扉がノックされた音で、ジュデは意識が戻った。
いつの間にか寝ていたらしい。部屋の入り口へ視線を向けると、ナオトが誰かと話をしている。
「え?」
ナオトが珍しく大きな声をあげた。
何かがあったのかと、ジュデはベッドを降りて、ナオトに近づいた。

扉の向こうにはテリウスが居た。ジュデに気が付いたテリウスが頭を下げ、つられるように、ナオトが振り向いた。
「ジュデさま」
「起きられたのならば、向こうで話を」
テリウスが視線で居間を示す。
「そうですね」
ナオトが答えた。

部屋の中央におかれているテーブルで、テリウスと向かいあいナオトとジュデが座った。
「お茶でも入れてきます」
レアンドはそう言うと、キッチンへと行った。

「単刀直入に言います。王弟陛下が亡くなられました」
――――え?
ジュデはテリウスの言葉に声すら出せなかった。
ついさっきまで、元気だったはずだ。
「ですから、お戻りください」
テリウスが続ける。
色々な疑問がジュデの頭の中を駆け巡る。王弟陛下がなぜ? いつ? どうして?
「王弟陛下が誰の手で殺められたのか、分かっているのですか?」
ナオトがテリウスに尋ねた。ジュデよりも先に話を聞いていたのはナオトだから、人の手によるものだと聞いていたのかもしれない。
「たぶん、あなた達を西門から逃がすことを知っていた、国王陛下の寵愛を受けていて、王弟陛下を一番恨んでいる人物でしょう」
――――デリィ?
ジュデの頭の中に浮かんだ人物は一人しかいなかった。
国王と寝室を共にしているのはデリィだけだった。ジュデが知っているかぎりでは。
「その者に責めは?」
ナオトがテリウスに尋ねる。
「誰も見てはいませんから、罰する必要もありません。闇に葬ってしまえば、良いことです。たぶん、彼はあなたに仇を討たせたかったのでしょうが、結果的に は一番良かったのでしょう」
罰する必要もない? 王弟陛下が葬られたのに?
「ユキナは?」
「王弟陛下が言われたことは事実では無いと私が説明致しました。王弟陛下がいない今、言葉の真偽も確かめられないことです」
テリウスは淡々と説明する。
ナオトとテリウスの会話をジュデはただ聞いていた。訊きたいことはある。分からないことだらけで、どこから訊いてよいのか分からない。
「では、戻ったらどうなるのですか?」
ナオトが結果を促す。
「王弟陛下の方で誤解があったと言うことにして、何も無かったように、元に戻る方法がひとつ」
「まだ、他に?」
「ナオトさまに皇太子にたっていただくこともできるかと」
「過去は変えられないって言ったよ」
思わず、ジュデは口を挟んだ。
テリウスはジュデに神殿でそう言った。
「あの時は、王弟陛下がいらっしゃいました。今は違います。どうにでもできます。流行病があったところなど、混乱していたといえばそれだけのことです。何 より、王妃ユキナの形見のペンダントがあります」
テリウスは事も無げに言った。
王弟陛下が亡くなったことを闇に葬ればよいと言い、突然皇太子が現れることをどうにもなる、と言う。
けれど、テリウスの話は、納得できることなのだろうと思った。長い時間は記憶さえ風化させる。王妃ユキナに生き写しだというナオトと形見のペンダントがあ れば、その時の状況など事細かに覚えていて批判できる人間などいないのだろう。

