――――ディンは何処?
その疑問に答えてくれる人物をジュデは一人しか思い浮かべられなかった。

「テリウスは?」
ジュデは兵士の詰め所へ行き、テリウスの所在を尋ねた。
詰め所では数人の兵士が床に座っていた。その中の兵士が一人、ジュデに近づき跪く。
「ただいま、外に出ております」
「何処に? いつ帰ってくるの?」
こんな時に――――ジュデは焦る気持ちを押さえられなかった。一刻も早く知りたい。ディンはいったい何処にいるのか。
「神殿へ行っております。はっきりとしたお帰りになる時間はうかがっておりませんが、戻りましたら、ジュデさまの部屋へうかがうように伝えますか?」
それじゃ遅い、今すぐ、そう思うけれど、そう言うことはできなかった。
「そうして下さい。なるべく早く――――もし、遅くなるようだったら、僕が神殿へ行きます」
神殿は王宮のあるこの街には三ヶ所あるはずだった。どこの神殿なのか。わかったとして、一人で行くことなど許されないだろう。無理だと分かっていてもそう 言葉にした。多少の責めを受けてもかまわない。
「わかりました。そうお伝えします」
「お願いします。できるだけ早く。火急の用があるのだと、テリウスに伝えてください」
今すぐにでも――――気持ちは逸っても、ジュデ自身が動くことはできない。自由に動く身体があれば、どこへでも探しにいくのに。それをジュデは許されな い。

部屋へ戻るとマダム・チャウが心配そうな顔をして待っていた。
「どうしたのですか? ジュデさま」
「ごめんなさい。マダム・チャウ」
ジュデはそれしか言えなかった。どこへ行っていたのか、どうしたのか、訊かれても、ただかぶりを振った。ジュデが席を立ったときのまま残されていた皿は、 そのまま下げてもらった。
「ごめんなさい。マダム・チャウ」
そう言ったジュデに、マダム・チャウは、「あまり感心できませんよ」と応えた。それにも「ごめんなさい」と返すしかできなかった。

何も手につかず、テリウスが早く来てくれないか、とそればかりが頭の中で渦巻いていた。
何か他に知る手段はないかと、マーティに「今日、処刑があったの?」と尋ねてみたが、マーティは「そのようですね」としか応えてくれなかった。
「誰がどんな罪だったのだろう」と訊いてみても、「書庫の記録に記載されるまで、分かりかねます」と応える。
記録が記載される。それが、いつのことかはわからないけれど、それまで待っていられるはずもない。
マーティの講義は右の耳から左の耳へと流れていった。
――――テリウスはまだ?
その言葉だけが頭の中を回っていた。

不安で心臓が押しつぶされそうになる。
昼食にと出されたものを口にはしても、味さえ分からなかった。マダム・チャウが訝しげな顔でジュデを見る。
「何でもないよ」と言いながら、顔には不安がでていたのだろう。溢れる気持ちを抑えることはできなかった。

