地下牢に来てから何時間経っただろうか、太陽の光が届かない地下では時間を計る術もなかった。ただ、ジュデはナ オトと肩を寄せ合って時間が過ぎるのを待っていた。ジュデがナオトをうかがうと、ナオトは厳しい表情をして唇を噛んでいる。何を考えているのか、分かるは ずもなく、訊くことも躊躇われた。テリウスが来てくれるはずだ。それを待つしかなかった。
足音が聞こえてきて、壁がほのかに明るくなる。足音とともに、明るさも増してきた。
もしかすると、誰かがここを探しに来たのかもしれない、そんな疑問がジュデの頭を過ぎる。
テリウスは動いているだろう。誰も地下牢に来ないようにと見張るのは無理だ。ジュデが剣に手をかけると同時に、ナオトはジュデを隠すように檻の外へ身体を 向けた。

眩しいほどの明かりが照らされると、
「ご無事でなによりです」
というテリウスの声が聞こえた。

檻の中に入ってきたテリウスは、小さな陶器を床におき、松明から火を移した。ちらちらと燃える火が辺りを照らす。
「話をしている時間はありません。この火が消えたら、西門に向かってください。そちらを手薄にしておきます。それから、レアンドのところへ。馬を用意でき るかは分かりませんが、もしできたら門の外につないでおきます」
「ありがとう。テリウス」
ジュデが口を開こうとしたとき、ナオトはもう言葉に出していた。
「ジュデさままで、飛び降りられるとは思いませんでしたが」
「ごめんなさい」
テリウスの声が非難を帯びているような気がして、ジュデは小さな声で呟いた。
「レアンドに話を通す時間はありませんでした。取りあえず、私が行くまでレアンドのところで待機していてください。」
「分かった。今、どうなってる? ジュデさまのことは? 」
ナオトがそう口にすると、テリウスは笑みを浮かべた。
「あなたがジュデさまを人質にとって逃げた、ということになっています。ナオトさま、あなたも、少しはご自分のことを考えてください。では」

テリウスはすばやく踵をかえすと、足早に入り口へ向かう。小さくなる足音とともに、明るさもひいていった。
「ごめんね」
ジュデは呟いた。ナオトの罪を自分が増やしている。
「私も、あなたと離れることを望んでいるわけではありません」
ナオトの声は優しかった。そのことに、ジュデは少し安堵した。
「……レアンドって誰?」
しばらくおいて、ジュデがナオトに尋ねた。ジュデは初めて聞いた名前だった。
「一年近く、私の世話をしてくれた方です」
「テリウスの配下なんだ」
「そう、ですね」
ナオトは少し、口を詰まらせた。
「違うの?」
「いいえ、たぶん、テリウスが一番信頼している者です」
「テリウスが……」
少し意外な気がした。一番信頼している者ならば、王宮に置いたほうが良いのではないか、と思える。それがテリウスにはできるはずだ。

このままここに居ることはできないと分かっている。決して安全な場所でもない。けれど、外に出て、無事に逃げることはできるのだろうか。もしかすると ――――ジュデは頭の中の思考を振り払うようにかぶりを振った。
「ジュデさま? 」
疑問を含んだ声がした。もうこの声を訊くのも最後になるかもしれない。もう、触れられるのも最後になるかもしれない。
「ナオト」
ジュデはナオトの身体にしがみついた。
「どうしました? 」
「一緒にいられるよね」
ジュデの口から出た声は震えていた。
不安が大きく胸を揺さぶる。剣を交えることなどしたくない。向かってくる者は、ただ、上から命令されているだけなのだ。中には、今朝まで自分の配下だった 者もいるだろう。けれど、自分を守るためには、戦うしかない。そして、それもどこまでできるのか、分からない。
「大丈夫です。テリウスが手配してくれます」
落ち着いた声で、ナオトは答えてくれた。
「でも」
ジュデはナオトを見上げた。すぐ近くに愛しい人の顔がある。
「勇気を、あげましょう」
ナオトはジュデの顎をとらえると、唇を重ねた。
「ん」
漏れる息と、湿った音が薄暗い中で響く。
閉じたまぶたの中でも、小さな炎が揺らいでいるのを感じていた。この火が消えたら、ここを出ていかなくてはいけない。その時しか、チャンスはない。

しっかりと手を握っていた。もう離れたくないから。
空は濃い青を映していた。日の出までにはまだ時間がある。しかし、太陽は大地に大きな恵みを分けてくれていた。
建物に沿うように辺りをうかがいながら、前へ進む。配備を薄くすると言ったテリウスにも限界はあるだろうと、思っていた。だから、西門へ行く道の途中で、 何度か剣を交えなくてはいけないだろう、そう予想していた。けれど、人影すら見ることは無かった。まるで、敵の誘いではないかと思えるほど。
ナオトが、道の途中で首を傾げた。
「何?」
「いいえ、何も」
問いには否定したけれど、たぶん、ナオトも同じことを考えていたのだとジュデは思った。まさか、テリウスが、と思う。逃がしてくれたのは、テリウスだ。だ からと言って、今更どうすることもできない。信じることしかできない。