「――――私が皇太子に立つなど、できません」
少しの沈黙を破って、ナオトが口にした。
「正当なお子はあなたです。あなたなら立派に務められると、そう思いますが」
テリウスがまっすぐにナオトを見る。
「ユキナはどうなります? 生まれた時から国を継ぐものとして、さまざまなことを我慢してきたはずです」
そういえば、とジュデは思った。今更兄などいらないとユキナは言っていた。
「ですが」
テリウスがナオトに反論する。
「それに、それでは過去を繰り返すことになりませんか? 父は王弟陛下に国を頼み旅に出たのです。その父が国王の地位を継がなければ、王弟陛下も違ったの ではないでしょうか」
「しかし、王弟陛下は――――」
「分かっています。その器が無いことを自覚していらっしゃらないことは不幸です。父も、それが分かっているから、この国に留まったのでしょう。戻るつもり でいたジェインには帰らず。けれど、今は、私が皇太子になって波風を立てる必要はないでしょう?」
ナオトの言葉は暗に今のままに進めば国王の器のある人間がその位置につくということを示唆しているように聞こえた。それは自分のことだろうか、とジュデは 思う。
「分かりました」
テリウスが頷く。
「それに、私は王宮へは帰らない方が良いと思います」
意外な言葉がナオトから出てきた。
「なぜですか?」
テリウスが目を細める。
「ユキナに知れてしまったでしょう。私が居てはジュデさまの立場を悪く――――」
「僕も戻らない」
ジュデはナオトの言葉を遮るように言った。
「ジュデさま?」
テリウスが怪訝そうな瞳をジュデに向ける。
「ユキナ姫が必要としているのは、あなただよ。テリウス。分かっていたけれど、言えなかった。言える立場にはなかった。今でもそうだけど、はっきり、ユキ ナ姫があなたに対する想いを口にしたのを聞いた以上、僕には戻る意味なんて無いように思う。だって、身分なんてどうにもなるものでしょう? 」
ジュデがテリウスに視線を向けると、テリウスは目を伏せ、小さくため息を漏らした。
「そうですね。身分なんていうのは言い訳に過ぎません」
「なら」
ジュデはテリウスの顔をうかがう。言い訳を使わなければならない理由など、ジュデには思いあたらなかった。
「国王陛下からお話があったときに、私は愛しい人をベッドで抱くよりはお守りしたい、と申し上げました。それを国王陛下は分かってくださいました」
「なぜ? なぜ? 愛しているのなら」
愛しているのなら抱きたい、となぜ思わないのだろう。
「国王になれば制約もあります。常に見守ることはできません。現国王陛下がそうだったように」
「でも、今は平和だよ」
戦争の影さえ見えない。
「始まるときは、突然なものです。この国の肥沃な土地を狙っている国は多々あります」
「でも」
愛しあっているのならば、尚更自分が間に入る必要などない、とジュデは思う。
「そうですね。神には分かっていただけなかったのでしょう」
テリウスは席を立った。
「分かりました。あなた方を追うことはできなかったと報告します。ナオトさま、これからどうなさるおつもりですか? 」
テリウスの問いに、ナオトは首を傾げる。
「分かりませんが、国の中を回って、何かあなたの役にたてることを見つけることもいいかもしれません」
「それは頼もしい限りです。では、レアンドに相談してください。手配してくれるでしょう。あなたもナオトさまと行かれるのでしょう、ジュデさま」
テリウスがジュデに視線を向けた。
「ごめんなさい。我が侭ばかり言って」
ジュデは視線を落とした。テリウスがユキナと結ばれる方が良いのだと思ってはいても、自分に与えられたことを放棄してしまうことに変わりはない。
「いいえ、最初に我が侭を言ったのは私です。そうでなければ、あなた方はエカティに何不自由なく暮らしていたはずですから」
「いいえ、テリウス、それは違う」
ジュデはあわてて叫んだ。マディバに来なければ、ナオトの父を探すことなどできなかった。
「では、そういうことにしておきましょう。その方が私も気が楽になります」
「テリウス、あなたには本当に感謝しています」
ジュデが告げた言葉にテリウスは笑顔を返した。
「私の父は、以前国務会の議長をしていて、先の王妃ユキナさまのことでは、心を痛めておりました。王弟陛下の言葉を信じずに情報を集めては、ユキナさまを 探しており ました。その父が、10年ほど前に、議長を降り、貴族の称号も捨て、田舎へ引き込んでしまいました。疲れたと言っていた父の言葉を、その時は疑うこともし ませんでしたが、今は、もしかすると、10年前にあなたに会っているのではないか、と思います。最後に父が向かった地はエカティでした。何か、ご記憶はあ りますか? 」
テリウスがナオトに視線を向ける。
「――――もしかすると――――」
ナオトは遠くを見るように、視線を揺らせた。
「父は今、ハロスという村に居ます。気が向いたらお寄りください。きっと喜ぶことでしょう」
「分かりました」
ナオトが頷く。

「お帰りですか? 」
キッチンからレアンドがでてきた。
「お茶を入れたのですが、飲んでいかれませんか? 」
続けて言いながら、ナオトとジュデの前に器を置く。テリウスには直接手から渡した。テリウスはそのまま一口飲むと、器をテーブルに置く。
「話は訊いていた?」
「はい」
テリウスの問いにレアンドは頷いた。
「これからは、今までのようには来れない」
「分かっております」
テリウスの手がレアンドの頬に触れる。そのまま唇が重なるのを、見てはいけないものを見てしまった気がして、ジュデは顔を伏せた。心臓の鼓動が早くなる。 湿った音が微かに聞こえて、胸が潰れそうになった。