地下牢から戻って来てから、ジュデは自分の部屋を一歩も出なかった。講義の合間にある休憩のときに必ず行っていたテラスにも行かなかった。ただ、テリウス が来ることを、テリウスからの知らせを待っていた。
昼を一時過ぎた頃、ノックされたドアに飛びつくようにして、ジュデはドアを開けた。部屋の外に待っていた人を見つけて、それだけで、不安な気持ちが半分ほ ど吹き飛ぶ。
「何か、御用ですか?」
テリウスの落ち着いた声に、神経が苛立った。
「昨日王宮で捕らわれた人は何処?」
少しでも時間が惜しくて、単刀直入に訊いた。
「ジュデさまには関係のない――――」
「どこっ?」
テリウスの言葉を遮るようにジュデは叫んだ。
体面など気にしていられなかった。
「今、何処にいるのっ?」
口を噤むテリウスに、繰り返し問う。
「テリウス、お願いだから、訊くことで、罰を受けなくてはいけないならどんな罰でも受けるから。責めも全部、責任も全部取るから。だから、テリウス、教え て」
この後で何が起こるか考えていたわけではない、考えられもしない。ただ、ディンの無事を、それだけを知りたかった。
「なぜ、そんなに必死になられるのですか? ジュデさまには関係のない人でしょう?」
ジュデをまっすぐ見ていたテリウスが問う。
「それは――――」
言いかけた言葉をとめた。
「――――だって、可愛そうだよ。何も悪いことをしていないのに、なぜ捕らえられなきゃいけないの?王族の言葉だけで、全てが決まってしまうなんて、良い ことのはずがないよ。僕が、もし、僕が国王になるのなら、そんな国にはしたくない。自分の見ているところで、そんなことが起こっているのは、見過ごせない よ」
思いつくままの言葉を並べる。
奇麗事を並べてる――――そう自分でも思いながら、言葉は口から出ていった。ディンは、ディンは今何処? それしか頭の中にはないのに。
厳しかったテリウスの瞳が緩んだように見えた。
「ジュデさまのお考えは、ジュデさまが統治されるときに行ってください。今は、現国王の指揮の下全てが行われます」
「でも、でも、知るくらいはいいでしょう?」
ここで引き下がるわけにはいかなかった。テリウスを離してしまえば、何もわからなくなる。
「ジュデさまには残念ですが、彼は今朝、処刑されました」
――――処刑?
ジュデは身体の力が全部抜けていきそうになった。その場でしゃがみこんでしまいそうになる身体をドアを支えにして必死に堪えた。
「それでは」
頭を下げ、テリウスは下がろうとした。
踵を返そうとしたテリウスの手首をジュデは掴んだ。
「待って、テリウス」
「まだ、何かあるのですか?」
「会わせて」
「はっ?」
「彼に会わせて、処刑されたという彼に会わせて」
「ジュデさま、好奇心は大概に、と昨日申し上げたはずです」
「好奇心なんかじゃない」
はっきり、テリウスの口から聞いても信じられない自分がいた。どこかで、やっぱりと思いながらも、違うと否定したがっている。この目で見たわけじゃない。 信じることなんてできない。
「では、なんですか?同情ですか?」
「なんだと思われてもいいよ。場所を教えてくれたら、一人でも行く。神殿? どこの神殿? 教えてくれないなら、全部回る。テリウス、教えて、彼は今何処 にいるの?」
訴えるジュデからテリウスは視線を外した。
「手を離してくださいませんか?」
答えではない言葉を言う。
「教えてくれるまで離さない」
ジュデは手に力を加えた。それに、テリウスが少し顔をゆがめる。
「ジュデさま。私は遊んでいるわけではありません。昨日の一件で王宮内も反応が過敏になっています。早く、警備の方へ戻らないと。急ぎだというから来たの です。暇なわけではありません」
「なら、教えて。教えてくれたら、直ぐに離すよ――――それに、あなたがそんなに無能だとは思わない。分かっていたはずだよ。僕の用件なんて」
口からでた出任せではあったけれど、テリウスは全てを知っているのではないか、そんな気もする。
「――――どうしても、ですか?」
少しの沈黙の後で口にしたテリウスの問いかけにジュデは頷いた。どうしても、どうしても、会いたい。
「では、彼に会ったらすぐ戻ると約束してくださいますか?」
「約束する。絶対だよ。テリウス」
会えるのなら、どんな約束でもする。
「では、馬で行きますので支度をしてから馬屋へおいでください。用意をしておきます」
テリウスの言葉にジュデは身体の力が抜けた。良かった、ただそう思った。
「うん、うん。ありがとう、テリウス」
「では、手を離してくださいますか?」
ジュデははっとしてテリウスの手を離した。自分がテリウスの手首を掴んでいたことをジュデは忘れていた。

ジュデは急いで支度をすると、マダム・チャウに出かけることを告げた。
馬屋では、テリウスが馬を引いて待っていてくれた。
頭の中にはディンのことしかなかった。ディンに会える? ううん、ディンであっては欲しくない。何かが間違っている、きっと。

第3神殿は街を抜けて丘の上にある、一番王宮から遠い神殿だった。国王アリテアが建てた唯一の神殿で、白く高い柱には細かい細工がされていた。
テリウスの後について、ジュデは地下へ降りた。地下とは言っても、天井に開けられた窓から太陽の光が差し込んできていた。通路の脇には細い水路が引かれ水 が流れていて、ひんやりとした清新な空気が満ちている。両側には小さい部屋がいくつも並んでいた。
一番奥、ドアを開け放たれた突き当たりの部屋に人影が見える。
足音に気づいた人影は、こちらへ向かって歩いてきた。
「テリウスさま、どうかされたのですか?」
怪訝そうな顔で、その人はジュデとテリウスを見た。
「どうしても会いたいとおっしゃるのでね。デリィ、誰か来たら教えてくれ」
「分かりました」
デリィはそう言うと、軽く頭を下げ、テリウスとジュデの脇を抜けて入り口の方へ歩いていった。
豊かな金髪の髪を束ね、彫刻のように美しい顔立ちをした神官はいつも国王に寄り添うように付いているのをジュデも見ていた。彼がこの神殿の神官であること をジュデは初めて知った。