手薄になっているはずの西門で、待っていたのは王弟陛下だった。
門を塞ぐように立つ兵士の前に、王弟陛下とパリスが立っている。
身を隠しながら進めるところまで進み、柱の影に身を寄せた。
「ナオト、どうしよう」
不安を言葉にする。
「ここを抜けるしか、ありません」
門までは、あとわずかだった。そこを抜ければ、追ってくることは難しくなるはずだ。
目算で測って兵士は十数名、多い数じゃない。ただ。
「なんで、パリスが」
ジュデは呟いた。
テリウスに次ぐ腕を持つとまで言われているパリスが、なぜ、ここにいるのだろう。
「ジュデさまは、私の後ろに」
手で促すナオトの指示にジュデは従った。

柱を抜けて、ゆっくりと前へ進む。
「ほう、今までどこへ隠れていらっしゃったのですか?」
王弟陛下が冷たい声をかけてきた。
「あなたには関係のないことでしょう」
ナオトが答える。
「まあ、いいでしょう。どうせ、ここまでなのです。パリス」
王弟陛下がパリスへ目配せする。
ナオトが剣に手をかけたのを同時に、ジュデも剣に手をかけた。
「契約違反だぜ」
パリスが突然大声をあげた。
「何を言ってるんだ。褒美には要求した額を用意したし、もう半額は渡しただろう」
「でも、あんたは、相手が誰かは言わなかったじゃないか。これじゃ割りが合わないよ」
「ほ、法外な額だったはずだ」
「それでも、ってことだよ。まあ、そこにいるジュデさまも褒美につけてくれるってなら、考えてもいいけどな」
パリスはジュデを一瞥してから、王弟陛下へ視線を向けた。パリスの言葉のジュデの身体がこわばる。
「好きにすればいいだろう。あいつさえ、やってくれれば、その後、連れて帰って好きにすればよい」
王弟陛下はナオトを指さした。
「その後じゃ、遅いんだよ。やられちまった後じゃ、何にもできないだろ」
「今更、そんなことできるわけないだろ」
王弟陛下が苛立たしそうに声を張り上げる。
「じゃあ、今回の契約は無かったってことで」
パリスが王弟陛下に軽く頭を下げると背を向けた。
「ちょっと、待て。もう半金を払ってるんだぞ」
「俺はもらったものは返さない主義なんだ。ついでに、命も惜しいんでね」
言いながらパリスはナオトを一瞥すると、そのまま王宮の中へ戻っていった。
「くそっ。もういい。こいつらをやってしまえ」
王弟陛下は後ろに立つ、兵士に命じる。
「ジュデさまも、ですか?」
躊躇いがちの声が聞こえた。
「決まってるだろう。こいつら二人とも謀反人だ」
王弟陛下が叫んだ。
それでも、兵士は剣に手をかけることはしても、前へ進んではこない。
「何をしているんだ」
王弟陛下がいらだった声をあげる。
「できません」
兵士の一人が答えた。
「何だと」
「ジュデさまが剣を抜かれたのなら別ですが、先にこちらから手をだすことはできません」
「反逆者なんだぞ」
「そうは思えません」
「お前は、誰に向かってそんな口を叩いているんだ。そんなやつは――――」
叫びながら、王弟陛下は腰にさしていた剣を抜く。兵士に向かって振り下ろされたその剣は、ナオトの剣に弾かれて後ろへと飛んだ。
「きさまっ」
ナオトが剣を王弟陛下の首筋に突きつける。
「我が侭も、いい加減になさったらいかがですか?」
睨みつけたナオトに、王弟陛下は後ずさった。
「くそっ、誰か――――」
叫びながら、王弟陛下は王宮へと足早に向かう。このままでよいのだろうかと、ジュデがナオトをうかがうと、ナオトは王弟陛下を視線で追うだけだった。

「ジュデさま」
兵士がジュデに駆け寄り、跪く。
「カイ、ありがとう」
それは、以前ジュデの隊にいたひとりだった。
「どうなっているのですか?ジュデさまは人質にとられたと聞きました。いったい」
疑問は確かにあるのだろうと思っても、時間はない。直ぐにでも王弟陛下は兵士を連れて戻ってくるかもしれない。
「僕にも、よく分からない。だけど、今捕まるわけにはいかないんだ。だから、通させてもらうよ」
ジュデの言葉に兵士が従い、間をあける。

「ありがとう」
一言だけ口にすると、ジュデはナオトと目を合わせ、その場を走り抜けた。
テリウス以外にも、味方はいるのだという気持ちが不安を和らげる。けれど、状況は何も変わっていない。

街外れのレアンドの家に着いたときに、太陽は既に昇っていた。ナオトが扉をノックすると、程なくして扉が開き、出てきた人の姿を見て、ジュデは呆然とし た。意外 だった。テリウスが一番信頼している人物だというから、鋭い目の光を持つ、優秀な兵士を頭に描いていた。現実に目の前にいる人は、まったく違った印象を 持っていた。

