毎日隊の中でジュデとナオトは顔をあわせる。ジュデの斜め後ろ、まるで測ったように、いつも同じ位置にナオトは居た。近すぎず、遠くなく、ジュデが心地よ いと思える位置に。指示したわけでもないのに、そこが自分の位置だと、分かっているように。

それじゃ、ディンだよ。
手を伸ばせば届く位置、いつもそこにディンは居た。何かに備えて、かばえる位置。手を伸ばして抱き込めば、自分が盾になれる位置。

なんで、ディンじゃないんだろう。
日を追うごとにジュデの疑問が膨らんでいく。

ディンにしてしまえ。
隅っこにある理性はそう悲鳴をあげていた。
悩んでも考えても解決することではなかった。

ディンだよ――――そう囁く声がある。最初見た時に、そう思ったんだろ? 自分を信じてみなよ。
でも、冷たくなったディンに触れている自分がいるよ?
確かめてみれば? ディンかどうか。ごまかすことのできない、証拠。それを知っているだろ?
知っているさ。でも、違ったら? 本当にディンじゃないと、分かってしまったら、きっとまた辛くなる。
似すぎているのが苦しいと思いながらも、ディンが傍にいるようで安心している自分がいる。

じゃあ、いつまでも、そんなにぐじぐじ思っているのか?
それも、嫌だ。
ジュデは頭の中で、何度も同じ会話を繰り返す。けれど、結論はでない。

ナオトの勤務は昼間だけと決められていた。週に3日は午前中のみで、午後からは、まだ習得が必要な語学の勉強。後の三日は、日が落ちるまで。
ジュデは週1日の休みを除いて、午後と夜間は交代だった。
ナオトと任務が終わる時間が重なった時、ジュデは部屋に戻るナオトに続いて詰め所を出た。後ろの気配に気づいたのだろう、ナオトが立ち止まり振り返る。
「何か、ご用ですか?」
怪訝そうな顔でナオトはジュデに尋ねた。ジュデも立ち止まってしまった。
「あ、いえ、部屋に戻ろうと思って」
方向はあっている。ナオトの部屋はジュデの部屋と同じ建物にあり、入り口の先で二手に分かれた回廊の反対側にある。

「では、お先にどうぞ」
ナオトが手を前に差し伸べる。ナオトに示されるまま、ジュデはナオトの先に出た。いつもの斜め後ろ、その位置にナオトがいる。
「ジュデさま」
居室のある建物に入って少し行くと、ナオトは声をかけてきた。道が違うというのだろう。ジュデの部屋へは左から行った方が早い。それなのに、ジュデは右へ 入った。
「いいんだ。こっちで」
少し後ろを向いてそう応えた。目的地は自分の部屋ではないから。
何か言いたげな視線を向けながらも「そう、ですか」とナオトは応えた。

手を伸ばせば届く位置、ナオトがそうであるように、ジュデにとっても同じことだ。
「では、ここで」
そう言ったナオトの左手をジュデは掴んだ。
「何か?」
急に手を掴まれたことに、ナオトは驚きを隠せないようだった。眉根を寄せ、ジュデの顔を窺う。
「ごめん、ちょっと確かめたいんだ」
そう言いながら、ジュデはナオトの服の袖を引っ張りあげた。ほとんど反射的にナオトはジュデの手を払うように袖を下ろした。けれど、二の腕の中ほどまで上 げられた袖の下に、一筋の傷があったのがジュデには見えた。
「失礼します」
半ば強引にジュデをはねのけ、扉をあけてナオトは部屋へ入り、扉を閉めようとした。その時、ジュデは扉の間に自分の腕をすべりこませた。
閉まるはずの扉は突然、勢いをなくして止まった。
腕を挟まれずに済んだことに、ジュデは深呼吸をするとそっと少し扉を開け、自分の身体を滑り込ませて、扉を閉めた。
部屋の中でナオトは窓際に立ち、外を見下ろしていた。
「ディン」
思わず、ジュデは声に出していた。
「人違いだと、申し上げたはずです」
視線を落としたまま、ナオトが応える。
「じゃあ、その左腕の傷は? 」
「これは、馬から落ちて枯れ枝に」
ナオトが左腕をさすりながら、応える。
「ならば、わき腹を見せて、ディンなら馬の蹄に蹴られた痕があるはずだよ」
ナオトは考えるように、視線をあげ空を見上げる。
「では、その痕がなければ信じていただけますか?」
視線をジュデに向けて、ナオトが言った。
一瞬、ジュデは不安になった。無いの? ディンではない?
「いいよ」
迷いながらも、そう答えた。
後には引けない。確かめるのだと、やっと決心したんだ。
「ジュデさま、失礼します」
断った後、ナオトは服の合わせめからわき腹を露にした。きれいな象牙色の肌に傷跡は何も無かった。
「やっぱり、ディンじゃないか」
ジュデは呟いた。
涙が溢れてきそうになる。