部屋に一歩入ったところで、台の上に寝かされている人影が目に入り、ジュデは足が止まった。
背後で扉が閉まる鈍い音が聞こえる。

大理石で作られた台の上に敷かれた白い布の上に横たわっている人をちゃんと見ないといけない、ちゃんと確かめなきゃいけないと思うのに、ジュデは瞳が潤ん できてはっきり見ることさえできなくなった。
「もう、よろしいですか?」
背後から聞こえたテリウスの声にかぶりを振り、ジュデは台の前まで進んだ。はっきり見なきゃ、分からないじゃないか、と思うのに、零れる涙は止まらない。
――――嘘だよ、夢だよ
そう思いながら、手を伸ばし頬に触れた途端、手が引いてしまった。けれど、もう一度確かめる意味で触れた。
昨日感じたときは暖かかったはずなのに、そこは、冬の水に浸したように冷たくなっていた。
「彼はあなたの側近ですね?」
背後からテリウスの声がした。
「知って、たんだ」
やっぱり、テリウスは全て知っていたんだ。
「手引きしたのは、あなたですか?」
手引き? それじゃ、まるで罪人扱いだ、と思った。
「ディンは父親に会いたかっただけだよ。僕が確証を掴むまで待っていてって言ったのに、きっと、ディンは待っていられなかったんだ。だから」
だから、会いに来たんだ。僕が不甲斐ないから。僕じゃきっと確証なんて掴めないから。僕がもっとしっかりしていれば、僕が――――。今更であっても、後悔 は尽きない。
「そうですか。そんな風に思っては彼は可愛そうですね」
「え?」
ジュデは振り返ってテリウスを見た。テリウスの意図が分からない。
「なぜ、彼がこんなことをしたのか分からなかったのです。彼は口を割りませんでしたし、もちろん、あなたの側近であったことも言いませんでした。エカティ で会ったときは、もっと有能の人物だと思っていたので、意外でした。けれど、ジュデさまの一言で分かりました。もし、私が彼の立場であれば同じことをした でしょう。けれど、ジュデさまが思うようなことではありません。彼の気持ちを少しは汲んであげていただきたいと、同じ立場の人間として思います」
「どういうこと?」
なぜ、ディンが――――それは思っていたことだった。無謀とも思えることをなんでしたのだろう、と。けれど、待てなかったとしか思えなかった、他に思いあ たることは無かった。
「分かりませんか?」
ジュデは分からないとかぶりを振った。

「彼が生きていたということはそこに陰謀があった、ということです。確証を掴むということは陰謀を暴くということ。そこに危険がないはずはありません」
「そんなこと分かってるよ」
「そんな危険なことをあなたにやらせるわけにはいかない。一刻も早く止めなくてはいけないと思ったはずです。離れてしまっても、あなたを大切だと思ってい れば」
ディンが? 自分を止めるために?
「――――そんな」
自分のために、ディンが。
身体から力が抜けて、ジュデはその場でしゃがみこんでしまった。

扉が細く開き、デリィが身体をすべりこませるように入ってきた。
「王弟陛下がいらしたので、奥へ」
そう言いながら、奥へ目配せする。
テリウスは深いため息を落とすと、ジュデの腕を引っ張った。
「少しでも、彼を思う気持ちがあるのなら、あなたが今することは、あなたがここに居ることを王弟陛下に知られないことです」
――――ディンを少しでも思うなら?
テリウスの言葉に床に手をつき、ジュデは腰を上げた。引っ張られるままに、奥の扉の向こうへ歩く。歩くというよりは、飛んでいるようだった。足が踏んでい るのは硬い石の床なのに、雲の上を歩いているような錯覚さえ感じてしまうほど感覚が頼りない。部屋への扉を閉められると、また、その場でしゃがみこんでし まった。立っている気力は無かった。

扉が開く大きな音と共に、ざわめきが聞こえてきた。王弟陛下は一人ではないのだろう。それは当然のことだとも思えた。
「毒殺なんて、生ぬるい。首をはねてしまえばよかったんだ」
聞き覚えのある王弟陛下の声にジュデは唇を噛み締めた。
「国王のご命令ですから」
「ふん、どうだ?」
「体温も脈もありません。呼吸もありませんね」
ディンの身体を調べているらしい声に、嗚咽がこぼれそうになる。冷たい、情のかけらも感じない声で言って欲しくない。
「妙な薬を使ったんじゃないだろうな」
「ご心配なら、こちらに残りがあります。お飲みになりますか?」
「まあ、これだけ時間が経っていれば大丈夫だろう。薬なら効果は切れているはずだ」
「ご存分にお確かめを」
「まあ、いい。ご苦労だった」
「はっ」

