「では、しばらく休憩にいたします」
講師マーティの声にジュデは軽く頭を下げると、席を立った。
「また、いつもの所へ行かれるのですか」
「はい――――とても気持ちが落ち着くので」
「そうですか」
言葉を返してくれたマーティは静かに微笑んだ。
マディバに来てから一ヶ月が過ぎた。
歴史や政治、天文の講義、剣術、乗馬とジュデがやっていることはエカティにいた時と変わらない。

マダム・チャウは色々と気遣ってくれるし、講師のマーティも穏やかな人物だった。
マディバへ来る前に不安な気持ちが嘘のように、穏やかな気持ちで日々を過ごしている。
ただひとつ、心の片隅にいつも淋しさはある。それを拭うことができないことは分かっていた。

回廊の突き当たりにあるドアを抜けると、テラスが広がっていた。パーティを開けるほどの広さを持つテラスは辺りを一望することができる。
――――ディン、元気?
テラスの端まで行き、先にエカティがある空を見上げてジュデは心の中で呟く。
――――僕は元気だよ。今日はね……
以前ディンに話していたような日常の他愛も無いことを心の中で呟く。この空を抜けてディンのところへ想いだけでも伝えられればいいのに、そう思いなが ら。
ここに立つと、少しでもつながっているような気がした。エカティに向かって広がっている空間をジュデは今いるこの場所しか知らない。
マディバに着いて次の日、テリウスが王宮を案内してくれた。その時に、「あちらの方角がエカティですよ」とテリウスが教えてくれた。
この先に、ディンがい るんだ、とそのとき思った。

「また、こちらにいらしたのですね」
背後からかけられた声に振り向くと、ユキナが立っていた。
「ここはとても気持ちよくて」
本当の理由を答えることはできない。
「国が恋しいですか?」
「そういうわけでは――――」
直接訊かれて、はっきり答えられずに視線を伏せた。視線の先にいつもユキナがかけているペンダントがある。
恋しいのは国じゃない。
「そんなにこのペンダントがそんなに気にいられましたか?いつも見ていらっしゃるでしょう」
ユキナの問いにジュデの胸がとくんを跳ねる。
「とてもきれいなものですね。エカティではこれほどのものを手にいれることはできません。ユキナさまはこれをどなたかに作っていただいたのですか?」
ユキナのペンダントを気になりながらも、ジュデは聞くことができなかった。どこで手にいれたのか、そう直接聞くことは躊躇われる。今、ユキナがくれた一言 を逃したくはなかった。
「これは、母の形見なのです」
ああ、やっぱりとジュデは思った。ユキナの母とディンの母は同じ民族なのだろう。王妃に迎えられるほどの身分を持った位の高い、きっと民族の長で、ディン の母とも血縁があるのかもしれない。
「実家のお父上様から送られたのですか?」
それ以外に考えられなかった。嫁ぎ先に持ってくるものなのだから。
「お母様がお父様より頂いたものなのです。側室へあがったときに、お気持ちの印として」
「え?」
「裏に父の名前が彫ってあるんですよ」
ユキナは示すようにペンダントを裏返した。
――――ディン?
彫られている文字に心臓の鼓動が早くなってくる。
「国王様は、ディンと言われるのですか?」
現国王アリテア2世。
「ええ、ディン・サンヂュ・アリテアが父の正式な名前です」
まさかと思う答えに、ジュデは身体が固まってしまった。
「――――では、このペンダントはこのひとつしかないのですか?」
思い通りにならない身体に鞭うって、搾り出すように声をだした。
「いいえ、母は双子で姉妹そろって、側室にあがったと聞いています。その時に同じデザインのものが二つ用意されたと」
「もうひとつはどこに?」
言ってから、直接すぎたと思ったけれど、出してしまった言葉は戻らない。
「本当に、気にいられたのね」
そう言いながらユキナは笑った。
「でも、残念ながら私は知りません。先に王妃についたおばさまが亡くなったときには私はまだこの世界にはいませんでしたから」
「そうですか」
ユキナに答えながら、ジュデの頭の中は混乱していた。
「そんなにがっかりなさるなんて、あなたがそれほど装飾品に興味があるとは思いませんでした」
「あ、いえ、もしできるなら国の母に送りたいと思ったのです。これほど素敵なものを見たことがなかったので――――同じものを、同じものを作ることはでき るのでしょうか?」
同じ職人ならできるのかもしれない。このペンダントの存在を知っているなら。
「さあ――――テリウスに聞けば工房の人間がいつ王宮に来るかが分かります。直接お聞きになった方が良いのでは」
「そう、ですね。ありがとうございます。ユキナ姫」
「どういたしまして――――実は少し後悔しています」
「何を、ですか?」
「あなたをこの国へ招いたことを」
ジュデは言葉がなく、視線を伏せた。ユキナの言葉の意図が分からなかった。自分には国王としての素養がないと烙印を押されているのかもしれない。兄達とは 違い、自由に生きてきた。国を治めることなど考えもしなかった。
「あ、ごめんなさい。あなたに非があるのではないのです。私の我が侭で、あなたが将来の約束をされた方を国に残されてきたのかもしれない、と思ったので す」
ユキナの言葉に視線を伏せたまま、ジュデはかぶりを振った。
「いいえ、そのようなことは――――」
誰よりも大切な人ならいる。けれど、将来の約束などはできない。
「それを聞いて、少し安心しました。こちらへ来てから一ヶ月、毎日、雨の日でも、ここに来て空を見上げていられると聞いて――――もしかすると、ペンダン トを送りたいのも、母上ではなくてその方ではないかと勘ぐってしまいました」
ジュデは驚いて顔を上げた。
「ユキナ姫、そのようなことは決して」
「――――でも、国に帰りたい。そうではありませんか?」
「いいえ――――いいえ。私が望むのは平和です。エカティもマディバも国民がみな穏やかな生活を送ることができれば良い、と思っています」
ユキナは視線を伏せ、小さく笑った。
「完璧なお答えをなさるのね。あなたも――――テリウスも」
「え?」
「いえ、ペンダントのことは、私からテリウスに伝えておきます。ジュデさま、明日の晩餐はいらっしゃいますか?」
「はい、お伺いさせていただきます」
「では、そのときに」
ユキナは軽く微笑むと身体を翻した。姿は段々小さくなり、ドアの向こうへ消える。
ユキナと同じものを作る必要などジュデにはない。ディンは既に持っているのだから。
ユキナと同じもの、ディンという名――――もう答えはでている気がした。