「ジュデさま、傷跡が無ければ――――」
「なぜ、左側を見せるの? 右側のわき腹だよ。それだけじゃない。背中には石畳ですった痕が、黒く残っているはずだし、左の太ももには、割れた粘土板を刺 してし まった痕があるはずだよ。どれかひとつでも無いというなら、見せてよ。そうしたら、信じる。あなたはディンじゃないと、信じるよ」
ナオトの言葉を遮るように、ジュデは言った。
ナオトが小さくため息をつく。
「ジュデさま、右手を扉の間に入れて、挟まれたらどうするおつもりですか?」
ナオトがジュデに非難する視線を向ける。
「自分のことはどうなってもいいと思うほど、知りたかったんだよ。ディン」
「そんな、あなただから、私は気が気ではありませんでした」
「ごめんなさい。ごめなさい、ディン」
ジュデはナオトに駆け寄ると、飛びついた。
「ごめんなさい」
胸に額をつけて、そう呟いた。心臓の鼓動が聞こえる。ディンが生きている証を見つけて、ジュデは酷く安心した。
小さなため息と共に、ナオトの手がジュデの頭を撫でる。
「ディン、良かった」
ジュデは思ったままを口にした。

「ディンは、あの時命を落としました」
しばらく無言でジュデを腕に抱いていた、ナオトが口を開いた。
「でも、ディン」
「私は、ナオトです。そう、父が名づけてくれました」
「――――分かったよ。ナオト、そう呼ぶ」
名前が変わっても、ディンはディンなのだから。
「それと、もうすぐ食事の時間です。ジュデさまも、お部屋の方へ戻ったほうが良いでしょう」
「お小言ばっかりなんだね」
やっと、再会できたのに。
「それから、あまり私には近づかないほうがよろしいと思います」
「なぜ?」
「王弟陛下が、どう思っているかわかりません。ジェインの国王印が入った交易証を見せて、一応納得なさったようなのですが、しぶしぶといった感じでした」
「何か、あるの?」
「用心に用心を重ねた方が良いということです。ジュデさまのお傍にいたいと、我が侭を言いいました。これ以上、テリウスに負担をかけたくありません。この 次、何かあれば、今度こそ本当に私の命はないでしょう。そのことで、誰にも迷惑をかけたくはありません」
「なんで、そんなことを言うの? 今度は僕は守るよ」
絶対に、誰の手にも触れさせない。
「それでは、私はジュデさまのお傍を離れなくてはならなくなります」
「嫌だ。もう嫌だ」
ジュデは何度もかぶりを振った。
「ならば、聞き分けてください。あくまでも、私はジェインのナオト・ユズハであり、あなたとは、ついこの間初めて会ったばかりです。よろしいですか?」
「――――分かった。ちゃんと、ナオトって呼ぶし、人の前では我慢する。だから、人目を忍んで、ここに来ていい?」
「だめです、と申し上げたら?」
ジュデはナオトを見上げると、軽く唇に触れた。ナオトが驚いたように顔をゆがめる。
「今の言葉は、僕には理解できないよ。分かる言葉で言ってくれないと」
「ジュデさま」
「大丈夫、王宮の見回りのスケジュールは全部頭に入ってる。絶対知られないように来るから」
「ですが」
「幸い、同じ建物の中だから、門番には見つからないし」
「ジュデさま」
「いいでしょう?」
ナオトは諦めたように、笑った。
「あなたは決めたことには、引かない人でしたね」
「うん」
そう答えると、もう一度ナオトの胸に額を預けた。
――――ディンの匂いだ
深い森の匂いと同じ。
「では、お部屋の方へお戻りいただけますか?」
頭上から声がする。大好きな声が。
「うん」
そう答えると、もう一度唇に軽く触れた。
「ジュデさま」
ディンが眉根を寄せる。
「じゃあ、またね」
もう、ナオトに何も言われないうちにと、ジュデは部屋を出た。
――――ディンが生きていた
そう分かってしまえば、なんでもっと早く確かめなかったのだろう、と思う。
ディンが、そう思うとジュデは自然に身体まで弾んでくるようだった。