「お久しぶりです」
驚いた表情を見せながら、レアンドは柔らかい笑みを見せ、家の中へ招き入れてくれた。
「また、王弟陛下が何かなさったのですね」
話をつけてはいないと、テリウスは言っていたけれど、だいたいの状況は知っているのだろう。
「謀反人にされてしまいました。ジュデさまをあやつって、国を乗っ取ろうとしていると」
ナオトが簡単な説明をすると、レアンドは大きくを目を見開き、声をたてて笑った。
「悪知恵だけは働くから、困ってしまいますね」
「笑いごとではありません」
ジュデが声を荒げた。王弟陛下にナオトは二度も陥れられている。一度は命さえも奪われかけた。
レアンドは一瞬驚きの表情を見せると、直ぐに笑顔に変わった。
「ごめんなさい。そうですね。ジュデさまとナオトさまにとっては、笑いごとではありませんね。でも、もう、笑うしかできないのです。私の父も、王弟陛下に やられたのも同然でした。なぜ、あんな方が、王族に生まれたというだというだけで、好き放題されているのか……言ってみても仕方ないことですから、笑うし かありません」
「あ、ごめんなさい」
ついっと謝罪の言葉がジュデの口からこぼれた。
レアンドは自分よりも深い悲しみを持っているのだと、ジュデは思った。ナオトは今自分の傍にいる。
「いいえ、私が考えなしだったのです。すみませんでした。今、ジュデさまは渦中に居られるのですから、笑っている場合ではありませんね。ここにいる間は、 私がお守りしますので、ご安心ください」
言いながら柔らかい笑顔を見せる。その笑顔と守るという言葉がしっくりこなかった。
テリウスと同じか少し若いのだろうか、肩にやっと届くくらいの暗めのブロンドの髪と蒼い色の瞳。髪を長くしてドレスを着せれば女性だといっても通るかもし れない優しい顔立ちをレアンドはしていた。

「どうなさいますか? お休みになりますか? それとも食事になさいますか?」
「ジュデさまは? 」
ナオトが訊く。
「少し、お腹がすいたかな」
昨日のお昼すぎから何も食べていない。今までは緊張したこともあって忘れていたけれど、レアンドの柔らかい笑顔に緊張も解けてきたような気がする。お守り します、そうはっきり言ってくれたこともあったからかもしれない。
「それでは、パン粥でもお作りしましょう」
レアンドはキッチンへ消えていった。

温かくて少し甘いパン粥は、喉を過ぎると身体に染み渡っていくようだった。
「おいしい」
ジュデが素直に口にすると、
「それは、良かったです」
言葉とともに、柔らかい笑顔が返ってくる。
こんなことをしていて良いのだろうかと思いながらも、レアンドの柔らかい物腰にここだけは別世界のように感じた。

「ベッドはお一つでよろしいですね。ナオトさまが使っていた部屋をお使いください」
パン粥を食べ終わって少し息をついた後、レアンドに言われて、ジュデは視線を伏せた。自分達の関係までも知られているのだろうか、と思う。彼が知っている のならば、当然テリウスも知っているのだろう。
「ジュデさま」
ナオトに呼ばれて、ジュデは席を立った。
普通ではないかもしれない、けれど、自分にとっては大切な人なのだから恥ずかしいことじゃない、ジュデはそう心の中で呟いた。

「暖かい人だね」
部屋に入って二人きりになるとすぐ、ジュデはナオトに言った。
「そうですね」
ナオトが笑顔で答えてくれる。
ついさっきまで殺伐とした空気の中に居た。不安で押しつぶされそうな自分がいた。状況は何も変わらないのに、今、気持ちは酷く落ち着いていた。
「どうなるんだろう、これから」
「――――少しお休みください、ジュデさま。焦ったところで、何も変わりません」
ナオトがベッドの上においてあった服を渡してくれた。着替えるために、レアンドが置いておいてくれたのだろう。今、身に付けているものは、土や埃で汚れて いた。

着替えて、ベッドの中に身体をすべりこませる。
「早く、来て」
ベッドの縁に腰をかけたナオトに腕を伸ばした。
「テリウスが来るかもしれません。先にジュデさまがお休みください」
「なら、僕も起きているよ」
伸ばした腕をベッドに下ろし、ジュデは身体を起こした。
「交代で休みましょう。ジュデさまが起きられたら、私が休ませていただきます」
「でも、それじゃ」
疲れているのは、ナオトも同じはずだ。
「眠れないかもしれませんが、身体を横にして目を閉じているだけでも違うものです。私はここに居ります。テリウスが来たら起こしますので、少しでもお休み ください」
ナオトの言い分は変わらない。
きっと、ナオトは引かなくて、言い合っていても、無駄な時間が過ぎるだけだ。
「分かったよ」
ジュデは、もう一度ベッドの中に身体をすべりこませた。そっと、ナオトの手をとる。
「お休みなさい」
ナオトが優しく見つめてくれる。
「うん」
その残像を残しながら、ジュデは目を閉じた。

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