、その上に置いてあるものをアレシオは手に取った。シリスは髪を掻き揚げて耳にかけ静かに目を閉じた。
神官の印として心臓に近い左側の耳にピアスをつけることになっている。そのピアスには主人となるものの血から作られた石がはめ込まれている。
神官が主人である人を裏切ったとき、石は弾けて体の中へ入り込み制裁をくわえると言う。
そのピアスもトレーの上に載せられていた。同じものは二つとできないといわれるその石は深い緑色をしていた。

耳がひんやりと湿ったもので拭われた後、ちくっと痛みを感じた。しびれるような痛みがじわっと広がって、それを抑えるように柔らかい布のようなもので押さ えられた。
「大丈夫? 」
アレシオに優しく聞かれて、
「はい」
シリスは静かに答えた。
布を取られた後、耳に通されるものがあることを感じた。
目を開けると、アレシオは少し緊張したような顔をしていた。そして、アレシオは屈んでシリスに近づきそっと耳打ちした。
「今晩、僕の部屋へ来て」
アレシオの息が耳にかかり、シリスの体はぴくっとはねた。


シリスはアレシオの部屋の前で突っ立っていた。ここに来て、もうどれほどの時間になるか分からない。
今晩部屋へ来て――――そうアレシオから言われていた。神官となった今、主人であるアレシオに背くことはできない。もともと、シリスはアレシオに背く気は ない。
けれど、このドアを開けていいのかどうかシリスは迷っていた。
初めて手を繋いで庵を抜け出したとき、入った小屋の中で見つけた本があった。その本を、それから何度か二人で読んだ。
時が経ち分かったことはわずかだった。
交わることにより王と神官の繋がりが深まる――――その言葉だけ、少しだけ習った古文字を組み合わせて読むことができた。後はところどころの単語が少しわ かる程度で、文として理解できなかった。
交わることで王との繋がりが深まり神官の能力があがると確かに本には書かれていた。けれど、自分が幼い頃から教えられていたことは違う。確かに気力に影響 を及ぼすものらしい。 けれど、それが良いことだとは思えられていない。
始めは、交わることの意味が分からなかった。月日を重ね、今はその言葉の意味が分かる。
今までは週に一度、わずかな時間しか会うことは許されなかった。神官として指名された今、いつでもアレシオはシリスを呼ぶことができる。それを、隠すよう に囁いて、夜を指定 してきた意図は一つしかないようにシリスには思えた。
望まれれば拒むことはできないだろうと思う。
けれど、それでは、幼い頃からの教えに背くことになる。
このドアを開ければ、その先にアレシオがいて、自分が選ぶことができるのはドアを開けるか否だ。
――――アレシオさま
シリスが脳裏にアレシオを描き出したとき、ドアが突然開き脳裏に描いていた顔が目の前に現れた。
栗色の柔らかな髪が肩先にウェーブを持っている。大きい瞳にすっと通った鼻を持ち、薄くも厚くもないきれいな桜色をした唇がある。肌は透き通るような透明 感をもっていた。
ただでさえ大きな瞳が零れそうなほど更に大きくなって目の前に立ちふさがる。

「シリス!」
驚きを見せていた表情が変わり、いつもの暖かい笑顔になった。
「良かった。あんまり遅いから向かえに行くところだったんだ」
声も出せずにいるシリスの手を取ると、アレシオは部屋の中へ引き込もうとする。この人を拒むことはできないと、シリスは足を前へ出した。


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