「ジュデさま」
そうあきれた声でナオトが言った。つい数時間前に別れたばかりなのに、どうしても会いたくてジュデはナオトに部屋を訪ねた。もう一度確かめておきたい。夢 でも妄想でもないのだと。
「今日は、特別だよ」
ベッドの上で剣を取り、身体を起こしたディンの傍へジュデは歩み寄った。
「寝ててもよかったのに、一晩中でも寝顔を見ていたのに」
そっとあけた扉の気配だけで、気づかれてしまったらしい。剣を持ったナオトが天蓋の布を開いた。
薄暗い中でも、ジュデだと分かったようだった。

ジュデはナオトの頬の手を当てた。
「でも、訊きたいこともたくさんあるんだ」
大理石の上で横たわっていたのは、確かにディンだった。なのに、なぜ?
「そうですね」
ナオトは剣を横に置いた。そのまま、腰を浮かす。
「いいよ、ここで。ううん、ここがいいんだ」
言いながら、ジュデはナオトの肩を抑えた。
「ここで?」
向かいあって話すのではなくて、ぬくもりを感じながら。
「いいでしょう?」
ジュデはベッドの中に身体をすべりこませると、ナオトの身体に腕を回した。
「ジュデさま」
「昔はこうして、抱いてくれたよ」
「あのときは、私もまだ子供でした」
「なぜ、大人になるとダメなの?」
「それは」
ジュデは身体を伸ばして、ナオトの唇に触れた。
「もう、驚かないんだね」
「あのときも、ジュデさまはこうやって唇に触れてくださいました」
それは、冷たいディンに触れたときだと、思った。
「分かっていたの?」
冷たかったのに、脈も呼吸もない、と言われていたのに。
「身体は動きませんでしたけれど、離れていく唇と、暖かい涙を、感じました」
「生き返ったの?」
あの冷たかったディンと今目の前にいるナオトは同じだよ、ね。
「仮死状態にする薬があるそうです。意識が戻ったときに聞いた話ですが」
「でも、薬だったら効果は切れているだろうって、王弟陛下が……」
妙な薬、そう王弟陛下は言っていた。そんな薬の存在すら知らなかったけれど。
「濃い濃度のものを、更に、薬の効果を長続きさせるために身体を冷やして……けれど、それでも、元に戻れる確率はわずかなものだと聞きました。下げてし まった体温も、低下させた身体の機能も、元に戻るだけの体力が必要で、一か八かのかけだと、それに、きっと王弟陛下は確認に来るだろうと、その時身体の機 能が戻っ ていれば、私どころか、処置を施したデリィさえも、王弟陛下に手にかかってしまうだろうと」
「そんな」
「きっと、母が守ってくれたのだと思います。あの神殿は父が母のために作られたものだと聞きました」
「あ……」
国王陛下が建てた唯一の神殿。
「それに、ジュデさまにお会いしたかったのだと、思います。覚悟をしても、お慕いする気持ちが変わるわけではありません。離れていく唇に、もう一度触れた いと、そう思いました」
「ディン」
「ナオト、だと申し上げたはずです」
「あ……そうだね。ディンの父上が名づけてくれたものね」
「その名前を口にすることは、あなたの命さえ危うくしてしまいます。ですから、あなたに分からないように、色々と手立てを講じたのに、無駄だったみたいで すね」
「僕のため?」
「一番には、王弟陛下に気づかれないために、けれど、弓まで覚えたのはジュデさまのためです」
「そうだよ、ディンはできないってこぼしていたじゃないか。あれは、嘘だったの?」
「嘘ではありません。けれど、ここには優秀な教師がいましたから」
「テリウス?」
「全ては彼のおかげです」
「――――でも、テリウスは意地悪だったよ」
教えてくれればよかったのに。そうすれば、何でも、協力したのに。
代わりにすればいい、とテリウスが言ったのは全てを知っていたからなのだと思った。本人の正体を明かすわけにはいかないから、背中を押してくれた。
「彼は、とても優秀な臣下です」
「そうだね」
それを否定する気持ちはなかった。
「ナオト」
ジュデはナオトを見上げると、目を閉じた。背中に回した腕を抱きしめるように力を入れる。もう一度触れたかったと言ってくれたから、ナオトから触れて欲し かった。
少しの間をおいて、ナオトの手が背中に回されたことを感じた。触れてきた唇に、ジュデは全てを預けた。