テリウスがレアンドから離れて、扉へ向かう姿を視界の端で捕らえていたけれど、ジュデは顔を上げることができなかった。
「では、これで失礼します。また、お会いできるかどうかわかりませんが、お元気で」
テリウスと会えるのは最後かもしれないと思う。けれど、胸が痛くて、顔をあげられない。
「ありがとう。テリウス」
ナオトの声が聞こえて、テリウスは行ってしまうだろう、と思った。色々と助けてくれたテリウスに言葉もかけずに別れるなんていけない、そう苦しい胸へ言い 聞かす。
「あ、テリウスもお元気で」
ジュデはあわてて振り向くと、テリウスに向かって言った。
テリウスは、ジュデに向かって軽く頭を下げると、扉の傍で待っていたレアンドの耳元で何か囁いた。レアンドは柔らかい笑みをテリウスに向ける。
視線をレアンドに向けたまま、テリウスは扉を開いた。外まで送ろうとしたレアンドを手で止め、そして、もう一度ジュデとナオトに向かって軽く頭を下げる と、テリウスは扉の向こうへ消えた。

――――今のは
挨拶のキスなんかじゃない。テリウスの眼差しもいつものものとは違う。あんなに、優しく人を見ることができるのだ、と初めて知った。

「ジュデさま」
ジュデの脇に立ったレアンドが優しい声をかけてくる。
「まるで、死にそうな顔をしていらっしゃいますよ」
「あ、僕――――」
ジュデは言葉がでなかった。
テリウスはユキナを愛していると、言った。なのに。
「あなたとテリウスは――――」
恋人同士なの? そう訊きたかったけれど、言葉は最後まででなかった。
「テリウスは私を救ってくれた大切な人です」
レアンドが微笑む。
「――――いいの? このままで」
このままでは、テリウスはユキナと婚姻を結んでしまう、自分の代わりに。
「テリウスは、私が独り占めできるような方ではありません」
「でも」
「エカティ出身のジュデさまには分からないことかもしれませんが、マディバでは妻を持ちながら、男同士で情を通じ合うことはよくあることです」
「だって、そんなの辛いよ」
もしナオトが――――そう思ったらきっと辛くて、レアンドのように笑ってはいられない。

「テリウスは、あなた方の前で私を認めてくださいました」
「だけど」
「ジュデさま」
ナオトがジュデを止めるように声を出した。
「ナオトは知っていたの?」
ナオトの顔には驚きのかけらもない。
「テリウスとレアンドの問題です。ジュデさまが口を挟むことではないでしょう?」
「でも」
分かっていても、割り切れない自分がいた。自分がどうできるものではない、けれど、胸が押しつぶされそうに苦しくなる。
「ありがとうございます。ジュデさま。私はテリウスの役に立ててれば嬉しいのです。ナオトさまやジュデさまのように大切な方を私に任せてくださる。それだ け信頼してくださることが、何より嬉しいことなのです。それだけではなくて、認めてまでくださいました。これ以上、望むことなどありません」
そう告げるレアンドは何の不満も無いように見えた。
「テリウスは幸せだね」
こんなに思ってくれる人がいる。
「ジュデさまにもいらっしゃるでしょう。思ってくださる方が、大切な方が。一目見て分かりました」
一目見て――――その言葉はテリウスから聞いたのではないと告げていた。分かってしまったことが、恥ずかしくあり嬉しくもある。分かって認めてくれたのだ と、声で感じた。
「うん。とても大切な人が。だから、もし僕がレアンドの立場になったら、と思うと苦しくなる」
苦しくて、苦しくて、今のレアンドのように笑ってはいられない。
「私は幸せですよ、ジュデさま。だから、そんな辛い顔をなさらないでください。私まで苦しくなってしまいます。ところで、出発はいつになさいますか? 用 意を整えさせていただきますので」
話を変えるように、レアンドはナオトへ向いた。
「できるなら、明日にでも発ちます。」
「分かりました。では今日中にご用意させていただきます。ジュデさまとナオトさまは安心してお休みください」
レアンドが軽く頭を下げる。
「ありがとう。レアンド」
答えたナオトに笑いかけると、レアンドは背を向けて奥の部屋へ入った。
「ジュデさま、私たちも部屋へ戻りましょう」
「うん」
肯定の返事のしながらも、ジュデはその場を立つ気にはなれなかった。それでも、ゆっくりと腰を上げた。
ナオトはジュデが立つのを待って、先を行く。扉を開けて、ジュデの手を引くように部屋へ入り、扉を閉めた。