「ねえ、マダム・チャウ訊いてもいい?」
窓辺で繕いものをしているマダム・チャウにジュデは声をかけた。
週に一度の晩餐を除いて、ジュデは自分の部屋で食事を取る。部屋の中央に置かれたテーブルに、食事の支度を終えると、マダム・チャウはいつも窓辺で細かい 仕事を始めた。時に、楽しい話を聞かせてくれたり、昔のことを話してくれたり、してくれる。それが、マダム・チャウの心配りなのだと、しばらくしてから分 かった。たった一日だけマダム・チャウが休んだ日、一人の食事がどれほど味気ないかをジュデは知った。マダム・チャウの代わりに来たミス・ルイは食事 の支度をするとすぐに下がってしまった。何の声も気配もしない中、食器の音だけが響いた。味さえほとんど分からず、食べることを途中で止めてしまった。
マダム・チャウが居てくれるだけで、食事が美味しく感じる。
「何ですか? ジュデさま」
マダム・チャウが顔を上げる。
「先代の王妃さまのこと」
「ああ――――ユキナさまはとてもおきれいな方でした」
「ユキナ? 」
「ええ、ユキナさまと同じお名前で、妹のエリナさまと同時に現国王さまの側室に入られました」
「なぜ、子供に同じ名前を?」
エカティではそのようなことは無かった。
「国王さまはユキナさまをそれは愛しておられました。お亡くなりになられたときも、ひどく悲しまれて。エリナさまがお子様をお生みになったとき、ユキナさ まが帰ってきたのだと申されて、ユキナさまとお名づけになったと聞いています」
同時に存在しないのならば、不都合はないということなのか。
「ユキナさまはご病気で亡くなったと聞いたのだけれど――――」
「ええ、静養先で、もうすぐお子様がお生まれになるころであったのに、流行病にかかったとかで、私達お仕えしていたものも、最後のお姿を拝見することはで きませんでした」
「え?」
「戦争でなければ、国王さまもユキナさまを手放すことはなかったのでしょうが、何より忙しい王宮よりも静かな田舎の方が身体に良いだろうと、決断されての ことだっただけに、やり切れないご様子でした」
最後の姿を見ていない?
「――――ユキナさまは今、どこに?」
「都の西にある皇宮の丘でにお休みになっておられます」
「戻ってきたのに、最後のお姿を見ることはできなかったの?」
「病を都に入れるわけにはいきませんから、その土地で荼毘にふされて――――」
マダム・チャウが視線を落とす。
姿から悲しみが読み取れた。
「あ、ごめんなさい。マダム・チャウ」
視線を落としたまま、マダム・チャウはゆっくりと息を吐いた。
「ユキナさまはきれいで優しくてお強くて、遠い東の国から来られて、最初は言葉もよく分からずにおいででしたけれど、国に馴染むように努力しておいででし た。王妃さまとしてお慕い申し上げておりましたのに、とても残念なことだったと、私も思っております」
「ユキナさまはこの国の人ではないの?」
「遠い東の国、船がなければ行くことのできないジェインと呼ばれるその国には、黄金が多く取れるそうでございます。国王さまがしておられる首飾りはユキナ さまが送られたものなのです」
「なぜ、そんな遠くから――――」
マダム・チャウの言葉からは次々に知りたいことが生まれてきた。
「昔、現国王さまは未知の世界を求めたいと、遠征にでかけられました。国を弟ぎみに任せられて――――数年の間、音沙汰がなく、もうこの世にはいらっしゃ らないかもしれないという噂まで生まれました。けれど、ユキナさまとエリナさまを連れ、戻られたのです――――もうよろしいですか?ジュデさま、お食事が あまり進んでおいでではないようですね。」
「あ、もう少し――――」
はっきりとした証拠があるわけじゃない、なぜと思うこともまだある。けれど、ディンの母は先代のユキナなのだろうと思った。もっと、知りたい。なぜ、ユキ ナが――――。
「ジュデさま。知らないほうが幸せなことも多いものです。国王さまはジュデさまとユキナさまが新しい国を作ってくれることを期待しておられます。時間は戻 りません。後悔してももう遅いのです」
マダム・チャウの言葉は彼女にしては珍しくきっぱりと拒絶を表していて、ジュデはそれ以上訊くことができなくなった。
ただ、ディンはこの国の皇子なのだと、ジュデはそれだけは確信した。


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