「ジュデさま、少しお休みになってください」
口付けを何度も交わした後で、ジュデの頭をさすりながらナオトが言た。
「ここで、寝てしまっていいの?」
「お帰りくださいと言って、聞いてくださるジュデさまではないでしょう? 明け方に起こしますので、それまで」
「でも、それじゃ、ナオトが寝れないでしょう。いいよ、ナオトが休んで。僕は太陽があがる前に部屋へ戻るから」
「大丈夫です。私も休みます。ですから」
ナオトが笑いかけてくる。
「ごめんね、我が侭で」
自分が我が侭なことはわかっていた。けれど、今ナオトを離してしまったら、朝目覚めたら全てが夢になっているような気がした。
「今に始まったことではありませんから」
「ナオト」
あまりにはっきり言われて、唇を噛む。
「けれど、それはあなたがそれだけ私を思ってくれているのだと、そう自惚れています」
「自惚れなんかじゃないよ」
何者にも比べることができないほど、思う気持ちがある。
「私にとっても、あなたは大切な人ですから」
ディンには違いないのだけれど、エカティにいた頃と、はっきり違うところがある。
「前は、こんなにはっきり言葉にはしてくれなかったね」
分かるのに、仕草や表情や態度で、思いは感じるのに、決して言葉では言ってはくれなかった。どんなに拗ねても、どんなにねだっても。今は、欲しい言葉をこ んなに簡単にくれる。何もしなくても、言わなくても、取りこぼしそうになってしまうくらい。
「――――自分が何者であるのか、分からないときは、言葉にすることなどできませんでした。あなたに気持ちを伝える資格などないと、そう思ってきました。 それは同性であるという以前に。あの時、地下牢でお会いしたときには、もう最後だと思っていました。だから、言えたのです。それを後悔はしていません が……」
言葉を途中で止めると、ナオトは視線を伏せた。
「何? 言って」
「あなたは、ユキナと婚姻を結ばなければいけません」
それは逃げられない、現実だった。
「ユキナ姫だって、テリウスが好きなんだ。僕のことなんて、気にしないよ」
「あなたとユキナは立場が違います。ユキナには許されても、あなたには許されないコトがあります」
「もう、会いに来ちゃいけないって、言うの? もうキスもしてくれない、って言うの?」
「そう、するのが良いのでしょうね」
ジュデは唇と噛むと、ナオトの胸に額を乗せた。
一時たりとも離れたくないと思うのに、もう触れ合ってはいけない?
「今すぐ、あなたを手放すことが最良だと、分かってはいるのです。けれど、それをしたくない自分がいる」
そうナオトが続けた。
「僕だって、離れたくなんかない」
もう、離したくない。背中に回した腕で、力一杯ジュデはナオトを抱き込んだ。
「婚礼の日まで、神様に目をつぶっていただくことはできないでしょうか」
ナオトが呟く。
婚礼の日まで?
「それからは?」
ナオトを見上げたジュデに、ナオトはゆっくりとかぶりを振った。それが、最終期限だというように。
婚礼の日まで。あと、一年もないのに。それまで。
「ずっと、ここにはいてくれるの?」
触れ合うことはなくても、ぬくもりを感じることはなくても、手を伸ばせば届くところに。
「ずっと、あなたのお傍に」
「約束だよ」
ジュデはナオトの目をまっすぐに見た。
「お約束します」
その答えは偽りではないと思ったから、ジュデは頷くとナオトの胸に額を乗せ、目を閉じた。
我が侭な自分がいた。生きていれば、それだけいいと思っていた自分はいつの間にか、ずっと触れ合っていたいと、そう思っている。
きっと、あまり望みすぎるから、神さまの怒りを買ってしまうんだ。
手を伸ばせば届くところに居てくれるとナオトは言った。それで、満足しなきゃいけない。もう、失いたくないなら。
ジュデは自分を納得させるように、心の中で呟いた。

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