「ジュデさまが悩んでも仕方ないことです」
ナオトの声は厳しかった。
「分かってるよ、でも」
「では、王宮に戻られますか?」
「ナオト?」
「ユキナさまと婚姻を結びますか?」
「できないよ。もう、今更無理だよ」
ユキナの気持ちをはっきり聞いてしまった以上、情を通わせられるかどうかわからない。抱ける自信はない。
「レアンドが、耐えているのに、あなたが辛い顔をしたら、レアンドはどうすればいいのですか?」
「え、でも、レアンドは、さっき」
望むことはないと、言っていた。
「そう思っていることも確かでしょうが、ああ言って自分を納得させているのです。文化の違いでモラルに差があるとは言え、気持ちはそう変わるものでもない でしょう? レアンドが持ってきたお茶はもう冷めていましたよ」
「え、じゃあ」
ジュデは目蓋が熱くなった。きっと、今レアンドは自分が抱えている気持ちより、はるかに辛いのだろう、と思う。
「だから、といって、誰にも、どうすることもできません」
「――――神様は意地悪だね」
なぜ、愛するもの同士を結びつけてはくれないのだろう。
「人にはそれぞれ分があります。レアンドは与えられた分の中で自分の幸せを見つけているでしょう? 求めれば限などあるません」
「でも」
ナオトの言うことを理解はできる。けれど、自分が王宮に戻れば、レアンドは悲しい想いをしなくてもよいのかもしれない。ジュデはそう思うと、今、傍にナオ トが居ることを素直に喜べなかった。
視線を落としたジュデの背中にナオトは腕を回した。
「大丈夫ですよ。レアンドはテリウスにとっても、とても大事な人ですから。今までのようには来れないとテリウスは言っていたでしょう? レアンドのことも 考えています」
「ほんと? 」
「テリウスが休めるのはレアンドの傍だけです。手放すはずがありません」
ナオトに背を撫でられて、少しづつジュデの気持ちが落ち着いてくる。暖かい手が不安を溶かしていく。
「今までテリウスを信じて間違いは無かったでしょう? 彼なら上手くやれるはずです」
ナオトが続けた。
「そうだね」
ああ、そうだ、とジュデは思った。きっと、テリウスなら。


「では、お気をつけて」
太陽が昇る少し前、旅支度を全て整えて、レアンドは笑顔で見送ってくれた。
「レアンドも」
ジュデはレアンドの手をとると、両手で包んだ。何もできない自分が歯がゆいけれど、幸せになって欲しい、と思う。
レアンドが微かに笑った。
「ジュデさまの暖かい気持ちが流れこんでくるようです」
「ごめんね。何もできなくて」
せめて、辛い気持ちを分け合うことができればいいのに。
「お気持ちだけで十分です。本来ならば、私など足元にも寄れない方なのに」
「そんなことないよ、レアンド」
あわてて言ったジュデに、笑いかけてくれるレアンドの笑顔がとても暖かくて、テリウスがレアンドに惹かれる気持ちが分かる気がした。
「では、テリウスによろしく伝えてください」
ナオトが手綱をひきながら、レアンドに向かって言った。
「分かりました。近くに来られたときは、ぜひまたお寄りください」
「ありがとうございます」
ナオトが答える。
名残は尽きない、後ろ髪を引かれる思いもある。でも、ここに留まることもできない。馬を引きながら時折振り返り先へと歩いた。姿が見えなくなるまで、レア ンドは見送ってくれた。
「レアンドは普段何をしているの? 」
ちょっとした疑問だった。
「情報収集が主ですが、彼は何でもやります」
「何でも? 」
「乗馬の腕もかなりのものなら、剣も弓もこなし――――私の弓の先生は彼です。小さな組織を持つリーダーでもあります」
「――――見えないよ、そんな風には」
「テリウスに必要とされたいと思う、彼の努力でしょう。テリウスもそれは分かっているはずです」
「そう、なんだ」
必要とされるために。
――――僕はどうすればよいのだろう
「僕には何が足りない? 」
ジュデはナオトを見上げた。だいぶ詰まった身長差は、少し見上げるほどだった。
「あなたはあなたのままで」
「いいの? 僕は時々自分が嫌になる」
「私は、そんなあなたでも、好きです」
ジュデの心臓がとくんと跳ねた。
空を見上げると、いつもと同じ青い空が広がっている。
辛いことも、悲しいこともあったけれど、この空の下を、これからはナオトと一緒に歩いていける。
続く道は永遠にも見えた。

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