足音がすると扉が開き、ざわめきを吸い込んでいく。ディンを追い込んだのは自分だと思っても、実際手を下したのは王弟陛下だ。その相手に向かって、何もで きない自分がまた情けない。
「テリウスさま、もう大丈夫です」
扉の向こうから声がした。
「さあ、ジュデさま」
テリウスが手を引く。
「ありがとう、テリウス。大丈夫だよ」
テリウスの手を払い、ジュデは自分の力で立ち上がった。
デリィが扉を開けてくれた。そこから部屋へ入ると、ディンの姿が目に入る。ジュデはあるものを探して視線を彷徨わせた。ここにあるはずのもの。
「ジュデさま、そんなことをして何になるのです。彼はそれを望んでいるのですか?そんなことをして冥界で彼が向かえに来てくれると思いますか?」
テリウスの冷たい声が部屋に響く。
彷徨わせた視線は探していたものを捕らえたけれど、ジュデは諦めてため息をついた。
「テリウスには、何でもわかっちゃうんだね。そして、ディンもあなたと同じことを言うんだ、きっと」
ディンが飲んだものがあると聞いたら、それを飲めばディンと同じところへ行ける、と思った。だけど、テリウスが言うとおりなんだ。ディンはそんなことを望 んではいない。
「お褒めの言葉ならば、ありがとうございます」
テリウスが軽く頭を下げる。
「少しだけ、後ろを向いていてくれる? ディンにお別れをしたいから」
もう会えないディンに。
「では、部屋の外におります」
「ありがとう」
ジュデはテリウスに向かって言うと、ディンの前に進んだ。
扉の閉まる音が背後で聞こえる。
「ごめんね。ディン」
一番大切だと思っていた人を、自分が追い込んでしまった。
触れた頬は、やはり暖かさを持っていなかった。もう見つめてくれることも、声をかけてくれることも、触れてくれることもない。
ジュデは目を閉じると、ディンに唇を重ねた。
勇気が欲しいと、ディンにねだったことがあった。あのときは、暖かかった唇が、今は冷たい。
私が愛したジュデさまなら、そう言ってくれたディンを失望させないためにも。
「僕は、僕のやるべきことをやるよ。だから見ていてね」
唇を少し離して囁いた。そして、もう一度、軽く唇に触れた。堪えきれずに溢れてしまった涙がディンの頬に落ちる。
いつまでも、いつまでも触れていたかった。けれど、それは、ディンが望まないことだ。

扉を開けたジュデに、「もうよろしいですか?」とテリウスは尋ねた。
「うん」
ジュデは返事をすると、デリィに頭を下げ、先を歩いた。ディンのことを思うと、胸がつぶれそうになる。だからこそ、ディンが望んだことをやらなければいけ ない。
神殿から出ると、蒼く澄み切った空が視界に広がった。
この同じ空の下にディンもいる、そう思ってきた。でも、今は違うね。空の上から見ていてくれるでしょう?
ちょっとずるいなって思うけど、ディンには見えてるのに自分からは見えないことが。

馬の手綱を取って、ジュデはふっと思ったことがあった。
「ねえ、テリウス」
「はい」
「国王はディンを認めてくれたのかな?」
ディンは父に会えたと言っていた。
「彼は王妃ユキナさまに生き写しだそうです」
淡々と告げるテリウスの言葉にジュデは心臓をきゅっと掴まれたような気がした。
「それでも? ダメだったの?」
それでも、ディンを処刑しなくてはいけなかったの?国王が実の子を?
「過去を変えることはできません。刑が神殿で行われたことも、一番苦痛が少ないもので行われたことも、国王さまの計らいです。一番優先されるべきものは国 の安定であり、親子の情ではありません」
「でも」
他に方法が無かったのかと、思いたくなる。
「一番辛いのは、国王さまです。そして、国王になるということは、そういうことです。ジュデさまにも分かっていただかなくてはなりません」
――――国王になるということはそういうこと
ジュデは手綱を引くと、馬に跨った。
「分かったよ、テリウス」
分かったよ、ディン。ねえ、きっとディンもテリウスと同じことを言うんだよね。

ジュデは一度視線を落とすと、空を見上げた。
ディンがいないのは身を切られるより辛いけど、ディンが望んだことを成し遂げるために、この空の下で生きていくよ。
――だから、ディン、見守っていて。

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